「健さん」と「ブラック・レイン」のそば・うどん

[134]外国映画の中の“日本食文化”(3)

現在公開中の「健さん」は、2014年に亡くなった俳優、高倉健(以降、健さん)ゆかりの国内外20人以上の証言から知られざるスターの実像に迫ったドキュメンタリーである。

 その中で健さんが出演した1989年のリドリー・スコット監督作品「ブラック・レイン」について、同作品で主演を務めたマイケル・ダグラスと撮影監督のヤン・デ・ポンが口を揃えて最も印象に残ったエピソードとして“そば”(字幕ではそばとなっているが実際はうどん)のシーンを挙げている。そこで今回はこのシーンに焦点を当て、シリーズでお届けしている【外国映画の中の“日本食文化”】の視点も交えて述べていく。

「ブレードランナー」との相違と類似

「ブラック・レイン」はニューヨークと大阪を舞台に繰り広げられる偽札の原版を巡るヤクザの抗争に対し、協力して捜査にあたった日米の刑事の友情を描いたポリスアクションである。1982年の「ブレードランナー」(本連載第8回参照)で近未来のロサンゼルスの風景を雑多で東洋的な街並みとして描いたスコット監督が、そのモデルである日本の繁華街を舞台にした映画を撮るということで公開前の期待は高かった。

 しかし、SFでは“らしさ”があればよかったが、現実世界を描く場合には厳密なリアリティが要求される。ましてや外国人が描いた日本を日本人の厳しい目を通すと細かい“粗”が見えてきてしまうのは仕方のないことだ。その一つひとつを挙げているときりがないので詳しくは述べないが、公開当時は期待が大きかっただけに失望したことを覚えている。

 ただ、これ以前に製作された日本を描いたハリウッド映画に比べれば“勘違い”的描写は少なくなっている。また「東京暗黒街 竹の家」(1955、サミュエル・フラー監督、本連載第113回参照)の時のように通常の電車を運休にして蒸気機関車を走らせるといった全面的な撮影への協力がバブル期の1980年代後半には得られず、予定していた日本ロケの期間を短縮して香港やハリウッドで日本のシーンを撮影したことも少なからず影響していると思われる。

 ともあれ「ブレードランナー」と「ブラック・レイン」の2作は遺伝子工学の大企業と日本の伝統的なヤクザ社会という違いはありながら、組織の中からルドガー・ハウアー演じるレプリカントと松田優作演じる佐藤というモンスターが生まれて暴走し、ハリソン・フォード演じるデッカードとマイケル・ダグラス演じるニックというアウトローの捜査官が対峙するという構造から、冒頭の審問シーンや悪役の女が残した蛇の鱗やスパンコールが手がかりになるという細部まで似通っており、今回注目した“そば”のシーンもその類似要素の一つと言えるだろう。

ターニングポイントに登場する“そば”

「ブラック・レイン」のストーリーを簡単に述べると、主人公のニック・コンクリン(ダグラス)はニューヨーク市警殺人課の凄腕刑事だが、離婚した妻に渡す子供の養育費を捻出するため、押収した金に手を出した件で内部調査を受けている。彼は同僚のチャーリー・ビンセント刑事(アンディ・ガルシア)と居合わせたレストランでヤクザ同士の抗争事件に遭遇。敵の親分を刺殺した佐藤(松田)を激しい格闘の末に逮捕する。

 佐藤は日本の警察に引き渡されることになり、ニックとチャーリーが護送の任に就くが、大阪の空港で警官に化けた佐藤の子分たち(内田裕也、ガッツ石松)に騙されて彼を引き渡してしまう。ミスを挽回しようと大阪府警に協力を申し出る2人だったが捜査を指揮する大橋警視(神山繁)は彼らの銃を取り上げた上、生真面目な部下の松本正博警部補(高倉)を2人の監視役につける。

 この捜査本部のシーンで松本が食べていたもりそばを見たチャーリーが「ヌードルかい。うまそうだね」と声をかけたのが3人の出会いとなる。このシーンを含め本作で“そば”は3回登場するが、いずれも物語の節目となるタイミングであり、「ブレードランナー」でデッカードに屋台のうどんを食わせたスコット監督の“そば”へのこだわりが感じられる。

市場のうどんと“オトシの健さん”

大阪の市場でうどんをすするニック(左)と松本
大阪の市場でうどんをすするニック(左)と松本

 オブザーバーとして捜査に同行していたニックとチャーリーだったが、ヤクザ同士の抗争事件が起きたミナミのバー「クラブ・ミヤコ」に聞き込みに行った帰りに佐藤の率いる暴走族に襲われ、チャーリーは殺されてしまう。復讐心に燃えるニックとチャーリーの死に責任を感じる松本は「クラブ・ミヤコ」のホステスで佐藤の情婦である前述のスパンコールの女ミユキ(小野みゆき)を尾行。彼女が入っていった佐藤のアジトの前に張り込んだ2人は向かいの市場の食堂でうどんを注文し、腹ごしらえをして朝を待つ。これが「健さん」でダグラスとヤン・デ・ポンが述べていた“そば”のシーンである。

 松本はうどんを食うのに箸の使い方も知らないようなニックに唐辛子を勧めたりビールのお酌をしたりと世話を焼きながら「君の上司に聞いた話なんだが」とやんわり彼のニューヨークでの不正行為について問いただす。表情にほとんど変化はないものの相手の目をしっかり見据えて真剣に向き合うその姿勢にさしもの百戦錬磨のニックも正直にならざるを得ない。松本はさらに続ける。「チャーリーはいい警官だった。盗みは彼を汚すことだ。……君自身を汚し、俺をも汚す」。この英語のセリフを説教臭くなく相手への思いやりの言葉として言えるのが健さんの演技力であり、「Thanks」というニックの感謝の言葉も違和感なく響いてくるのである。

立食いそばと“あばよ、カウボーイ”

 ヤクザとの激しい戦いの末にすべてが終わり、松本はニックを見送りに空港へ行き、搭乗までの待ち時間に立ち食いそばを2人ですする。箸の使い方を覚えたニックは松本の勧める唐辛子を断わりそばを食べ慣れたところをみせる。そしてここまででいいよと日本の習慣に則ってお辞儀をしようとするところを松本が「ニックさん、違うよ」と制し2人はがっちりと握手を交わす。

「親友はこうする」

「あばよ、カウボーイ」

 搭乗口に向かうニックの後ろ姿を見ながら松本が開封した彼の贈り物の包みの中には市場でうどんを食べた際の松本の忠告に対する彼の回答ともいうべきものが入っており、ここまでほとんど喜怒哀楽を表に出さなかった松本の顔に笑みをもたらすという印象的な別れの場面となっている。

こぼれ話(映画「健さん」より)

  • マイケル・ダグラスは市場の撮影でうどんを食べ過ぎたため、この後2年はヌードルを食べなかったという。
  • ヤン・デ・ポンの監督デビュー作「スピード」(1994)のバスが時速80㎞以下になると爆発するというアイデアは健さんが犯人役を演じた「新幹線大爆破」(1975、佐藤純弥監督)からきている。
  • 「ブラック・レイン」は松田優作のハリウッドデビュー作であると同時に遺作となったことでも知られている。膀胱がんに冒されていることを知りながらその事実を隠して撮影に臨み、クライマックスのバイクのアクションシーンをノースタントでこなす等鬼気迫る熱演で高い評価を得たが、映画の公開後すぐの1986年11月6日に帰らぬ人となった。健さんは「ホタル」(2011、降旗康男監督)の撮影で韓国を訪れた際に「友へ チング」(2001、クァク・キョンテク監督)に主演したユ・オソンと面会しているが、それはこの映画の彼に優作の面影を見たからだったとオソンが証言している。

【健さん】

公式サイト
http://kensan-movie.com
公式サイト:
作品基本データ
ジャンル:ドキュメンタリー
製作国:日本
製作年:2016年
公開年月日:2016年8月20日
上映時間:95分
製作会社:ガーデングループ=レスぺ(制作 レスペ)
配給:レスペ
カラー/サイズ:カラー/ビスタ
スタッフ
監督:日比遊一
プロデューサー:増田悟司
音楽:岩代太郎
メインタイトル:中野北溟
キャスト
マイケル・ダグラス
ポール・シュレイダー
ヤン・デ・ボン
ユ・オソン
チューリン
ジョン・ウー
マーティン・スコセッシ
降旗康男
澤島 忠
山田洋次
梅宮辰夫
八名信夫
中野良子
中井貴一(語り)

【ブラック・レイン】

作品基本データ
原題:Black Rain
製作国:アメリカ
製作年:1989年
公開年月日:1989年10月7日
上映時間:125分
製作会社:ジャッフェ/ランシング・プロ作品
配給:ユニヴァーサル映画=UIP映画
カラー/サイズ:カラー/シネマ・スコープ(1:2.35)
スタッフ
監督:リドリー・スコット
脚本:クレイグ・ボロティン、ウォーレン・ルイス
製作総指揮:クレイグ・ボロティン、ジュリー・カーカム
製作:スタンリー・R・ジャッフェ、シェリー・ランシング
撮影:ヤン・デ・ボン
美術:ノリス・スペンサー
音楽:ハンス・ジマー
編集:トム・ロルフ
キャスト
ニック・コンクリン:マイケル・ダグラス
チャーリー・ヴィンセント:アンディ・ガルシア
松本正博:高倉健
ジョイス:ケイト・キャプショー
佐藤:松田優作
大橋:神山繁
オリバー:ジョン・スペンサー
片山:ガッツ石松
梨田:内田裕也
菅井:若山富三郎
ミユキ:小野みゆき
吉本:國村隼
菅井の子分:島木譲二
菅井の子分:安岡力也

(参考文献:KINENOTE)

アバター画像
About rightwide 334 Articles
映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。