ごちそうさま

priceless
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FoodScienceのWebmaster中野栄子さんのはからいで、この欄の執筆者一覧を汚させていただくようになって5年が経ちました。専門家の先生方が多い中、場違いで申し訳ないと考えるたびに私の役割を説き、励ましてくださった中野さんとスタッフのみなさんに、そして忍耐強くお読みくださった読者のみなさんに、心から感謝しています。本当にありがとうございます。

 食に関する話題の最後ですから、「ごちそうさま」という言葉についてお話します。このまま堅苦しくない書き方で進めさせてください。日本人は、食事を終えると「ごちそうさま」と言います。「馳走」は相手が喜ぶようなことのために奔走することで、「ごちそうさま」はその苦労をねぎらい、贈り物のすばらしさを讃える言葉です。食事の後にこの言葉を使うのは江戸時代後半から始まったことのようですが、温かなよいならわしだと思います。

 この言葉、誰かの家で食事をいただいたときはもちろん、普段の家庭の食事の後にも言うようにしつけられているでしょう。さらに、お店で代金を支払って食事をする場合でも「ごちそうさま」を言うものですが、私はそのことをとても面白く感じます。

 飲食店での食事は、小売店で食品を買うのと同じく、対価は通貨で支払うものです。ところが、小売店で食品を買うときには「ごちそうさま」は言わず(「ありがとう」と言う美しい習慣を持っている人はいますが)、飲食店で食べたときには「ごちそうさま」を言う。また、飲食店での消費でも、テイクアウトする場合は言わないものです。不思議な感じがしませんか?

 小売店での購買やテイクアウトは食べる前だからという説明も成り立つでしょう。では、駅や高速道路のサービスエリアの売店でおにぎりを買って、売店の目の前にあるベンチで食べた後、わざわざ売店の人のところへ行って「ごちそうさま」を言うでしょうか。どちらかと言えば、言わないという人が多いでしょう。

 飲食店は、代金を支払ってもらう上に「ごちそうさま」とお礼の言葉をかけてもらえる素敵な仕事です。なぜ、飲食店だけがそうしてもらえるのでしょうか。恐らくその違いは、食事の用意をしてくれた人の存在を強く感じるかどうかです。オープンキッチンや屋台のように、実際に調理をしている人が見えたり、言葉を交わすことができるようになっていれば、ほぼ必ず調理者その人に「ごちそうさま」という言葉がかけられるでしょう。また、たとえ調理者が見えない店でも、料理を運んでテーブルに並べてくれた人が、「ごちそうさま」と言ってもらえます。

 言葉の意味からしてそうですが、「ごちそうさま」は食事そのものに対するものではなく、人の行いに対して発せられる言葉です。食べ物に対してはお金を支払う。そのお金には、材料費と人件費その他のコストとそれらを組み合わせて創り出した価値に対する対価(利益)もちゃんと含まれています。しかし、それでも支払いきれない何かをお客は感じる。それは人がしてくれた何かです。そのために、「ごちそうさま」という言葉を渡す。つまり、飲食店はお金であがなうことができない何かを、お客に提供しているのです。カード会社のCMで使われた priceless (写真)という言葉は、まさにその部分を指しているでしょう。

 そう考えると、最近の外食産業には、何か間違いや勘違いに向かっている店やチェーンがあるように思われてなりません。今はたいていの店やチェーンがサービスを強化しています。これはもちろん悪いことではありません。しかし、サービスを強化した分、メニュー単価や客単価を上げるという考え方には疑問があります。

 リピートを促進するためだとか、サービスを強化することで商品の価値が適切に伝わるようにし、うまく伝わっていなかったときよりもメニュー単価を上げようと考えるなら賛成です。しかし、サービスを付加価値の一つと考えて、サービス自体に金銭的価値を設定し、それをメニュー単価に上乗せするという考え方の場合はどうでしょうか。私は、その考え方が強すぎれば、その店やチェーンは外食産業のカテゴリーからはずれると考えています。

 極端な例をひきますが、昔あったノーパン喫茶という業態。あの仕掛けは、コーヒーの価値を高めるためのものであったかと言えばノーです。今日的なマンガ喫茶やインターネットカフェの類も、膨大な数のマンガをそろえたりインターネットの環境を用意しているのは、コーヒーの価値を高めるためよりも、マンガを読ませる、インターネットを使わせるサービスそのものが商品のはずです。キャバクラなどにしても、本当の商品は酒やつまみではなくて、女性とのおしゃべりでしょう。

 風紀を乱すような商売であれば反対ですが、ここに挙げた業態が一律に悪いわけではありません。ただ、外食産業とは別の仕事だということです。とくにプロフェッショナルなサービスを提供する業態では、サービス料を別に立てます。そして、そのようなサービスを提供する従業員には、人件費としての給料を支払うだけでなく、サービスによって得た利益の分配としての報酬も支払っているはずです。

 しかし、外食産業の本来の商品は、あくまでも料理でしょう。ハンバーガーをほおばって知らなかった味を感じること、ジュージューいっているハンバーグステーキをフォークとナイフで食べること、家では作れない大きなパフェを前に満面の笑みを浮かべること、サーバーから注ぎ立ての生ビールのクリーミーな泡とキレのよいのどごしを味わうこと。外食産業が提供してきた付加価値は、そういうものが生み出していたはずです。外食産業のサービスはあくまでそれらを適正に整えるためのものであって、付加価値=利益には含まれていなかったはずです。だからこそ、お金とは別に「ごちそうさま」という言葉をかけてもらえたのです。

 人によるサービスは食品メーカーができないものです。だから、飲食店が食品メーカーに勝つためにサービスに力を入れるのは正しいと考えることもできるでしょう。しかし、食品メーカーが「ごちそうさま」という言葉と無縁だと考えるのは誤りです。食品メーカーは、家庭で料理を作る人が家族や恋人から「ごちそうさま」を言ってもらうことを支援する仕事をしていると考えてみてください。どんなに優秀なフロア担当のパート・アルバイトでも、お客の家族や恋人には勝てないでしょう。そうとなれば、外食産業で最も重要なことは、一般の人が家庭では作れないようなものを開発し、提供することだと、もう一度気付くことができるのではないでしょうか。

 外食産業の市場規模を回復し、より伸ばすためには、まずそこから考える必要があると考えています。そうして外食が食品産業をリードしてこそ、食品全体の市場はいまよりもずっと活気づくでしょう。

 昨今、なぜ消費者は食の安全・安心ばかり問題にするのでしょう。「それはマスコミが煽るからだ」という声もあります。そういう面もあるでしょう。では、なぜマスコミは食の安全・安心ばかり論うのでしょう。おいしいとか、楽しいとかという事柄について、ニュースが少ないことが一因ではないでしょうか。

「もう新しいおいしさなんか作れない」と嘆く方は、少し気分転換に映画でも観に行ってみてください。マスコミも大騒ぎした「アバター」はまだやっていますし、もうじき「アリス・イン・ワンダーランド」が始まります。映画は衰退産業と言われていたのに、科学技術の進歩で今までにない体験ができる3D作品を生み出しました。それが記録的な数の人々を映画館に動員し、家庭で使うテレビを作るメーカーにも前向きな大きな影響を与えています。

 世の中にそれほどの、いやそれを上回るような驚きと楽しみを与えるような料理や食べ物はできないとあきらめますか。科学者と技術者が、今日ほど食べ物に関心を持つ時代は、これまでになかったはずです。その力を得て、最高の笑顔と拍手で「ごちそうさま」を言ってもらえる産業を取り戻しませんか。

※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。

齋藤訓之
About 齋藤訓之 302 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所客員研究員。昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。日本フードサービス学会会員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。東京栄養食糧専門学校非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →