日米の食洗機とGM、機能と文化の比較に想う

北海道の一農村に住むダイズ、コムギ生産者であっても、しっかりした農政のおかげで、冬期間には3週間ほど米国に行くことができる。そのようなことを25年ほど続けていると、やはり米国料理と日本料理の違いを肌で感じることができる。実は料理そのものの話ではなく、今回は器であるお皿と食に関する話をしたい。

 一番の違いは、料理を載せる皿の数。米国では基本は1枚である。私がよく行く米国中西部の夕食には直径1フィート、つまり30.5cmの大きな皿1枚にメインのベイクドポテト、時にはマッシュドポテト(でも決してフレンチフライはない)、これに加えて肉料理、そして副菜の豆料理か温野菜を組み合わせるのが定番だ。夕食のポテトに油を使わない理由は、肉料理で油を多く使うから。少しでも油を減らそうとする努力の賜物らしい。肉料理はメインがビーフだが、時にはポークやチキンとなる。

 さて、我が家に帰ると、米国料理を十分周知しているはずの料理自慢の妻が、最低でも1人当たり3皿以上の料理を作ることになる。いつも大変そうなので、皿数を減らすことを提案すると、大抵の場合「愛情たっぷりの料理は不満ですか?」と言うお言葉をいただくことになる。絶対的な量は米国の方が多いのに、なぜ皿数が米国は少なく、日本は多いのか?

 答えは意外なところにあった。自動食器洗い機(食洗機)を利用するためらしい。食洗機の中をのぞくと、皿が斜めに置くようになっていて、皿の大きさよりも枚数の方が重要になっている。米国製の食洗機であれば4人家族分の皿、とフライパンをすっきりと収めることができる。ところが、日本製の食洗機は米国製と同じ価格で2分の1の枚数しか洗えない。おかしな話である。日本の食事の方が皿を多く使うのに、食洗機マーケットはそれに対応していないのだ。

 では、日本料理を米国並みの30cmの皿で盛りつけることは可能なのだろうか? さっそく、やってみた。料理の種類にもよるが、これが案外うまくいくのだ。そして一番喜んだのは妻であった。その結果、食後の食器洗い作業が著しく減少した。ここまでやって思うことは、私に出来て、なぜ日本では普及しないのだろうか。「日本食は器も楽しむものだ」といった意見をよく聞くが、本当にそうだろうか?

 たとえば、電子レンジに金属の飾りのついた食器を入れることはできない、同じように食洗機に入れることもしない。それでは、日本だけが金属の飾りがついた食器が多いのかといえば、そんなことはなく、それなりに電子レンジ対応の食器が多いと思う。つまり、日本の食器も米国のようにシンプルに大皿一枚にしようとすれば(そこまでいかなくても、皿数を少なくしようとすれば)、できるのだ。

 それに毎日、高級料亭の食事が出るわけではないのに、そろそろ時代に合わせた感性や食事、具体的には大きな皿に合わせた日本料理を考えても良いのではないだろうか。歴史をさかのぼるほど、食事は生きるためだけに口にしていたかも知れない。ではなぜアジアとヨーロッパでは皿の大きさや枚数に違いがあるのか、そして、そのことは単なる偶然なのか、それともよく知られている狩猟民族、耕作民族の違いから来ているものなのか。

 もしかしたら、その国や民族の豊かさは皿の大きさと枚数に関係があるかもしれないなんていう研究成果や論文はないのだろうか。食洗機にはいろいろなエピソードがある。

 決して豊かではなかった1967年の夏に、父が母の仕事を減らすために、我が家にこの食洗機が導入され、それまでの冷たい水による手洗いから解放された母親が喜ぶ顔を40年以上たった今でも覚えている。残念ながら翌年の冬に家を2週間ほど留守にしていたときに水抜きを忘れていたため、食洗機の内部のパイプにある水が凍り破損してしまい、結局は半年少々の寿命で終わった。

 当時の両親の知り合いは、茶わんにこびりついた乾いたご飯が落ちるはずがないと、今のGM(遺伝子組換え)反対派のように批判的に話していたが、一度覚えた楽な生活方法を簡単には捨てることはできないと、その時から学んだのだろう。そしてまだ幼かった自分がやらせてもらえる唯一の作業で、カップを使い食洗機に入れる洗剤の感触と香は技術の進化を肯定し、田舎からの脱却を示すことだと今では理解している。

 その後、自分が結婚するに当たり、妻とこのような会話をした。「このご時世、男であっても、皿洗いを手伝わないと言う訳にはいかない、しかし本音はやはりやりたくはない」。そこで、次のような提案をした。「米国製のでかい食洗機を買うから、これで手を打たないか」の申し出に対し、簡単に「OK」が出て、それ以後、皿洗いは手伝っていない(これは男として誉高いことだろうかと考えなくもないが……)。

 このとき私は、必ず妻が「OK」を出すと確信していた。なぜならその当時、妻の実家では、2相式から全自動洗濯機に買い換え、その威力に驚いていたことを知っていたからだ。その当時でも手洗いが普通なのに、米国製の最新式“大量無差別兵器”を見せれば、“ナギナタ”では勝てないと理解させる目論見は見事に成功した。世の男子諸君に言いたい「妻を恐れる前に近代化を恐れるな!」

 この米国製の食洗機は120v(電圧)、60Hz(サイクル)仕様、日本の東日本では100v、50Hzである。電気に詳しい方はご存じだろうが、電圧が同じ場合、現実はサイクルの違いがモーター能力にはっきりと現れる。日本の代理店に電圧とサイクルの違いがどのような問題を起こす可能性があるのか問い合わせてみたところ、「米国製の物をそのまま日本で使用しても性能にほとんど問題はない」と言われた。ところが日本製の食洗機を扱う販売店では、難しい電圧とサイクルの話を持ち出し、先ほどの「ご飯粒」には対応できないと繰り返すことになる。まるでGMと同じである。現実は消費者ではなく、流通業界の問題なのかもしれない。

 この食洗機には専用の顆粒状の洗剤を使うが、日本製はご飯茶わんにも有効と言うことで重量当たりの価格は米国製の2倍する。おかしな話だ。米国製の洗剤は米国の数百万のアジア系が食するコメも理解して販売しているのに……。

 実はいたずらで国産の液体洗剤を入れたことがあり、大変なことになった。当たり前だが、機械の中が泡だらけになり、手で取り除くことになり、その後も泡が消えないで、余計なことをするなと子供たちから怒られてしまった。

 なぜこの米国製の食洗機が国内で普及しないの? 答えは簡単だった。住宅の大きさの問題がある。一度米国の食洗機を経験した者は日本製の食洗機を使おうとは思わないはずだ。本来、日本料理は皿の枚数が多く、米国製の食洗機の方が有効利用できるのに、住宅設計はまるで日本食は日本人を豊かにしないようにも感じられることがある。

 住宅の大きさ、食洗機の導入など、どこかで何かを変えなければならないはずなのに、世の中の動きはそうではないと感じることがある。それは勝手に無駄な問題を作り、それを解決しようとする日本人そのもののように思える。そして国内でのGM作物栽培も同じことが言えるかも知れない。

※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。

About 宮井能雅 22 Articles
西南農場有限会社 代表取締役 みやい・よしまさ 1958年北海道長沼町生まれ。大学を1カ月で中退後、新規就農に近い形で農業を始め、現在、麦作、大豆作で110ha近くを経営。遺伝子組換え大豆の栽培・販売を明らかにしたことで、反対派の批判の対象になっている。FoodScience(日経BP社)では「北海道よもやま話」を連載。