宇宙食から地上の食の安全へ

アメリカですでに90年近い歴史を持っていた食品メーカーのピルズベリー。その会社が宇宙食を製造する技術を持った。これはもう、鬼に金棒です。宇宙飛行士向けに絶対に安全な食事を提供するという極めてハードルの高い仕事を成し遂げた会社にとって、当時の一般の食品の製造は実に遅れたものに見えたことでしょう。

往時のピルズベリーを象徴する巨大製粉工場「Aミル」(2006年、Alan Levine撮影)
往時のピルズベリーを象徴する巨大製粉工場「Aミル」(2006年、Alan Levine撮影)

 だから、宇宙食を造ったその技術を、ピルズベリーは自社の既存の部門の工場の中にも生かすことを考えたわけです。と言うよりは、ベビーフードへのガラス片混入事故(連載第1回参照)への対応として、これに取り組まざるを得なかったというのが事実だったかもしれません。

 いずれにせよ、ピルズベリーはガラス片混入事件を起こしたにもかかわらず、信頼される食品メーカーの名声を取り戻しました。宇宙食製造の技術を持っていて、それを自社に活かし、さらに米国食品医薬品局(FDA)への指導さえ行ったことで、それが実現できたわけです。

 そして、これは今日のあなたの仕事でも有効な話なのです。宇宙食を造るように仕事をすれば、絶大な信頼を勝ち取ることができるでしょう。あなたの工場の中でも同様に安全な商品を造ってみたいとは思いませんか?

抜き取り検査は不良品の出荷を許す

 ここで、ピルズベリーの宇宙食製造ノウハウの核心の部分を、もう少し具体的に見て学んでいきましょう。

 それまでの食品工場での“旧式のやり方”のなかで、宇宙食を造るのに適した“新式のやり方”との違いが最もはっきり表れるのは、検査の方法です。“旧式のやり方”では製品検査がどこで行われていたかというと、工程の最後のところでした――最終製品が最終的に箱詰めされる直前で、抜き取り検査を行っていたのでした。

 それ以外には検査個所はありませんでした。最終段階だけで集中的に実施されていたのです。しかも、すべての製品を調べる全数検査ではなく、少数の製品をときどき取って調べる抜き取り検査ですから、製造工程の途中で事故品が生じたのにチェックに引っかからずに出荷される場合も多々あったわけです。検査に合格しているはずなのに、問題のある商品が出て来る可能性がある仕組みです。

 連載の最初で紹介した、ボン・ヴィヴァント製の缶詰にボツリヌス菌が入っていた事例は、まさにこの“旧式のやり方”で発生したのです。製造工程の中で製品が十分に加熱されなかったためにボツリヌス菌が死滅していないという事故が起こっていたのに、これが最終検査を通過してしまい、結果として内部で菌が増殖した缶詰がそのまま市場に出回ったのです。

 ボン・ヴィヴァントの工場では缶詰の50%以上がシール不良だったということも紹介しました(連載第2回参照)。仮に不良発生率が50%だとすると、最終の包装前の箇所での検査に引っかかる確率は50%ということになります。そして、たとえば1時間に1個の最終製品を検査したとして、検査不合格が出たときの1時間の製造分を廃棄処分したとしても、良判定の出た別の1時間に製造した製品の50%が実は不良品だという可能性があるわけです。

 このやり方で安全な食品を出荷し続けられるかについては、大いに疑問が残るのです。

 しかし、“旧式のやり方”は、商品開発部が検査をして営業部がそれを売るというきわめて単純な仕組みで、時間もかからない方法でした。それで長年行われてきたわけですが、こんなやり方ですから、会社の機構としても本社と工場とはかけ離れていて、それぞれが独自に活動をするという形だったのです。つまり、各部署がバラバラに作業をしていて、統一が取れていなかったわけです。

行動と組織を変える「全体としての安全システム」

 これに対して、ピルズベリーが採用した“新式のやり方”では、このようなただ1回の最終製品検査ではなく、「全体としての安全システム」を作ります。それは、製造工程のすべての段階で品質保証をするというやり方でした。

 しかも、これは会社の機構自体も変えました。「全体としての安全システム」では商品が製造されるすべての工程において、それぞれの部署が自分たちの持ち場の責任を持つという形に変えたのです。これは、従来のような、作る部門、検査する部門、販売する部門などがバラバラに動く形ではなく、全従業員が一致団結して作業に当たる形です。これを実現するために、商品開発も垂直的に系統立ったやり方で行われました。

 この新しい方法と新しい組織の中では、今までは考えられなかった部署の考えられなかった活動も起こってきました――営繕部・工務部のスタッフ、研究所の研究員、広告宣伝部のスタッフ、法律の専門家までもが、製造に関わることになるのです。

 たとえば、工場内でコンベヤーを組み合わせて作るラインには、真っ直ぐ進むのでなく曲がる箇所を設けることがあります。そして、そこに製品が滞留してしまったり、製品がコンベヤーのガイドにぶつかって不良品が出てしまったりすることがしばしばあったとしましょう。そんな場合、“旧式のやり方”では、支障が起こるたびに製造部の作業員がそこに行って不良を取り除いたり流れを直したりということをしていました。

 それに対して、“新式のやり方”では、それは実は製造部の問題ではなく、曲がる箇所に角があるなど支障が発生しやすい構造があるためだという根本的な原因にフォーカスします。そして、営繕部・工務部がその部分を滑らかに作り直すことで問題を解決するわけです。これが、それぞれの部署が自分たちの持ち場の責任を持つということです。

 このように機構と仕事の仕方を変えたことで、全体が有機的に動くようになり、社内の様子は従来から見違えるような大きな変化を遂げます。このコンベヤーの曲がり角問題の例では、まず、製造部長がこの問題は設備の不具合が原因だと判断します。そこで、営繕部長に伝達してそこを改善してくれるように要求します。営繕部長は役員に曲がり角の改造の資金を出してくれるように要求します。また、もしもコンベヤーのガイドに製品がぶつかって、その部分の金属片が剥がれて商品に混入して、消費者がそれによって口の中を切ったとしたら、これは法務部が対応の責任を負うことになります。そこで、法務部長は早急に曲がり角の改善を要求するでしょう。

 つまり、“新式のやり方”では社内の各部署において「全体としての安全システム」に責任を持つことになった結果、中間管理職の考え方までも変えたのです。

 ピルズベリーのこの取り組みが正しかったことを証明するデータがあります。まだ多くの食品メーカーが“旧式のやり方”を続けていた1983年〜1991年の9年間に、市場では130回のリコールがありました。しかし、ボーマン博士が主導した宇宙食製造の技術を全社に生かす改革を推進していたピルズベリーでは製品に発生する問題は消滅し、この期間のリコールがゼロという記録を達成したのです。

食肉関連の新しい食中毒事故がもたらしたもの

 一方、米国ではその後、1993年に新たな食品の問題が発生しました。舞台は、米国では有名な「ジャック・イン・ザ・ボックス」というハンバーガーチェーンです。同チェーンの米国西部4州の73店舗で食中毒事故が発生し、4人の子供が死亡するという重大な事件となりました。その原因菌は、腸管出血性大腸菌O157でした。使用したミートパティが、その頃の米国では耳慣れない名の細菌に汚染されていたのです。そして、店舗では、細菌が死滅する温度(68℃)に達しない生焼け状態で調理して提供したことが最大の要因でした。

 これら汚染肉の有力発生源として、米国国内5とカナダ1の食肉処理工場が特定されました。当時はこの病原菌については米国ではほとんど知識が普及しておらず、結果的に見逃されて、このような大きな事件となったのです。

 ところが、事件は米国に止まりませんでした。オーストラリアでも同様の事件が起こり、100人以上の被害者が出て1人の子供が死亡しました。

 一方、1990年代半ばのことですが、スコットランドで精肉販売業者から購入した肉を食べた消費者が21人も死亡するという事故が発生して大騒ぎになりました。その肉は腐敗していました。

 このようないくつかの不幸な事件が重なる中で、ピルズベリーで成功した「全体的としての安全システム」が世界の食品産業から注目されることになりました。この方法は、ついに米国内だけでなく、世界の各地で導入されていったのです。これによって、食品業界全体の安全性は格段に高まったと言えます。しかし、そこに至るまでに数多くの犠牲者がいたことを、決して忘れるべきではありません。

 また、O157など食肉に関連して発生した食中毒事件は、「全体としての安全システム」を実現するための重要な考え方を改めて強調することにもなりました。それは、食品安全はフードチェーン(食の連鎖)のすべてのステップに含まれていなければならないという考え方です。

 従来の考え方では、食品の安全やそのための工程管理は工場で品質管理を担当するスタッフに任されていました。しかし、「全体としての安全システム」では、食品の原料となる農産物の栽培、動物の飼育、水産物ならその漁獲から始まって、それらの一次加工と、加工食品を造り出す工場でのさまざまな工程、さらに出来た製品の物流の過程、販売の現場、飲食店なら調理と提供、最後にはそれら食品を消費するまで、これら一連の流れのすべての段階で、それぞれに携わる人たちが自分たちの持ち場の責任を持たなければならないこととなります。当然、一つの会社の中で収まる話ではないのです。

ジーン・中園
About ジーン・中園 6 Articles
Happiness Success コンサルタント じーん・なかぞの 1949年大阪市生まれ。食品マネジメントの専門家として食品製造と飲食店運営に関する指導・助言を行う一方、成功のための著述・講演活動を行っている。1973年日本マクドナルド入社。国内と米国での店舗運営を経て、ハンバーガー大学プロフェッサー、購買本部QA(品質保証)マネジャーを歴任。1990年退職し、オーストラリア・ゴールドコーストの新規開店日本レストランの支配人として移住し繁盛店をつくり上げる。その後シドニーに移り、米国系大手野菜製造加工工場QA部マネジャーおよび食品コンサルタントとして活躍。2009年より6年間日本に“単身赴任”し、取締役工場長として世界基準の食品工場をつくり上げた。著書に、「小さな飲食店をつくって成功する法」(日本実業出版社刊)、「日本品質の食品工場はこうつくれ!」「なぜあの人は5時帰りで年収が10倍になったのか?」「Samurai Quality Assurance On Foods, 2,000 Hits In Japan」「Gene' s Upside Down method of ENRICHING YOUR LIFE!」「藤田田の頭の中」(各・香雪社刊)などがある。※ジーン・中園公式ページ →