「食育」の前に「理科離れ」を止めるのが先

またぞろテレビの受け売りだが、なんでも、理科の実験の授業が苦手な教師が増えているのだという。何週間か前の「クローズアップ現代」(NHK)で、その話題を取り上げていた。番組では、そうした教師が増えている原因の一つを、彼らが生徒だった頃の指導要領に求めていた。彼らの時代、物事の結果だけを覚えさせ、その理由や機作を丁寧に教えることの大切さは軽視されていたのだという。

 その事情なら同情する。思い当たることがあるからだ。

 個人的な話だが、私の場合、今でこそ文章を書いて、人に読んでもらってお金を頂戴するような仕事をしているが、中学校までは国語が大の苦手。そのかわりに一番好きだった教科は理科と数学だった(実際の成績がどうであったかはご想像にお任せする。いや、想像しないでください)。

 なぜ好きだったのか今考えてみると、授業に実験や観察があったからだ。目の前で起こる不思議に驚き、その種明かしがされる。それが面白かった。数学には実験はないではないかと言われるかもしれないが、そんなことはない。先生が黒板に数字や記号を書いていって、それが行を追うごとに様子を変えていくのは、折り紙の手さばきや万華鏡を回しているのと同じように見える。あの不思議は、理科の実験の不思議と同じ種類のものだと思う。

 ところが高校では、私の物理や化学や生物に対する接し方は、中学校までの理科のようにはいかなくなった。化学の授業の初日に、先生は「実験はしない」と宣言した。受験に必要な知識を卒業までに網羅するためには、そんなことをしている時間はないという。あのまだ肌寒い春の日の一瞬の一言以来、私は化学の授業に対する積極的な気持ちを全くなくしてしまった。

 その結果、こうしてFoodScienceに原稿を書かせていただいている今、ときどきほかの執筆者や読者の方々からお叱りやご指導を受けているわけだ。やはり十代の勉強はあなどれない。

 高校時代に私の物理や化学の成績が振るわなかった理由を先生や学校のせいにするつもりはない。なぜなら、同じ授業を受けた同級生に成績の良い者はたくさんいたからだ。彼らは、それぞれに自分で興味をかき立てる何かを身に付けていたのに違いない。だから、私が勉強に関して尊敬するのは、先生方よりも級友たちだ。

 というようなことを思い出し、もしも中学校や小学校から理科の授業がそのようであったなら、それほどつまらない教科はないだろうと想像する。あの「どきどき」「わくわく」の経験をさせてもらえない生徒が多かったのなら、本人にとっても社会にとっても不幸なことだと思う。

 左巻健男さんの『水はなんにも知らないよ』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)には、もう少し深刻な話が書かれている。水に関する似非科学がいくつかあるのは周知の通りだが、あるものは教師たちから本当のことだと信じられてしまい、学校で教えてしまっているケースがあるのだという。水を入れた2つのビーカーの一方に「バカ」と書いた紙をはり、他方には「ありがとう」と書いた紙をはっておくと、なんらかの違いを生じるといった類の話だ。

 この手の話については以前にも書いた。もしまだ信じている人がいれば、先に左巻さんの本を読んで、頭を冷やしていただきたい。

 人にこの世の理を教えるはずの教師に、こういうものを信じている人が現れるというのは冗談にもならない、ゆゆしき問題だ。それにしても、なぜそういう教師が現れるのか。一つには、理科が苦手というか、基本的な理科の視点や態度を持たないまま大人になり、教師になってしまった人がいるということだろう。

 そして私はもう一つのことを考える。この人たちは、人にだまされた経験が少ないのではないか。学校という、狭く、情報の種類の限られた世界はさながらサンクチュアリで、嘘も誠もある世の中の機微にうとくなっているのではないか。だから、たまに誰かが「私はギョーシャ(教育関係者が好んで使う用語で、ビジネスパーソンのこと)ではありませんよ」という顔をして接近してくると、アホウドリのように簡単に手にかかってしまう。

 なぜ今回、このようにしつこく教師について書いたかと言えば、この種の教師が、現代の消費者のある特徴を強調した戯画になっていると感じているためだ。

 不思議に驚き、種明かしに感心する人であれば、また聞いたり読んだりしたことを鵜呑みにせず、いったんは疑って真偽を確かめようとする人ならば、以下に掲げる事柄に否定的な態度を取るよりも、もっと知りたいと考えるはずではないか――食品製造の機械化、作業のマニュアル化、食品の輸入、うま味調味料、食品添加物、化学肥料、農薬、F1の種苗、遺伝子組換え技術。

 いずれも、「食育」の名のもとに書籍、雑誌、講演、Webサイトなどで否定的に紹介されているのを、私がこれまでに見かけたことのあるテーマだ。

 真剣で楽しい、まともな教育があれば、「食育」などという熟していない言葉を持ち出して人々を惑わすことなどしなくて済むはずだ。まして、その語をテーマとした法律や特別な予算など全く必要ないと、私は信じている。

※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。

齋藤訓之
About 齋藤訓之 302 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所客員研究員。昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。日本フードサービス学会会員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。東京栄養食糧専門学校非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →