外食産業市場動向調査

4月の外食市場は前年並みに推移

日本フードサービス協会(JF)は2013年4月外食産業市場動向調査を発表した。 全体の合計では、客単価が2.3%とやや低下し、客数は2.0%と微増、売上高は前年並みという結果となった。好調さを見せたのは、麺類ファストフード、和風ファストフード、焼き肉。 JFでは、「前年より休日数が1日少なく、また、第1週の週末には “爆弾低気圧”が日本の広い範囲に暴風や大雨をもたらし、FRや持ち帰り米飯・回転寿司 […]
明治23年に開業した初代の帝国ホテル(画・藤原カムイ)
洋酒文化の歴史的考察

X 帝国ホテルのマウント・フジ(8)

筆者の手元に、富士屋ホテルとカクテルのかかわりを示す興味深い資料がある。「回顧六十年」(富士屋ホテル・昭和13年刊、山口堅吉著)の資料編にある明治40(1907)年頃、つまり富士屋ホテルの経営が仙之助から正造に替わった頃のワインリスト(ドリンクメニュー)で、ここには「ジン・カクテル」「ウイスキー・カクテル」とはっきり記載されている。 二度のアメリカのホテル事情視察  筆者が所有しているさまざまなワ […]
恢復するチェーン

「someday――いつか」という日は来ない(4)

(7)前向きの危機感  閉塞感に満ちているからこそ、今は何事につけ前向きに取り組むべきだ。しかし、会社の規模を問わず企業の正規社員である人々を見ていると、「そんな社会と私は関係ない」と考えているように見えることが多い。変化せず、むしろ変化を求めない人の方が多数であるように感じるのである。  そういう人でも、いろいろな情報を取り、よく学んでいるのである。学びにかけては、零細企業とくに凋落の過程にある […]
明治23年に開業した初代の帝国ホテル(画・藤原カムイ)
洋酒文化の歴史的考察

X 帝国ホテルのマウント・フジ(7)

金谷カテージ・インの創業からややあって明治11(1878)年、箱根・宮の下に開業した富士屋ホテルは、そのルーツを元治元(1864)年に開業した外国人向けの娯楽施設「神風楼」(横浜)に辿ることができる。富士屋ホテルの初代山口仙之助は明治18(1885)年の改築でホテル内に酒場(バー)を設けた他、当時はまだぜいたく品だったガラスを多用して採光に意を使ったラウンジを作るなど進取の気象に富んだサービスが外 […]
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「someday――いつか」という日は来ない(3)

(5)胆識  経営者にとくに求められているのは、「Someday」のタイミングを見極め、迅速に行動として起こすに必要な「胆識」である。  思想家の安岡正篤は、実務家に必要な三識というものを挙げている。一つは「知識」で、単に知っているというもの。次が「見識」で、これは知識に経験と学問が積まれて生まれるもの。物事の本質を見通す力や判断力が備わったものだと言えるだろう。そして、それに実行力が備わって「胆 […]
明治23年に開業した初代の帝国ホテル(画・藤原カムイ)
洋酒文化の歴史的考察

X 帝国ホテルのマウント・フジ(6)

改めて調べてみると、富士屋ホテルは旅行など滅多にしない筆者が思い込んでいたような“どこの温泉地にもあるご当地ホテル”などではなかった。明治11(1878)年創業の後も、外国人向けのリゾートホテルとしてさまざまな新機軸を打ち出している。また、立教大学に観光学部が発足したのは、3代目オーナー山口正造の遺志による寄付講座からだという。 どちらかが盗用というのはあり得ない  これほど品格のあるホテルが帝国 […]
明治23年に開業した初代の帝国ホテル(画・藤原カムイ)
洋酒文化の歴史的考察

X 帝国ホテルのマウント・フジ(5)

さて、目先を変えて帝国ホテル版マウント・フジのレシピから探索を続けよう。 クリームとレモンジュース  ミキシング・グラスに氷とベルモットを入れて掻き回し、ジンを加えたものをカクテルグラスに注いでオリーブを一粒浮かべさえすれば、味の善し悪しはともかく、マティーニは出来る。ウイスキーにベルモットを注いでチェリーを飾ればマンハッタンと呼べるカクテルも出来ないことはない。必要なものは洋酒と氷である。  と […]
明治23年に開業した初代の帝国ホテル(画・藤原カムイ)
洋酒文化の歴史的考察

X 帝国ホテルのマウント・フジ(4)

大正時代に世界一周旅行が企画できる旅行会社は、トーマス・クックとアメリカン・エクスプレスの2社を中心に、レーモンド・ウィトコム(ホイットカム)社、クラーク社を含めても4社に過ぎなかった。 大正13年の世界一周旅行団の記録はあるが  当時の通信手段は電信である。世界中の港や観光地に電信一本で人数分の宿泊先と食事を手配し、受け入れ態勢を準備させるわけだから、そこでは信用と実績がものを言う。たとえ資本力 […]
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「someday――いつか」という日は来ない(1)

(1)There is no someday. 「いつの日にか、きっと、きっとやってみたい。そういつの日にか……」――誰でも、そう思うことはある。  では、ここに中学一年生でも読める英文があるが、これをどう思われるだろうか。 Someday, I’ll do it someday. Monday, Tuesday, Wednesday, Thursday, Friday, Saturd […]
価格競争からの脱却
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改めて「価格競争からの脱却」を目指して(7)価格競争から脱却する12カ条

筆者が社長在任中のハーレーダビッドソンジャパンの成功は、ハーレーというブランドが先に出来ていたからと考える向きもあるが、現実には日本国内でハーレーダビッドソンのブランドはずたずただった。 日本のハーレーにブランド価値はなかった  当時のハーレーダビッドソンは、どこで買えるのか、いくらで買えるのか、どこで修理できるのかはわからず、実際に乗っているのはオートバイ文化とは一線を画す中高年男性のみであり、 […]
価格競争からの脱却
恢復するチェーン

改めて「価格競争からの脱却」を目指して(6)イベントがブランドの歴史を創る

イベントの場においては、Human to Human/Heart to Heart/Hiza to Hiza(膝と膝)の“3H to 3H”コミュニケーションが起こるように計画・実行し、このブランドならではのコミュニティ=絆を形成する。 安っぽいイベントは意味がない  このように、現実の世界で抽象的なブランドの世界を具象化して実現する“コト”を提供していくことができれば、既存メディアに依存すること […]
価格競争からの脱却
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改めて「価格競争からの脱却」を目指して(5)モノではなくコトが価値を生む

顧客は物品を買うとき、その商品の物質的な価値、すなわち価格という形で万人と共有される価値だけではなく、“自分自身(だけ)にとっての価値”がある商品とそれにふさわしい販売のあり方を求めている。 価値は販売の前後のプロセスで生み出される  したがって、消費者・生活者がいつでもどのような場合でも、価格だけを選択購買の判断基準にしているわけではない。とくに高額な商品では顕著である。  そのため、行政や産業 […]