初めてのリーファー・コンテナ使用提案

昨今、「ワインの輸送にリーファー・コンテナは不要」との主張を見かけるが、それが可能になった背景には逆説的な現象があると考えられる。ところで、リーファー輸送提案を行った前後のストーリーは、リーファー・コンテナメーカーとの出会いに至る。これで、船倉内の温度推移など、得難いデータを入手できることとなった。

リーファー不要論の背景

 現在、ネット上を見渡すと、フランス・ワインの輸入業者の一部には「“リーファー輸送”は不要であり、“船内指定積み付け”で十分対応できる」としている方々がいらっしゃる。

 これまで述べてきた経緯でもわかるように、25年前のリーファー輸送提言以前にも、ドライ・コンテナで良好な状態で日本に到着していたワインもあったことは確かであり、それは船内指定積み付けで輸送したものであった。

 しかし、そのほとんどはドイツ・ワインであり、フランス・ワインがこの輸送方法を採れる幸運に恵まれる可能性は極めて低いものだった。繰り返すが、ワインのリーファー輸送の提案は、その対策として行ったのである。

 実際、この提案の後、輸送法を改めたのはフランス・ワインの輸入元が多数を占め、次いでイタリア・ワイン、スペイン・ワインの輸入元(現実にはフランス・ワインの輸入元が兼業している場合が多かった)がその後に続いた。つまり、船内指定積み付けで船倉内の良好なポジションが確保できる最後のチャンスがあるルアーブル港(フランス)を出港して、それ以降に積み込まれるワインたちである。

 ドイツ・ワインの輸入業者の方々が「リーファー輸送」を採用したのは、これより数年を経過した後であった。その数年の間に、日本でのドイツ・ワインの消費量にどれだけの大異変が起きたか思い起こしていただきたい。あのドイツ・ワインの低迷は、決して甘口ワイン離れだけが原因ではないのだ。そして、現在はドイツ・ワイン業界もリーファー輸送が主流である。

 では、なぜ今“リーファー輸送不要論”が出てくるのだろうか。考えれば簡単な話だ。日本のワイン輸入業界の主流がリーファー輸送に切り替ったことで、船内指定積み付けにとって良好な積載ポイント(そのベストは船側強制吸排気口下部)がガラ空き状態となったにすぎないのである。

 つまり、一時的に船内指定積み付け採用業者に幸運が訪れる確率が増しているだけだ。だがワインを輸入している東アジアの国は日本だけではない。ドライ・コンテナで船内指定積み付けを採用する業者が各国で増えれば、この幸運は確実に遠退く。さらに、船積み前と陸揚げ後のマーシャリング・ヤードでの劣化の可能性を考えれば、推奨できる方法ではない。

おかしな電話

「神の雫」(オキモト・シュウ、亜樹直)

 2004年に日本ソムリエ協会のブラッシュアップセミナーで講演して2年後であっただろうか。韓国の大韓航空系列会社のスタッフだと言う女性から電話をいただいた。

 かなり狼狽した声で「ドライ・コンテナで運んだワインは本当にダメなんですか?」「船内指定積み付けではだめなのですか?」といきなり聞いてきた。「『神の雫』に出ていることでも間違っていることなんてあるんですか? 韓国はみんなドライ・コンテナで輸入していますよ!」とまくし立てる。

「私は恥ずかしながら『神の雫』と言う漫画を読んだことがないので何が書いてあるか知りませんが、それより大韓航空なら系列に海運会社があるでしょうから、そちらにデータを提供してもらって独自に確認した方がいいですよ。リーファー・コンテナでいちばん見かける会社のロゴはHYUNDAI(現代)ですけど」と申し上げた。

「ウチの系列企業はHANJIN(韓進)です。困った。どうしよう」と言って、名前も社名も言わずに電話は切れてしまった。何とも無礼で不愉快な電話であった。

コンテナメーカーとの出会い

 さて、話は戻る。個別のケースでのワインのリーファー輸送提言は、「酒販ニュース」での発表の3年以上前から始まっていた。縁あって、ワインの商品選択と輸送法のアドバイスを依頼したいという企業グループが現れたのだ。

 当初はカリフォルニア帰りの加藤兼道氏経営のアストル・ジャパンであった。加藤氏はカリフォルニアからハニーデューメロンを日本へ紹介し、販売した人物とのことであった。乳白で薄緑色をした網目のない、小ぶりのスイカほどもある大きなメロンで、1970年代に「ダイエー」の売り場に並んで評判を博した。

 ところが、メロンで大成功した加藤氏は、ロス近郊に自社農場を作ろうとして不動産取引で詐欺にあった。破産状態に陥ったところを、ロスの日系米人実業家フレッド・和田氏と国際興業の小佐野賢治氏に助けられて帰国し、再起を図っている最中の人物とのことであった。

 加藤氏のためにまとめた「リーファー・コンテナ使用提案」を提出すると、ビジネス・パートナーである日軽商事(現日軽産業)という企業が登場してきた。日軽商事は日本軽金属の子会社であり、系列にはリーファー・コンテナ製造企業でもあった日本フルハーフがあったのだ。日本フルハーフは船会社との関係も深く、そのお陰で、船倉内の温度推移など荷主にも公開されない情報も入手できた。

 当時の日本軽金属は、1983年に銀座の本社ビルを売却し、翌年三田に移転した直後だった(現在は東品川)。ワインのリーファー輸送提案には、この親会社も色めき立ったらしい。もし世界中のワイン輸送がリーファー・コンテナに切り替わったならば新規需要は膨大であり、他社に先行して供給体制を構築できるのである。

「大久保さん、とりあえず日欧間航路に5年間、毎年500基のリファー・コンテナを投入します。供給体制はどうなると思いますか?」と言う。「かなり手当てしやすくなるのですか?」と逆に尋ねると、「いいえ。ただ行方不明になるだけです。それほどに大きな市場なのです」と言って相好を崩していた。海運業界の一翼を担う企業である。世界中で海上輸送されているワインの総量など先刻ご承知なのだろう。

 優柔不断の私は、1985年まで師匠・山岡寿夫氏にも内密でこのアドバイスを行っていた。船内指定積み付けによって高品質なワインを提供してきた山岡氏に破門されるであろう事態は、刻々と迫っていた。

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About 大久保順朗 82 Articles
酒類品質管理アドバイザー おおくぼ・よりあき 1949年生まれ。22歳で家業の菊屋大久保酒店(東京都小金井市)を継ぎ、ワインに特化した経営に舵を切る。「酒販ニュース」(醸造産業新聞社)に寄稿した「酒屋生かさぬように殺さぬように」で注目を浴びる。また、ワインの品質劣化の多くが物流段階で発生していることに気付き、その改善の第一歩として同紙上でワインのリーファー輸送の提案を行った。その後も、輸送、保管、テイスティングなどについても革新的な提案を続けている。