ジエチレングリコール混入ワイン事件(3)

その後のドイツ、フランス、旧ソ連、旧ユーゴスラビアのさまざまな動き、出来事を見ると、ジエチレングリコール混入ワイン事件はその前ぶれであったように見える。大久保氏は、いずれにせよ、事件は事故ではなく故意によるものであったことを銘記すべきだと考える。

「ゴルゴ13」の読み過ぎ

「ゴルゴ13」(さいとう・たかを)

 一概に言い切れないが、ユーゴスラビア産のワインの価格は、オーストリア・ワインの10分の1から30分の1と見てよい。これをドイツ・ワインに化けさせれば、途方もない採算性を有する犯罪となる。小国の軍事費にも匹敵するような額となるのである。

 当時のユーゴスラビアはチトー大統領を失った後の連帯指導体制下にあり、政情不安が囁かれていた。「ユーゴスラビアが危ない!」――私は直感的にそう思った。

 そのころ、二人の友人と「真夜中のラーメン屋歩き」をしていた。一人は、ドイツでの修業から帰ってソーセージ職人として頭角を現していた「ケーニッヒ」(König)店主の島崎智融氏。もう一人は、地理学者で学芸大講師(現教授)の加賀美雅弘氏。

 ラーメンをすすりながら、この二人に“このユーゴ産ワイン陰謀説”を話すと、「大久保さん、『ゴルゴ13』の読み過ぎじゃない?」と笑われてしまった。

  • 1985年11月 レーガン、ゴルバチョフ会談(ジュネーブ)
  • 1986年 4月 チェルノブイリ事故。ペレストロイカ(建て直し)とグラスノスチ(情報公開)へ
  • 1987年   独仏合同旅団設立
  • 1989年10月 独仏合同旅団作戦可能な状態に
  • 1989年11月 ベルリンの壁崩壊
  • 1990年   独コール首相の対ソ経済援助
  • 1990年10月 ドイツ再統一
  • 1991年 8月 ソ連で8月クーデター(ゴルバチョフ監禁事件)
  • 1991年12月 ゴルバチョフ辞任でソ連崩壊
  • 1991年 6月 スロベニア独立宣言(ユーゴスラビア紛争/十日戦争)
  • 1991~95年 クロアチア紛争(ユーゴスラビア紛争/4年戦争)
  • 1992年 2月 マーストリヒト条約調印
  • 2002年 1月 ユーロへの通貨統合(現金通貨としてのユーロ発足)

10日間戦争と4年戦争

 笑われはしたが、1991年、はたしてスロベニア独立紛争は起きた。

 当時新婚間もない加賀美氏は、ちょうどルプレヒト・カール大学ハイデルベルクへ半年間出向くことになっていた。

 私は、「オーストリアとスロベニアの国境の状態がどんなものか、そしてイタリア・トリエステとの位置関係もハイデルベルグ大学で調べられたら教えてね!」とお願いした。というのも、私はトリエステワイン事件もジエチレングリコール混入ワイン事件とリンクしていると思っていたからだ。

 すると加賀美氏、「大久保さんの望むイタリア・トリエステからレンタカーでオーストリア経由でドイツへ走ってみるよ!」と言う。

「冗談辞めてよ! 停戦状態だけどいつまた戦闘再開になるかわからないじゃない! かみさんを未亡人にする危険性だってあるんだよ!」と止めたが、加賀美氏は「大丈夫。オーストリアと交戦している訳じゃないんだから!」と言って、本当にそのルートで出かけてしまった。

 そのハイデルベルグからの一報は、私が密かに予想していたことを裏付けるものだった。「フェンスもバリケードもないよ! 道路のアッチ側とコッチ側みたいなもので、往来自由の状態だったよ」と言うのだ。

 スロベニア独立は十日間の戦闘だけで終結したが、その隣国クロアチアは独立を勝ち取るのに4年の歳月を要した。話はついていたのではなかったか。

 クロアチア紛争の最中のある日、店にクロアチアからの留学生と名乗る若い青年が現れた。クロアチアの子供たちへのカンパをして欲しいとのことだった。「平和になったら、お礼にクロアチアのワインをお持ちします」と言って、何度も手を振って帰って行った。

 それからしばらくしたある日、テレビのニュースでNATO軍が連邦軍撃退のため、戦場と化したクロアチアのブドウ畑に劣化ウラン弾を打ち込んでいる映像が流れた。

「あれは本当にNATO軍? それとも独仏合同旅団? ブドウ畑の放射能汚染がなくなるのに何年かかるのだろうか? ――私の生きている間にはクロアチ・アワインの輸入はないな」と思い、胸が痛んだ。

 ジエチレングリコール混入ワイン事件の不正利益は、クロアチアとセルビアいずれの軍資金となったのだろうか? それとも独仏合同旅団設立の資金となったのだろうか? まさかソ連邦崩壊資金? 確かにジエチレングリコールは、ソ連・東欧圏では無着色で流通していた不凍液であるが。

 またなぜ、スロベニア独立紛争は僅か十日の戦闘で終結できたのだろうか? 今でも胸のモヤモヤが晴れないで困っている。

事故ではなく故意であったはず

 本日(2011年7月27日)、ドイツ・ワインとジエチレングリコール混入ワイン事件を検索していて、Wikipediaの記事を見て唖然としてしまった。見出語としてあるのは「1985年オーストリア産ワインジエチレングリコール混入事件」と、当事国がオーストリアに限定されたものだけで、記述も一連の事件の一部だけになっている。

 ジエチレングリコール混入ワインは、欧州域内でもドイツ、オーストリア、イタリア、フランスの4カ国産ワインで確認されていた。日本の大手ワイン企業も、Wikipediaのこの記事ではマンズ1社だけについて細かに書かれているが、ジエチレングリコール混入ワインをつかんだのは同社だけではない。

 この事件の本質を見極めるには、「ジエチレングリコール混入ワイン事件」という認識を改めるべきだと考える。つまり、「ジエチレングリコール添加ワイン事件」と「多国間産地詐称ワイン事件」が合一した事件であるとの認識を持つべきだ。

 そして、甘味の補強ではなく、舌触りの滑らかさを与えるために添加される場合は添加量が少なく、健康被害も軽微と判断され、事件の拡大終息不能の事態を避けるために黙殺されたと思われる。しかし、辛口白ワインや赤ワインにも添加されていたことは忘れてはならない。

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About 大久保順朗 82 Articles
酒類品質管理アドバイザー おおくぼ・よりあき 1949年生まれ。22歳で家業の菊屋大久保酒店(東京都小金井市)を継ぎ、ワインに特化した経営に舵を切る。「酒販ニュース」(醸造産業新聞社)に寄稿した「酒屋生かさぬように殺さぬように」で注目を浴びる。また、ワインの品質劣化の多くが物流段階で発生していることに気付き、その改善の第一歩として同紙上でワインのリーファー輸送の提案を行った。その後も、輸送、保管、テイスティングなどについても革新的な提案を続けている。