「テキーラフェスタ2012」主催者予測を上回る盛況

イベントを楽しむムードは他のスピリッツの試飲会等とは明らかに違う(写真提供:日本テキーラ協会)
イベントを楽しむムードは他のスピリッツの試飲会等とは明らかに違う(写真提供:日本テキーラ協会)
「テキーラが好き!」で集まった入場者の数は400を超えた(写真提供:日本テキーラ協会)
「テキーラが好き!」で集まった入場者の数は400を超えた(写真提供:日本テキーラ協会)

日本テキーラ協会(東京都港区、林生馬会長)は、12月16日、「テキーラフェスタ2012」を東京豊洲の「カフェハウス」で開催した。2008年7月に発足した同協会の初めての全国的なイベントで、協会の予測を上回るおよそ400人が来場した。

 テキーラを使ったカクテル・コンペティションも行い、北は札幌から南は福岡まで全国から集まったバーテンダーによる6チームが競作。江刺幸治さんをリーダーとするチームDの作品「仮面貴族」が優勝した。

 林生馬会長は「今年の成功を来年につなげたい」と、来年もさらに規模を拡大してテキーラフェスタを開催する意向を示した。

テキーラが苦手である筆者による「テキーラ・フェスタ2012」レポート

――ニュース記事風に書けば、まぁこんな感じになるだろうか。

 日本で洋酒、分けても蒸留酒の発表会と言うとウイスキーがメインになることが多い。日本最大のイベントである「FOODEX」(日本能率協会)しかり、蒸留酒に特化した「バーショー」(ウィスク・イー)しかり。ウイスキーをメインとしたイベントは「バーショー」以外に大規模なものだけでも「モダン・モルト・ウイスキー・マーケット」(三洋物産)、「ウイスキー・フェスティバル」(スコッチ文化研究所)などがあるが、ジンやウォッカ等他のスピリッツに関してはラムが頑張っているくらいで、輸入代理店が一堂に会するイベントはなかなかないというのが現状だった。

 そんな中、4年前に発足して地道に活動を続けてきた日本テキーラ協会が、満を持して全国的なイベント「テキーラ・フェスタ2012」を開催するという。

 正直な話をすると、筆者は暑い国の酒があまり得意ではない。たしかにタイで原付バイクに3人乗りで雑踏を走り抜けながら飲む「メコン」や、ベトナムの昼下がりにアオザイ姿の女子学生を眺めつつ飲む「ネップ・モイ」はうまいのかもしれない。ラムやテキーラなら技術的にも歴史的にも、もちろん味の面でも確固たる地位を築いている、それも認めないではない。しかし、アクアビットやウォッカには感じる“思い入れ”を、熱い国の酒ではどうにも感じられないのだ。ラムなら「コルバ」のダーク、テキーラなら「エル・テソロ」のシルバー(ブランコ)さえあれば十分だと公言してはばからない筆者が、なぜテキーラのレポートを書くことにしたのか、から説明したい。

 あまり思い入れが深くないとは言うものの、ウイスキーの陰に隠れがちなウォッカを愛する人間としては、モルトウイスキーの独壇場であるかの観がある現在の洋酒(蒸留酒)界で、ウォッカと同じく少数派に甘んじているテキーラだけを集めた大掛かりなイベントに興味をひかれたのが始まりだった。

マイナスのイメージからのスタート

会場に入りきれなかった人は屋外特設テーブルで。晴天に恵まれたのが幸い
会場に入りきれなかった人は屋外特設テーブルで。晴天に恵まれたのが幸い

 どこのバーでもバックバー(酒棚)の目につきやすい“一等地”はスコッチとモルトウイスキーが占め、ウォッカは冷凍庫の隅に、テキーラはバックバーの端っこに追いやられているというのが現在の日本のバーの大勢だ。実際、銀座の有名なバーでさえテキーラと言うと「マリアッチ」のレポサドが1本という店さえある。

 片隅に追いやられているウォッカをこよなく愛する筆者としては、同じく冷遇を受けているテキーラについつい連帯感を感じて……とまあ、それだけの思いでチケットを購入した。

「テキーラが好きな人って、どんな人たちなんだろう?」そんな人間観察を兼ねてという心で、冷え込みが一段落した東京・豊洲の地下鉄出口を抜けると、そこにはまばゆいばかりの青空が広がっていた。なんとなく未来都市的な街並みは筆者の地元の中野とは大違いで、そこを行きかう地元住民と思しき人々が身に着けている普段着からしてファッション雑誌から出てきたようなオシャレな人が多い。セレブな人たちが住む町に、苦手な酒を確かめに行く――いやおうなく押し寄せてくる“アウェー感”を振り払いつつ会場に向かうと、そこには「テキーラ・フェスタ2012」への入場を待つ人の行列があった。

 5分ほど行列に並んで会場内に入ると、筆者が他で見慣れた洋酒系の試飲会風景とはやはり何かが違う。くだけた服装の人が多いし、スタッフもカラフルな色のTシャツ姿だからかとも思ったのだが、あたりをよく眺めていると理由はそればかりではないらしい。来場者の構成は老若男女さまざまなのだが、他の試飲会で見かけるような「勉強しに来ました」的な人がほとんど見当たらず、みんなそこに楽しみにやってきているのだ。

日本テキーラ協会会長の林生馬さん(写真提供:日本テキーラ協会)
日本テキーラ協会会長の林生馬さん(写真提供:日本テキーラ協会)

 今年6月に上梓されたばかりの著書「テキーラ大鑑」へのサインやら記念写真やらで来場者から引っ張りだこの日本テキーラ協会会長の林生馬さんが一瞬解放された隙を狙ってお話をうかがってみた。アメリカ生活が長かった彼が日本に帰って来て最初に驚いたのが、洋酒の中でもテキーラのイメージが“散々”なことだったと言う。

「ゼロどころか、マイナスからのスタートでした」と彼は協会設立に向けて動き出したころのテキーラ事情を語る。「とにかく、“会社の先輩が後輩に無理強いする酒”“バーで、連れてきた女の子を酔わせるための酒”、それが僕が日本に戻ってきて知った、日本人が持つテキーラのイメージだったんです」

 罰ゲームのようにどこかの酒が汚名を着るこの手の話は、洋酒の世界では実は今に始まった話ではない。戦前昭和では68度のアブサンがそうだったし、戦後、朝鮮戦争の時代はスクリュードライバーがその汚名を引き継いだ。“女を酔わせるための酒”はその後コークハイになり、「ロンリコ151」という75度のラムが引継ぎ、ニュース紙面を96度のスピリタスが賑わせたのが10年くらい前だろうか。

 つまり、度数が高かったり口当たりがよかったりする洋酒は、あたかもハンカチ落としのように、必ずどれかがありがたくない「無理に酔わせるための酒」「レディー・キラー」の汚名を襲名してきており、ちょうどテキーラにその順番が回ってきていたときに、彼は日本に戻ってきたことになる。

日本では不遇をかこち続けた酒

 日本でテキーラについて説明した文献は昭和8(1933)年まで遡ることも出来るが、それはあくまで好事家の予備知識として「こんな酒もあるらしいよ」という形での紹介であった。また、たとえば終戦直後の昭和21(1946)年の帝国ホテルのワインリスト(ドリンクメニュー)にラムは5つもあるのに、テキーラは見当たらない。これは最近リニューアルオープンが話題になった東京ステーションホテルの昭和29(1954)年のメニュー表でも同様だ。昭和34(1959)年頃になると、海外出張から帰国したビジネスマンの手土産といった形で銀座のバーにポツポツと入って来ていたものの、日本の一般人がテキーラの名を知るようになったのは昭和45(1970)年のメキシコ五輪からで、それまではテキーラの文字さえ見当たらないカクテルブック(「カクテルの作り方1200種」日本バーテンダー協会編、昭和41年刊など)が多かった。

 戦前から戦後(昭和40年代まで)のテキーラ事情に関してはまた別の機会に書こうと思うが、その後の日本でもスペイン料理店などを除けば、マイナーな酒であり続けたと言っていいだろう。「マンボNo.5」(べレス・プラード作曲)や、そのものズバリの曲名「テキーラ」(ザ・チャンプス)の「テキーラ!」の掛け声や、「黒いドレスの女」(1987)という映画で原田知世がマルガリータを注文して話題になったことを思い出すぐらいで、日本人がそれを実際に口にする機会というのは、そうそう多くはなかった。

 いや、ついついいつもの「洋酒文化の歴史的考察」の語り口になってしまったが、今回のレポートはFoodWatchJapan本来の「農業・食品・外食にたずさわるプロの新しい視点」に沿ったテキーラの最新事情なので、そろそろ「テキーラ・フェスタ2012」の会場に戻ろう。

一転「イケメンと美女がたしなむ酒」へ

テキーラソムリエのお二人。テキーラソムリエは女性が半数を占める
テキーラソムリエのお二人。テキーラソムリエは女性が半数を占める

 日本テキーラ協会会長の林氏はテキーラにここ数年でついたネガティブなイメージを払拭するため、テキーラの製法やブランドを学ぶテキーラソムリエの制度を熱心に進めて来た。2011年1月にわずか21名からスタートしたテキーラソムリエ資格の取得者はテキーラソムリエ資格取得講座の回を重ねるごとに増加し、2012年末には1000人に迫る勢いだと言う。「三十代が中心で二十代も多いですが、かなり高齢の方もいらっしゃいますよ。男女比? だいたい半々でしょうか」(林会長)

 そう言われて改めて会場内を眺めると、たしかに来場者にも女性が多い。テキーラソムリエの証である、アガヴェ(テキーラの原料となるリュウゼツランの一種。とくにテキーラにはアガヴェ・アスールという専門品種が使われる)をモチーフにした金色に輝くバッジをちょっと誇らしげに襟に飾っている女性もそこかしこに見かける。その日は入場予定を300人と見積もっていたため、入り切れなかった人たちが外の庭に置かれたテーブルの周りにひしめいているのだが、中には当節流行の女子会かと見まがうような女性だけのテーブルもいくつか見かけた。

 トピックスとしては、若い女性に人気の鈴木えみさんという有名なモデルさんやEXILEのUSAさんという方(ファッションにも音楽にも筆者は不調法なため、「~という方」という回りくどい書き方になることはご容赦いただきたい)もテキーラソムリエの資格を取得したという。他にも名前は聞き漏らしたが、プロレスラーやプロ野球選手、作家などテキーラソムリエを取得する方の職業もバラエティーに富んでいる。今やテキーラもひところの芳しからざる評判を脱して名誉挽回、林会長と日本テキーラ協会のスタッフの努力もあって、ひと頃の「危険な酒」というイメージから「イケメンと美女がたしなむ酒」に変貌を遂げつつあるようだ。

テキーラの最新の飲み方

ビタースにライムを浸して上からブラックペッパーを振りかけたもの。これを一口かじってはテキーラを一口
ビタースにライムを浸して上からブラックペッパーを振りかけたもの。これを一口かじってはテキーラを一口

「エル・テソロ」のシルバー(ブランコ)一択で、アネホとレポサドの違いも怪しい(熟成年数で呼称が変わる。後述)筆者も、この機会だからということで会場内の各ブースで、ウィキペディアには出ていなさそうな話を探してみることにした。

 まず、銀色のトレーに並べられたライムの薄切りが目を引いた。作り方はライムを「家飲みでうまいジントニックを楽しむ」で説明したように1/16カットし、これをアンゴスチュラ・ビタースに数分浸した後(現場で見た感じではマリネに近い)、上から粗挽きの黒コショウを振りかける。これを一口かじってテキーラを一口、またライムをかじってテキーラをもう一口。たしかに、これは合う。イタリア人のバーテンダーが考案した飲み方だという。

 ここで筆者の“テキーラの引き出し”から数少ないネタを取り出すと、欧米ではここ10年ほど、テキーラのチェイサーとしてサングリータが脚光を浴びている。今回の「テキーラ・フェスタ2012」の会場では見かけなかったが、この機会にテキーラを本格的に楽しんでみたいと思った“テキーラ愛好家予備軍”諸氏のために簡単に説明すると、サングリータは大きく2種類に分けられる。

 一つはトマトジュースにタバスコやウスターソースなどの香辛料をふんだんに入れたもので、ウォッカ抜きのブラディ・メアリーを思い描いてくれれば間違いない。これが日本に増えつつあるテキーラ・バーでは主流なのだが、海外、とくに現在のテキーラ・ブームの火付け役となったアメリカでは、オレンジジュース(酸)にグレナデン(甘)、タバスコ(辛)を入れたものが多い。トマト・ベースのサングリータに飽き足らない好奇心旺盛な方は、ネットで「sangrita orange」で検索するとレシピが見つかるので、試されるのも一興だろう。

 なお、筆者はこのオレンジベースのサングリータを5年ほど前に六本木で飲んだことがあるが、甘・酸・辛が一体となったスイートチリソースのうまさがわからない筆者のいつわらざる感想は「……?」だった。

 ちなみに、筆者がフリーズした「エル・テソロ」のシルバー(ブランコ)を飲むときは、炭酸にライムを絞ってビタースを振りかけたものをもっぱら愛用している。

 というところで、また400人の熱気でごった返す会場に戻ろう。

テキーラを極めれば「ブランコに戻る」

イベントを楽しむムードは他のスピリッツの試飲会等とは明らかに違う(写真提供:日本テキーラ協会)
イベントを楽しむムードは他のスピリッツの試飲会等とは明らかに違う(写真提供:日本テキーラ協会)

 最新のテキーラ事情について、会場にいた輸入代理店の方々が口をそろえたのは、「最後には(熟成していない)ブランコーに戻る」ということだった。軽く熟成したレポサド(Reposdo)から入って、最低1年間樽熟成のアネホ(Anejo。最近はエクストラ・アネホというン万円するものがあるらしい)に行ったあと、結局樽熟成をしない透明なブランコ(Blanco)に戻ると代理店の方々は言っていた。

 なお、「シルバー」表記はプレミアム・テキーラでは「エル・テソロ」等の一部に限られており、非熟成高級品は「ブランコ」、普及品に「シルバー」表記が現地では一般的なことから、日本テキーラ協会は瓶にシルバーと記載されている「エル・テソロ」を含めて「ブランコ」と総称しているとのことだ。

 筆者はブランコだとユラユラと足元が覚束なくなりそうなのと、個人的に「ブランカ」という響きが、どこか金属的でシャープな風味のテキーラに似合うので使っている。バーでは「ブラン“コ”ですね?」と念を押されるのが関の山なので、読者にはお勧めしない)に戻ると言う。

 これには思い当たる節があって、昔の「バランタイン」の30年や「ネプラス・ウルトラ」などの“超”がつく高級なスコッチになると、オードヴィ(生命の水)とかエリクシール(精髄)といったニュアンスに限りなく近づいていって「ただ、もう、口中で甘美な協奏曲を奏でつつ、アルコールの力強さと甘い余韻を残して喉を滑り落ちていく酒」になってしまい、極上のコニャックなどと味のベクトルが接近してくる。要は美酒であることは疑いないのだが、“スコッチらしさ”がなくなってしまう。それと同じことが、テキーラにもあるらしい。

 それでは、熟成をかけないブランコの味の違いはどこから来るのか。代理店の方は、アガヴェの産地の高低による違いを挙げた。彼らによると、火山灰質の痩せた土壌の低地(バジェス地区)では小さなアガヴェで作られるため、個性的な味わいになる。一方、肥沃な高地(ロス・アルトス地区)ではアガヴェが大きく育ち、スッキリ系のテキーラを産出するという。そうした“テロワール”による違いの他に、スコッチやジンでおなじみの蒸溜段階におけるトップとテールの切り方、日本酒の酒米の精白に当たるピニャ(アガヴェの株の部分)をどこまで削るか、銅製の蒸留器を使っているかステンレスか……といったことがテキーラの各ブランドの味と値段の違いに反映されるという。また搾汁の方法では、さすがに昔のようにロバに引かせていたのでは製造が間に合わないものの、味わいを守るために現在でもシュレッダー型ではなく、回転式の石臼を使って搾汁しているメーカーもあるという。

 こうしたメーカーごとのこだわりと、それによる味の違いに通じる人は日本ではまだ少ないが、奥深く興味の絶えない世界が広がっていることがわかる。

日本のテキーラ市場は成長の余地大

「テキーラ大鑑」(林生馬著、廣済堂出版)

 テキーラをビジネスとして捉えている慶応大学の学生起業家の方にもお話をうかがうことができた。FoodWatchJapanはフード・ビジネスの専門サイトなのだが、筆者自身は、現在「洋酒文化の歴史的考察」の連載で書いているのが幕末長崎・出島のオランダ酒である()ことからもおわかりのように、ビジネスとはおよそ無縁のテーマが専門ジャンルになる。いつも昔話ばかり書いているおわび、と言うわけではないのだが、今回会場でうかがった「ビジネスの視点から見たテキーラ」の話はちょっとユニークだったので説明したい。

 彼は最初からテキーラが好きなわけではなかったと言う。いや、正確に言えばテキーラのことを最初はよく知らなかった。では、個人の嗜好としてではなく、ビジネスという視点から、テキーラのどこに興味を引かれたのか。彼によれば、その発端は「アメリカと比較した場合の日本市場の可能性」だったと言う。アメリカでのテキーラの年間取扱高が1300億円である一方、現在の日本の取扱高はわずか10億円に過ぎないという。仮に今後の日本に期待できる市場規模をアメリカの1/10=130億円と見積もってみても、現在の実際の消費量との間には13倍の開きがある。加えて、日本を取り巻く海外情勢でとかく波風が立ちやすい昨今、“隠れた親日国・メキシコの酒”という点にもビジネスチャンスを感じたと言う。ここ数年、「FOODEX」では妙にテキーラの出展が盛んだったのだが、彼はそこで出会ったプレミアムのテキーラを製造するメーカーと折衝を繰り返して輸入にこぎつけたという。

「なるほど、ビジネスと言うのはそういうところに着目するものなのか」と感心しながらも、やはり筆者の興味はテキーラの「味の違い」に戻る。上に掲げた話は飽くまでも聞き書きなので、拙稿を呼んで興味を持たれた読者の方は(筆者もまだ持っていないのだが)林氏が著わした日本初のテキーラの専門書「テキーラ大鑑」をご覧いただきたい。

テキーラの味の魅力

高地ロス・アルトス地区の「カサドレス」(.左)とバジェス地区の「1800」。ともにブランカを試す
高地ロス・アルトス地区の「カサドレス」(.左)とバジェス地区の「1800」。ともにブランカを試す

 この辺りで「テキーラが苦手である筆者による『テキーラ・フェスタ2012』レポート」を終えようとしたのだが、どうも足りないものがある。それが何かを思い出したのは、肖像権への配慮が求められる時代でもあり、拙稿に掲載したテキーラソムリエの女性の写真の掲載許可をいただきにテキーラ・バーに行った時だった。テキーラの味の違いが“なぜ”生じるのか、はここまでで説明してきたのだが、“どう”違うかを説明していなかったのだ。

 うかがったお店には何本もの見慣れぬテキーラがあったので、さっそく製造段階での味の違いが最もわかりやすいブランカ(コ)で、典型的な高地のものと低地のものを試させていただいた。「カサドレス」と「1800」(メーカーは「クエルボ」なのだが、瓶には「1800」としか表記されていないため、テキーラ好きの間では「1800」のスペイン語「ミルオチョ・シエントス」を略して「ミルオチョ」と呼ばれている)という。

 両者をグラスに入れて嗅ぎ分けた時点では、さほど違いがあるとは思えなかったのだが、口に含んでみると、たしかな違いを感じることができた。「カサドレス」は、最初ちょっと驚くほど甘さを感じさせた後はドライに移行して、最後はすっきりした後口になる。それに対し、「1800」(クエルボ)は最初に感じるかすかなスモーキー・フレーバーに驚いているうちに、別なニュアンスが次々に顔を出してくる。常温で飲んでいると南国スピリッツに特有の厚みのある“まったり感”が出てくるので、一つだけ氷を入れてもらうと、今度はどちらもすいすい飲めるようになる。

 日本テキーラ協会が推奨する“飲みごろ温度”は、熟成の若い順に、ブランコ(10~12℃)レポサド(15℃)アネホ(18℃)なので、冷凍庫に「エルテソロ」を置いて野生の花を思わせる香りを楽しむ筆者の飲み方は、正統派から入ろうとする読者の方々にはあまりお勧めできないのだが、ブランコに関しては“冷蔵庫でちょっと冷やす”くらいまでは許容値の範囲のようだ。

「実際にメキシコに行って触れたアガヴェの第一印象は「重っ!」でした。小さいものでも赤ちゃんぐらいの大きさはあるものが、収穫時にはゴロゴロそのあたりに積み上げられているんです。高地の大きな株だと100kg近いものもあるみたいです」と、テキーラバーの店長で、スタート間もない頃にテキーラソムリエとなった彼女は笑う(2ページ目2枚目の写真左側の女性)。同協会が企画したツアーで、何カ所ものテキーラ蒸留所を実際に見て来た彼女の話を続けよう。

「切ったばかりのピニャにそれほど強い匂いはありません。断面はジャガイモでもないし、大根とも違うし……(スマホで撮った写真を筆者に示しながら)断面を見ると大きな松ぼっくりに近いのがわかりますか? この中心部分だけ使うメーカーと、株から出ている葉の根っこの部分も一緒に釜で煮るメーカーがあって、それが味の違いになるようです」

 その後、彼女のテキーラ談義はとどまることを知らず、筆者が店を出たときには午前0時を過ぎていた。

 筆者は酒を飲み始めてから30年ほどになるが、その30年間に口にした量を遙かに超えるテキーラをこの一週間で飲んだような気がする。筆者の最も好きな洋酒がウォッカであることは変わらないのだが、タイトルは「テキーラが苦手で“あった”筆者による『テキーラ・フェスタ2012』レポート」に変えるべきかな、と思いつつ、本レポートを終了としたい。

About 石倉一雄 129 Articles
Absinthe 研究/洋酒ライター いしくら・かずお 1961年北海道生まれ。周囲の誰も興味を持たないものを丹念に調べる楽しさに魅入られ、学生時代はロシアの文物にのめり込む。その後、幻に包まれた戦前の洋酒文化の調査に没頭し、大正、明治、さらに江戸時代と史料をあたり、行動は図書館にバーにと神出鬼没。これまでにダイナースクラブ会員誌「Signature」、「男の隠れ家」(朝日新聞出版)に誰も知らない洋酒の話を連載。研究は幻の酒アブサン(Absinthe)にも及び、「日経MJ」に寄稿したほか、J-WAVE、FM静岡にも出演。こよなく愛する酒は「Moskovskaya」。