ジエチレングリコール混入ワイン事件(2)

大久保氏は自身の経験から、ジエチレングリコールが混入したワインは1984年以前にも出回っていたと考える。その背景には、ワインのつくり手たちを超える大きなたくらみがあったのではないか。

嘔吐の原因

 私は、「ジエチレングリコール混入ワイン事件」は単なるワイン偽造事件や産地詐称事件ではないと思っている。

 1980年頃からと記憶する。私はドイツ・ワインの試飲商談会に出向くたびに、強い吐き気に襲われることが多かった。しかし、数年にわたって試飲商談会に出掛けている間に、奇妙なことに気付いた。私が吐き気に襲われ、トイレに駆け込むのは、いつも同じ会社系列のテイスティングの後と決まっていた。そして嘔吐の後に会場に戻り、他社のワインをテイスティングをしても、再びの嘔吐は起きないのである。

 私は二十歳前後の結核闘病時に、治療薬の抗生物質の副作用として肝臓が痛めつけられていた。健全な酒であっても、過剰飲酒をすれば肝機能は悲鳴を上げる。「ジエチレングリコール混入ワイン事件」発覚後の報道で知ったことだが、「ジエチレングリコールは、肝機能障害を持つ人間には健常人の数倍の毒性を発揮する特性がある」のだった。私も肝臓が健康であったならば、ひたすらおいしくテイスティングし、酔い痴れていただけだったかも知れない。

渦中の経営者は首相の姻戚

 その会社系列の名が、入手したブラック・リストにあり、この事件の中核と言ってもいい位置を占めていたのだ。

 その創設者はイタリア人で、ドイツの敗戦直後にドイツに渡った人物だ。敗戦国から敗戦国への移民である。

 そして、当時のドイツ首相ヘルムート・コール(Helmut Josef Michael Kohl)氏は、この会社の創業者と姻戚関係にあった。そのコールが、「ジエチレングリコール混入ワイン事件」捜査中に舞台となったラインラントプファルツ(Rheinland-Pfalz)州議会から、現職国家首相でありながら偽証罪で告発される事態となったのだ。

 私は固唾を呑んでその後を見守ったが、以後の事件報道は全く途絶えた。

 ジエチレングリコール混入ワイン事件以外のコール首相の動きは、1984年から目を見張るものがあった。フランス大統領フランソワ・ミッテラン(François Maurice Adrien Marie Mitterrand)と共に第一次大戦の激戦地ヴェルダン(Verdun)を訪問し、両国戦没者慰霊を行ったのだ。以後の両国は、反ネオナチなのか親ネオナチか判然としないが、脱米国依存ともいうべき大ヨーロッパ主義、ヒトラーも夢見た路線をひた走ることとなる。

 そして1987年、両国の合意の下に、NATO体制とは別個に独仏合同旅団が設立された。1989年には作戦可能状態となり、1993年には欧州合同軍の中核として編入されたとのことである。

偽装にうま味があるとすれば

 ところで、日本で渦中のワインとなった一つは、オーストリアのルスト・ノイジードラー・ゼー(Rust/Neusiedler See)産の原酒を、私の嘔吐の元とは別の西ドイツの会社がビン詰めしたものだった。

 彼らに、どんな“悪意”があったか、私は考えてみた。しかし、ルスト・ノイジードラー・ゼー周辺のワインに何かを添加して、ドイツのナーエ(Nahe)やラインヘッセン(Rheinhessen)のワインに化けさせても、“犯罪”としてうま味がないのである。

 ワインの移動監視が厳しいドイツで産地偽装を行うには、相当の買収工作資金が必要となるはずだ。その“コスト”が、資金をたかだか2~3倍に増やすために妥当なものであるかどうか。私には、どう推理しても採算性があるようには考えられない。

 では、誰が何のためにジエチレングリコール混入を行ったのか――。犯罪としての必然性を探すうちに、私はある仮説に辿り着いた。

 ドイツの南にオーストリアがあり、さらにその南にユーゴスラビアがあった。このユーゴスラビアのワイン価格に注目したのだ。

About 大久保順朗 82 Articles
酒類品質管理アドバイザー おおくぼ・よりあき 1949年生まれ。22歳で家業の菊屋大久保酒店(東京都小金井市)を継ぎ、ワインに特化した経営に舵を切る。「酒販ニュース」(醸造産業新聞社)に寄稿した「酒屋生かさぬように殺さぬように」で注目を浴びる。また、ワインの品質劣化の多くが物流段階で発生していることに気付き、その改善の第一歩として同紙上でワインのリーファー輸送の提案を行った。その後も、輸送、保管、テイスティングなどについても革新的な提案を続けている。