産地で食べる硬い刺身

「文藝春秋 SPECIAL」季刊秋号の特集「『老後の楽園』はここにある」に、「城あり、港あり、よそ者あり――うまいものはそこにある」なる文章を寄稿させていただきました。

 リタイアして悠々自適の生活をするのに、大都市を離れて暮らそうと考えたとき、その“楽園”をどのように探すか、そのヒントを集めた特集で、私はその土地ならではの食を楽しめる場所の探し方という視点で書かせていただきました。

 この中で漁港について触れた部分があるのですが、原稿に含めなかったこぼれ話を少しお話します。

 魚がたくさん獲れる地域では、都会で食べるのとはちょっと様子の違う刺身が出ることがあります。

 たとえば瀬戸内の和食のある繁盛店へ取材にうかがって、撮影させていただいた膳を試食させていただときのことです。これに乗った白身魚の刺身は肉厚に切ったものでした。しかも活ものに近いカチカチの硬さで、うま味はまだこれから出るかといった段階のもののようでした。それを口に含んで目を白黒させていると、店主が不思議そうに私の顔をのぞき込みました。

 ものにもよるわけですが、肉でも魚でも絞めて時間が経つに従ってうま味成分(イノシン酸)が出て、軟らかさも増します。魚屋さんも板前さんも、その頃合いをはかりながら提供するものと思いますが、そうではない場合もあるのです。

 このお店のご主人によれば、「この土地の人はこういうのを好む」ということでした。実際、来店したみなさんが喜んでこれを食べていました。

 こうした刺身が出てくる地域は他にもあって、たいていは漁港が近く、鮮度のよいものが手に入るところです。こうした地域では、うま味よりにもまして歯ごたえに価値があるのでしょう。文化としての味覚は実に多様なものと感じた経験でした。

 しかし、思い返せばこれはひとの話でもなかったのです。また郷里函館の話を持ち出して恐縮ですが、函館ではかつて朝獲れたばかりのイカを自転車に積んで売り歩く人がたくさんいました。夜が明けたばかりの街に「イガ、イガァ~」という声が響いたのです。

 これを奥さん方が呼び止めて買い、すぐにイカ刺にしてしまう。これが函館の朝ご飯の定番だったのです。

 そういう街で育った私の母ですが、新婚時代を父の任地である他県で暮らします。ある日、その土地の魚屋さんで“獲れ立てのイカ”を勧められました。そこで「獲れ立てならお刺身ね」と言ったところ、魚屋さんの奥さんに「あんたはイカがわかってない」と笑われた由。

 調べてみると、イカのうま味成分は絞めた後で増えるものではないようなので、獲れ立てのイカを刺身にすることはそれなりに意味のあることのようです。

 しかし、これは透き通ってきれいなものの、なんとも硬い刺身です。かく言う私も、どちらかと言うと、やや時間が経って白く軟らかくなったイカの刺身のほうが甘みを感じて好きですが、なにしろこういうことは銘々の好みの問題です。

 夏休みに旅行をされる方も多いと思います。訪れた先の、その土地の味と、住んでいる地域で普段食べているものの味の違い、調理の違いをいろいろに発見され、楽しまれますように。

※このコラムはメールマガジンで公開したものです。

齋藤訓之
About 齋藤訓之 300 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所客員研究員。昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。日本フードサービス学会会員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。東京栄養食糧専門学校非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →