有機は信条、制度、マーケであり、栽培技術ではない

化学肥料を使用しない水田〈右〉と、慣行栽培の水田〈茨城県で〉。右の水田の農家曰く「うちの目標はローならぬノー・コスト経営」
化学肥料を使用しない水田〈右〉と、慣行栽培の水田〈茨城県で〉。右の水田の農家曰く「うちの目標はローならぬノー・コスト経営」

化学肥料を使用しない水田〈右〉と、慣行栽培の水田〈茨城県で〉。右の水田の農家曰く「うちの目標はローならぬノー・コスト経営」
化学肥料を使用しない水田〈右〉と、慣行栽培の水田〈茨城県で〉。右の水田の農家曰く「うちの目標はローならぬノー・コスト経営」

前回の記事に対して、何人かの読者から「この筆者は有機農法派であるか?」といった問い合わせが寄せられた。これについては、連載の回を重ねるに従って徐々に明らかになるようにと考えていたが、疑問や誤解を生むのは本意ではない。ここで私の基本的なスタンスを明らかにしておこうと思う。

「有機農法を支持するか?」という質問に対しては、非常に答えにくい。と言うのは、私の場合、栽培技術としての有機あるいはオーガニック(以下有機)というものは空想的なものだと考えているからだ。そういうものに対しては、支持も不支持も表明できない。「けしからん」と思われる方も多いと思うが、私がなぜそのように考えるのか、具体的な例に沿った話は、それこそ回を追ってじっくり紹介していくしかない。今回は、その考えに至る道筋について触れておくだけにする。

 その一つは、有機の定義が、Codex委員会やIFOAMの基準のように基幹となるものに収斂されてきてはいるものの、未だ世界各国に多数ある認証の主体によって一様とは言えず、これが社会的な制度の問題であって、栽培技術を説明する自然科学の言葉ではないと分かること。今一つは、例えば改正JAS法施行規則に言う「化学的に合成された農薬、肥料及び土壌改良資材」が何を指し、どのような根拠で、そうではないものと区別されるべきなのかがはっきりしていないなど、有機の定義の根幹にかかわる部分に明解でない点があること。

 農業生産の現場で解決すべき課題は時間と場所によって様々だ。社会的な制度や、曖昧で大雑把な定義では、それぞれの圃場に出現する課題は正確に見えて来ないし、解決もできない。むしろ、無視できない数の物質をまとめて排除しようとするアイデアは、課題の解決をより難しくするだけのように見える。

 通勤の場合を考えてみればいい。ありがたいことに、今日我々は家から会社にたどり着くために様々な手段が使える。徒歩、自転車、バス、タクシー、電車、自家用車などなど。それぞれの手段にそれぞれのベネフィットがあり、それぞれのリスクがある。人はそれぞれ、自分の家と会社の位置などによって、これらを様々に使い分ける。東京の人の多くは電車を使う。家が駅から遠ければ自転車やバスも使う。電車が不通になったり寝坊した日にはタクシーを使う。運動不足と分かれば一駅手前で降りて余計に歩く。通勤でクリアすべき課題は、いつもオンタイムに到着すること、交通費をかけ過ぎて会社に迷惑をかけないこと、そして自身の健康を保つことなどだ。これに対して、「徒歩だけが本当の通勤だ」「1mたりともガソリンを燃やして移動すべきではない」と言うのは、普通のことではない。

 農業の生産も同じことだ。ありがたいことに、今日我々は実に多様な肥料、農薬、資材、機械を選んで使うことができる。それらから、それぞれの農家が経営と圃場の状況によって最適な組み合わせを選ぶことができる。圃場を場所と時間で適度に細かく分けて検証し、足りないものを補い、過剰なものをカットし、発生した障害を排除する。農業生産でクリアすべき課題は、品質の良い作物を得ること、コストをかけ過ぎて顧客に迷惑をかけたり経営を圧迫しないこと、圃場を物理的、化学的、生物学的に良好な状態に保つことなどだ。

 また、通勤の場合と同じように、その組み合わせが環境にどのような負荷をかけるかも、今日の市民としては考えるべきだろう。これに対して、「しかじかの方法による栽培だけが本当の農業だ」などと言えるかどうか。

 ちなみに、前回紹介した内田氏が化学肥料を使わず有機肥料を使っているのは、93年の大冷害の折、それまで全面的に展開していたいわゆるV字稲作区がイモチ病で壊滅状態になり、たまたま試験的に作付けていた有機肥料区が持ちこたえたことがきっかけだ。ある一時期に即効性の窒素を強く効かせる栽培法はリスクが高いと判断し、緩効性の肥料を使った体系に切り替える経営判断を下した。これは内田氏が行ってきた様々な問題解決の一部であって、この一つを取り上げて「有機栽培に転じた」と断定するのは正確ではない。

 さて、有機というものが栽培技術としては架空のものであっても、それを否定するつもりもさらさらない。信条やライフスタイルとして、そしてマーケティングとしては厳然と、軽視できないものとして存在するからだ。

 農家は、有機が自分の人生観に合うと思えば、または儲かると思えば、それに取り組むのだ。私などをはじめ誰かに意見されるべきことではない。ついでに言えば、農業で充実した人生を送っている、または事業が成功していると聞けば、どちらの場合にも私は共感し感動することを期待して、お話をうかがいにどこへでも押しかけたい気持ちだ。

 ただし、買い手、消費者の側については多少の懸念がある。それが信条でもライフスタイルでもないのに、有機だと聞くと思考停止に陥り、実際の商品の品質を見ていない人が多い。ほかに農産物選びの判断の基準を持っていないからだ。有機の販売量の無視できない部分をこうした人々が支えている疑いがある。

 有機農産物でも、味や状態の悪いものはたくさんある。有機は「どう作るか」の取り決めであって、「何ができたか」を保証するものではないからだ。例えば、私は携帯できる大きさの硝酸イオンメーターを持っているのだが、これで測ると、有機栽培であると慣行栽培であるとに限らず、とても食用には適さないほど硝酸イオンを含んだ野菜に出くわすことがある。有機農産物でも、品質の悪いもの、危険なものはあるし、同様に「化学的に合成された農薬、肥料及び土壌改良資材」を使ったものでも、品質が良く安全なものがあるのだ。

 有機であるか否かというのは、消費者が品物を選ぶ基準として完全なものではない。そのことを消費者の多くが知らないでいる。

※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。

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About 齋藤訓之 398 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所特任研究員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。日本フードサービス学会、日本マーケティング学会会員。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →