「ブンミおじさんの森」――精霊たちの食卓

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森には猿の精霊がひそむ(絵・筆者)
森には猿の精霊がひそむ(絵・筆者)

森には猿の精霊がひそむ(絵・筆者)
森には猿の精霊がひそむ(絵・筆者)

映画の中の食を鑑賞するコラム。完成度の高いタイ映画の1本を今年のベストワンに推す。

 今回紹介する「ブンミおじさんの森」は、タイで2010年に製作され、日本では2011年に公開された作品である。2010年のカンヌ映画祭でタイ映画としては史上初となるパルム・ドール(最高賞)を受賞している。

死者たちの帰還

「森や谷や丘を前にすると動物や他のものだった私の前世が現れる」という字幕で始まる本作は、その言葉通り前世と現世と来世が交錯する、仏教の輪廻転生の思想にも通じる世界観を持つ作品となっている。

 タイ東北部の山奥にある小さな村が舞台。冒頭、宵闇迫る森の中に赤く光る二つの目が映し出される。一体何者なのかと思う間もなく場面は転換し、本作の主人公であるブンミおじさんのエピソードとなる。

 彼は重い腎臓病を患い透析治療を受けているが、死期が近いことを悟り、19年前に死別した妻フェイの妹ジェンと都会で暮らす甥のトンを呼び寄せる。夜、屋外に面した食卓で三人はトンが作った夕食を囲む。アングルの関係で料理の中身が見えないのが残念だが、麺料理、卵料理、炒め物等の色とりどりの皿が並び、豊富な食材を使ったタイ料理のご馳走であることがわかる。

 ブンミがトンのもてなしに礼を述べていると、そこに突然死んだはずのフェイが出現する。ゆっくりと像を結んでゆくその姿は、まるで映画が初めて二重露出を発見したかのように新鮮である。最初三人は驚くが、ごく自然に死者と語らい始める。生者と死者がお互いを気遣い、ブンミはフェイが自分を迎えに来たのではないかと感じる。

 さらにフェイの出現に触発されたかのようにふたつ目のサプライズが起こる。フェイが死んだ6年後に行方不明になった息子ブンソンが、冒頭の赤く光る二つの目を持つ猿の精霊となって現れたのである。その姿はあたかも「スター・ウォーズ」シリーズ(1977~)に出てくるハン・ソロ船長の相棒チューバッカの毛を黒くしたかのようである(思い起こせば「スター・ウォーズ」にもこの世の存在ではないオビ・ワンやヨーダと交感するシーンがあった)。

 ブンソンは生前この精霊に魅せられて森に入ったまま戻らず、自らも仲間になってしまったと語る。彼もまたブンミの病気を感じ、他の精霊を引き連れて帰ってきたのである。

 ここで注目すべきは、生者と死者の邂逅が晩餐の席でなされたという点である。日本でも盆や彼岸に死者の霊が帰ってくると言われているが、そんな感覚であろうか。食卓に椅子は5つあり、その空席を埋めるかのように2人は現れ、つかの間の対話に興じるのである。

甘さと苦い記憶

 翌日、ブンミはジェンを自分が経営しているタマリンドの果樹園に案内し、自分の亡き後に農園を継いで欲しいと懇願する。タマリンドの花を利用した養蜂場の巣箱から採った蜂蜜を二人で舐めた後、ブンミはジェンに自分の病気は過去の従軍経験で共産兵を殺したカルマであると言う。

 冷戦当時のタイはベトナム、カンボジア、ラオス等の近隣諸国の共産化に対する防波堤の役割を担っており、ブンミのような民間人を徴兵して国家の名の下に共産主義者を弾圧した。そんな苦い記憶が甘い蜜を味わったことで蘇るというのも何やら意味深である。ブンミが農園でラオスからの不法移民を雇用しているのも、贖罪の意識があってのことなのかも知れない。

前世と来世の夢

猿の精霊とブンミおじさん(絵・筆者)
猿の精霊とブンミおじさん(絵・筆者)

 いよいよ死期が迫ったことを感じたブンミは、ジェンとトンを伴って森に入ってゆく。ジャングルを抜け、暗い洞窟の中を進む3人を手持ちカメラが縦移動で追ってゆく。洞窟は母胎を思わせる柔らかな曲線で構成され、風穴から漏れる月光に照らされた水滴が星々のように瞬いて、まるで宇宙の中にいるような感覚にとらわれる。

 今際の際、ブンミはおぼろげに前世を思い出す。俺はここで生まれた。人間だったか、動物だったか、女かも知れないし、男かも知れない……。そして昨晩見た未来の夢について語り出す。未来の都市では独裁者がすべてを支配し、誰も逃げることはできない。そして“過去の人々”を見つけ出しては光を当てて消滅させている。タイムマシンに乗ってやって来たブンミは怖くなって逃げ出すが、どこに逃げて良いのかわからず、自らも消滅させられてしまう……。

 しかしこのナレーションと並行した映像では、彼は猿の精霊となってかつての戦友たちとともにいる姿が静止画のモンタージュによって映し出される。過去の記憶が未来の夢に重なる映像と言葉のパラドックスが、ブンミの生前最後のビジョンとなるのである。

 この他にもブンミの葬儀の後でジェンと出家したトンの身に起こるもう一つのサプライズや、タイ料理の代表的食材であるナマズと王女様のラブストーリーなど見どころ満載であるが、これらの詳細については実際にご覧いただければと思う。

 タイ映画と言えば「マッハ!」(2003)、「トム・ヤム・クン!」(2005)のようなムエタイ・アクション映画を連想しがちだったが、このような芸術的な完成度の高い作品もあることに驚き、今年度洋画のベストワンに推す次第である。

作品基本データ

【ブンミおじさんの森】

「ブンミおじさんの森」(2010)

原題:UNCLE BOONMEE WHO CAN RECALL HIS PAST LIVES
製作国:イギリス・タイ・フランス・ドイツ・スペイン
製作年月日:2010年
公開年月日:2011/03/05
製作会社:Illuminations Films = Kick the Machine
配給:ムヴィオラ
カラー/サイズ:カラー/アメリカンビスタ(1:1.85)
上映時間:114分
◆スタッフ
監督・脚本:アピチャッポン・ウィーラセタクン(セーン・アルン寺の僧プラ・シリヤッティーヴェティー著「前世を思い出せる男」から着想を得た)
製作:アピチャッポン・ウィーラセタクン、サイモン・フィールド、キース・グリフィス、シャルル・ド・モー
撮影監督:サヨムプー・ムックディープロム
編集:リー・チャータメーティク
主題歌:ペンギン・ヴィラ「アクロフォビア」(高所恐怖症)
◆キャスト
タナパット・サーイセイマー(ブンミ)
ジェンチラー・ポンパス(ジェン)
サックダー・ケァウブアディー(トン)
ナッタカーン・アパイウォン(フェイ)

(参考文献:キネマ旬報映画データベース)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。