新しい方法と文化を重ねていく

もう十数年前になりますが、台湾を訪れて感心したことの一つは街の清潔さでした。所によっては、んだ檳榔びんろうを吐き出した赤いシミが道路にというのはなくはないのですが、一般にどこもよく掃除されていました。お店のカウンターやテーブルもぴかぴか。

世界で最も美しいトイレ

 なかでも心打たれたのは、蒋介石を顕彰する中正紀念堂敷地内の公衆便所でした。一歩入って私は雷に打たれたような衝撃を受けました。便所自体は小さな古い建物で、特別な形ではない、日本の公園でもよく見るようなものです。ところが、その床は正座して弁当を広げられるのではないかと思うほど磨き上げられ、臭いも全くないのでした。あれほど清潔なトイレを、私は日本を含めて世界のどこでも見たことがありません。

 もちろん、特別な施設内だからということはあるでしょう。しかし、清潔さのありがたみや力を知っている人たちだから、これができるのに違いないと息を呑みました。

 あの光景を思い出すと、今年、新型コロナウイルス感染症への対策で世界で最も成功した国の実力の源泉に気づかされるのです。かつて「瘴癘しょうれいの島」とさえ呼ばれた台湾の、今日の姿はまさにフォルモサ=美しき島です。人の行動、習慣は変えることができ、それが新しい国の姿を造るのだと思います。

飲茶の器をすすぐ楽しみ

器を湯ですすぐ行動は飲茶の楽しみに含まれている。
器を湯ですすぐ行動は飲茶の楽しみに含まれている。

 香港に行ったときは、通訳の方が飲茶に付き合ってくれて、作法などについて解説もしてくれました。面白かったのは、食事の前に、用意された器に湯をかけてかちゃかちゃとすすぐ習慣です。それは、昔、露店などで食べることが多かった時代に、食器は洗浄不十分で汚れたものとみなされていた頃からの習慣だということでした。今はしっかりと洗っているはずですが、香港の人々はその習慣をやめないのです。そして、食事の前に家族や友達とおしゃべりをしながら、湯の中で食器をくるくる回している彼らは、実に楽しそうでした。そこから食事は始まっているのです。

 手元を見ると、箸は2膳あります。その使い方と理由を尋ねると、うち1膳は取り箸だとのこと。かつては香港の人々も直箸で食事を取っていたそうですが、このように取り箸が用意されるようになったのは、中華人民共和国からSARS(重症急性呼吸器症候群)が入って感染拡大した2002〜2003年からだったとのことでした。彼らはSARS禍を克服し、私が訪問したのは、感染症の心配が全くなくなっていた頃でした。それでも、彼らは一度使い始めた取り箸をやめないのです。

 それで気づかされるのは、出来事やその原因が消えた後も、新しいスタイルは残り、それが新しい楽しみにもなっていくということです。しかも、その前のスタイルが完全に消えるわけでもない。クレープを重ねて、ミルクレープという新しい味わいを作っていくように、出来事は記憶され、新しい層として加わり、地域の文化として残っていくわけでしょう。

繰り返し立ち上がり直し文化を創っていく

 2020年、私たちはずいぶんとひどい目に遭いました。しかし、得たものもたくさんありました。まず衛生に目覚めました。マスクの効果についてはいろいろ議論がありますが、手指を清潔にすること、卓や道具を拭き上げることを、私たちは思い出しました。これは、食中毒予防や一般的な感染症予防にも役立つことですから、手洗いなどは来年以降も、できれば食事前の新しい楽しい習慣として残していきたいものです。

 また、災害があるたびに起こり、触れるものですが、お互いの善意を感じ合う場面が多くありました。とくに、たとえば東日本大震災などの災害では、不足を補う方向の協力が多く話題に上りましたが、2020年は逆の形、手元から出て行かないものを引き受けたり配ったりする方向の協力も多く話題に上りました。

 ほかにも、キャッシュレスへの対応はキャンペーン後も進みました。外食業では、店やチェーンによっては、あまりやってこなかった、あるいは全くやってこなかったテイクアウトやデリバリー対応もやってみました。そして、それらの特徴、いいところと悪いところ、有効なところと無理なところとを、身にしみて検証することができました。

 なにより、不幸の渦中でも得たもので最も大きなものは、これまでのよいところの再発見だったでしょう。当店を大切に想ってくれているお客様を再発見したことも、当店の本当の特徴や価値を再発見したことも、たくさんあったでしょう。その宝の上に、よい変化と新しい行動や習慣を、そっと重ねていく。

 避けがたい厳とした現実として、来年以降も私たちは繰り返しひどい目に遭わされるでしょう。それでも、私たちは繰り返し立ち上がり直し、新しい文化を創っていくでしょう。その継続が、自分の、自店の、自社の、そして国や地域の、自信と力になっていくのだと信じています。

About 齋藤訓之 307 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所客員研究員。昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。日本フードサービス学会会員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。東京栄養食糧専門学校非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →