豆乳の憂鬱~BPAと類似の評価結果なるもメディアの扱いがまるで違う

2009年12月16―18日、米国国家毒性プログラム(NTP)のヒト生殖リスク評価センター(CERHR)の豆乳ベースの乳児用ミルクの評価専門委員会が会合を行い、豆乳に含まれるイソフラボンが発育に悪影響があるかどうかについての評価を行いました。これは06年に開始されたプログラムで、今回初めて最終段階に差し掛かっています。この段階での結論は、豆乳ベースの乳児用ミルクの有害健康影響については、12人中10人の委員の賛成をもって5段階の懸念レベルのうち下から2番目の「最小限の懸念minimal concern」に分類されるというものでした。

 実は、CERHRは06年にダイズイソフラボンの一種であるゲニステイン単独について評価を行い、その際には成人はもちろん新生児や乳児についても最低ランクの「懸念は無視できるnegligible concern」と結論されていました。今回それが引き上げられたのは、有害影響を示唆する多くの動物実験や1つのヒトデータが出てきたからと説明されています。ただし、ヒトでの質の良い研究データはないとも記されています。

 豆乳ベースの乳児用ミルクについての評価結果を冷静に判断すれば、特に現時点で何らかの制限策が必要ということはなく、普通の生活を送っている分には心配する必要はないということです。何についても同じことですが、そればかりをたくさん食べることは薦められません。研究は今後も継続されますので、何か新しい発見があれば見直されます。

 この内容についてはビスフェノールAの評価書と類似しており、評価結果もよく似たものになっています。つまりビスフェノールAの胎児や乳幼児への暴露による乳腺や女の子の思春期早発についての懸念レベルは「最小限の懸念minimal concern」、脳・行動および前立腺への影響については「幾分かの懸念some concern」であり、その根拠となったのは主に動物実験の結果で、ヒトでの信頼できるデータはない、ということです。

 CERHRの用いている分類では最も上のものが「重大な懸念があるserious concern」、次が「懸念があるconcern」、その次が「幾分かの懸念some concern」という順番です。明文化されているわけではありませんが、何らかの対策が必要とされるのは上の2つ目まで、その下2つは研究費を出すことが正当化される、最後の1つは研究費の配分は必要ない、といったふうに解釈されます。

 しかしながら同じ機関による2つの似たような報告の、メディアでの扱いは全く違ったものでした。ビスフェノールAの報告については、米国メディアはもちろんのこと日本でも大手新聞はじめ各メディアが報道しました。ところがダイズイソフラボンについては米国でもほとんど報道されておらず、日本でも、少なくとも私はこの報告書を伝えるニュースを見聞きしていません。

 豆乳ベースの乳児用ミルクという商品はあまり一般的ではありませんが、日本人なら赤ちゃんの離乳食に味噌汁や豆腐や納豆といった大豆製品を使うことは良くあると思います。米国人よりはダイズイソフラボン暴露量が多いと考えて良いでしょう。でもダイズイソフラボンのホルモン様作用を気にして赤ちゃんにダイズ製品を食べさせまいとするような人は相当珍しいと思います。一方、ビスフェノールAについては徹底的に排除しようと呼びかける団体もあり、心配している人はそれなりにいるのではないでしょうか。

 一般的消費者のそのような認識の違いは、同じような安全上の問題であっても、メディアが一方は何度も繰り返し報道し、一方については無視するためであるということを象徴するような出来事だと思います。メディア側は多分、消費者がそのようなニュースを望んでいるからそうなるのだと言い訳するでしょう。結局のところ科学者がどんなに慎重に公平に判断しても、世間には正しくは伝わらない、ということです。

 ビスフェノールAの評価については「その1」を書いてからかなり時間が経ってしまいましたが、もうすぐ米国食品医薬品局(FDA)の評価結果が出るということですので、それを待ってからもう一度まとめてみたいと思います。

 年末にはもう一つ、豆乳に関するニュースがありました(要約)。オーストラリアで日本産のBonsoyという豆乳飲料を飲んだためと疑われる甲状腺の問題が見られる患者が約10人報告され、製品がリコールされているというものです。患者の一人は母親が妊娠中に飲んだ乳児です。オーストラリアのほかに香港、シンガポール、アイルランド、英国、ドイツなどで食品安全担当機関からリコールに関する情報が発表されています。リコールの原因は豆乳そのものではなく、この製品に添加されていた昆布エキス由来のヨウ素です。

 オーストラリアとニュージーランドにおけるヨウ素欠乏については以前説明したことがありますので参照してください。この商品は平均的日本人が摂っても健康上問題になるようなことはないだろうと考えられますが、ヨウ素欠乏状態にある人がたくさん使うと甲状腺ホルモンの値が異常値を示すことはあるでしょう。

 問題なのはこの商品の売られ方です。オーストラリアでのBonsoy豆乳の販売業者は、Spiral Foodsという味噌や醤油などの日本食品や有機食品などを扱っている、いわゆる「エコ」や「ナチュラル」を指向した業者のようです。企業ロゴが陰陽マーク(大極図)をデザインしたものであることから東洋風のものが好きなようです。Bonsoy豆乳は「日本の伝統のレシピ」として豆乳に昆布エキスとハトムギを入れたものという紹介になっています。このへんで日本人としては疑問に思うところですが、それをミルクの代用品として、コーヒーショップなどでもベジタリアン用のカフェラテを作るのに使ったりしていたようです。

 さらにSpiral Foods社の商品説明コーナーでは、医師に相談した上でとの断り書き付きですが、赤ちゃんにも薄めて飲ませることができると書いています。基本的に赤ちゃん用ミルクは一般的食品とは別の安全基準がありますから、そういうことは薦められません。ミルクアレルギーがある場合でも豆乳は代用品としては薦められません。ましてこの商品は昆布に由来するヨウ素が多く含まれていて、赤ちゃん用には不適切です。

 Bonsoy豆乳のリコールに関する説明文を読んでも、我々の商品が原因であるという明確な根拠はないとか、食品中のヨウ素濃度に基準値はないから検査していなかったということが主張されていて、同社が主張する「健康的で安全な食品」というのは科学的根拠によるものではなくイメージや思いこみによるものだということを示しています。昆布にはミネラルが豊富に含まれると宣伝していながらヨウ素については知らない、ということは普通はあり得ません。

 さらにこの手の自然食品やオーガニック食品を好んで購入する人たちは、そうでない人たちより食品の選択肢が少ないため特定の商品を多く摂る可能性が高いという問題があります。大抵の食品は、それが異国の食べ慣れないものであっても、時々少量を口にするだけなら何の問題もありません。時には珍しいものを食べてみるのも楽しいでしょうし、最初は珍しがられていたものでもやがて現地の食文化に取り入れられて馴染んでしまうこともあるでしょう。しかし健康に良いという触れ込みで、そればかりを食べるような導入方法はリスクが大きくなります。

 もう一つ気になるのは先の記事でも紹介したヨウ素欠乏対策としてのパンを作る際の塩へのヨウ素添加義務が「有機」パンでは除外されているということです。例え公衆衛生上の措置であっても「添加」は認めないという有機食品関連団体の主張で有機食品にはヨウ素は添加されていません。従って有機食品を選択するのなら自分で適切なヨウ素の摂取に努めなければならないのですが、それが周知されているかどうかは疑問です。Bonsoy豆乳を購入していた人たちが、主に有機食品を食べている人たちで、かつヨウ素についての知識が不十分であるとすれば(Bonsoy豆乳には昆布が入っていることは記載されていたので知識のある人ならわかります)、ヨウ素不足になっている可能性が高い人たちに高濃度のヨウ素を含む食品を販売していた可能性があります。

 日本の輸出業者としては商品をほめてもらっているし、たくさん売れるから歓迎したいことなのかもしれませんが、その結果が世界中に流れる「日本産豆乳リコール」のニュースでは、健康被害とは直接関係のない日本や豆乳まで印象が悪くなってしまいます。

 欧米での日本食ブームに便乗して輸出を考えている食品製造業者も多いと思いますが、相手側の商品への理解度やどのような人たちが購入するのかについても十分検討して欲しいと思います。そして相手国の法令遵守はもちろんですが、基準があるかどうかといった表面的なことだけではなく、科学的にリスクを検討して、リスクに基づいた対応をして欲しいと思います。

※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。

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About 畝山智香子 30 Articles
国立医薬品食品衛生研究所安全情報部第三室長 うねやま・ちかこ 宮城県生まれ。東北大学大学院薬学研究科博士課程前期二年修了。薬学博士。専門は薬理学、生化学。「食品安全情報blog」で食品の安全や健康などに関してさまざまな情報を発信している。著書に「ほんとうの『食の安全』を考える―ゼロリスクという幻想」(化学同人)。