食事が語る女たちの来し方と心

[315] 「ちひろさん」「水は海に向かって流れる」から

ようやく残暑がおさまり、秋らしい気候となってきた今日この頃。今回は読書の秋と食欲の秋にちなみ、食のシーンが多数登場する漫画原作の映画を2作取り上げる。2作の共通点は、若い女性がヒロインということと、舞台として海が登場することである。

※注意!! 以下はネタバレを含んでいます。

「ちひろさん」の「のこのこ弁当」

「ちひろさん」は、週刊漫画誌「Eleganceイブ」(秋田書店刊)で連載された安田弘之の同名漫画が原作。

 静岡県の漁港のある町が舞台である。主人公のちひろ(有村架純)は、元風俗嬢で現在は尾藤(平田満)が経営する町の弁当屋「のこのこ弁当」で働いている。元風俗嬢であることを隠そうともせずに、ひょうひょうと生きるちひろが、ちひろに憧れる女子高生のオカジ(豊嶋花)、シングルマザーのヒトミ(佐久間由衣)、ヒトミの息子のマコト(嶋田鉄太)、弁当屋の客で現場作業員の谷口(若葉竜也)ら、心に傷や悩みを抱えるさまざまな人々と交流していく姿を、「愛がなんだ」(2018)、「街の上で」(2021、本連載第269回参照)など、会話劇を得意とする今泉力哉監督が淡々と描いている。

 自らも過去という重荷を抱えたちひろは、弱者に寄り添う人として描かれている。子供にいじめられているホームレスのおじさん(鈴木慶一)を助け、売れ残った弁当を一緒に食べるシーンでちひろは、のこのこ弁当のおいしさについて力説する。年配の女性従業員、永井さん(根岸季衣)の漬けるしょっぱい梅干しが、他のおかずの優しさを引き立てているというちひろに、おじさんは「私は梅干しが苦手なんです」と言いたそうな素振りで、無言で自分の分の梅干しをちひろに渡す。それを口にしたちひろの、いかにも酸っぱそうな表情を見て、おじさんまで酸っぱそうな顔をするものだから、観ているこちらまで口の中に唾がたまってきてしまうという、味覚を感じさせる稀有なシーンになっている。

 オカジは、親子4人家族の何不自由ない家で大事に育てられた。調理師免許を持つ母の作る夕食は、栄養バランスが完璧で申し分のないものだ。しかしオカジは、ある理由から家族の食卓で摂る食事の味がしないという悩みを抱えている。それを聞いたちひろが、ぽつりと、こう言う。

「のこのこ弁当」の定番、「唐揚げ弁当」。永井さんの漬けるしょっぱい梅干しが、他のおかずの優しさを引き立てている。
「のこのこ弁当」の定番、「唐揚げ弁当」。永井さんの漬けるしょっぱい梅干しが、他のおかずの優しさを引き立てている。

みんなで食べたほうがおいしいって、よく言うけどさ
みんなで食べてもおいしくないものはあるし
一人で食べても、おいしいものはおいしいよ

 このセリフには、皆違っていてよいのだという、本作のテーマが込められている。ちひろは心の中に孤独を抱えた女性である。しかし、孤独はつらいとは思っていないのだ。世の中にはそういう人もいるのである。ラストでちひろがとった、「愛がなんだ」の主人公のような選択も、その裏付けであると思われる。

 オカジはマコトに起こったある出来事をきっかけに、ヒトミとマコトと一緒にあるものを食べ、涙腺を崩壊させる。今泉監督は最新作の「アンダーカレント」でも、同じ手法で井浦新にあるものを食べさせ、涙腺を崩壊させている。両作の“涙飯”に注目である。

 本作でフードスタイリストを務めたのは、お馴染みの飯島奈美。のこのこ弁当やおにぎりや海苔巻きといったお弁当、オカジの涙腺を崩壊させた料理の“陽”と、オカジの家の栄養バランス満点の食卓の“陰”を対比して描き分けているのは、見事という他ない。

「水は海に向かって流れる」の“シェアハウス飯”

「水は海に向かって流れる」は、「子供はわかってあげない」(2011、本連載第269回参照)の田島列島の同名漫画を原作に、「極道めし」(2011、本連載第39回参照)、「そして、バトンは渡された」(2021)の前田哲が監督した。フードスタイリストは「極道めし」「そして、バトンは渡された」と同じせんるいのりこが務めている。

 主人公の榊さん(広瀬すず)は、ある過去の出来事が原因で心を閉ざしながらシェアハウスで生活しているアラサーのOLである。ある日、同居人で漫画家のニゲミチ(高良健吾)の甥、高校生の直達(大西利空)が新たな同居人として現れる。出会ってはいけない運命の二人が出会ったことで、榊さんの少女時代を知る教授(生瀬勝久)、女装の占い師・颯(戸塚純貴)ら同居人や周囲を巻き込んだ騒動に発展していくというのが、本作の主な内容である。

榊さんがシェアハウスにやってきた直達にふるまった「ポトラッチ丼」。高級牛肉を、くし切りにした玉ねぎと市販のめんつゆで煮付けた豪快な料理である。
榊さんがシェアハウスにやってきた直達にふるまった「ポトラッチ丼」。高級牛肉を、くし切りにした玉ねぎと市販のめんつゆで煮付けた豪快な料理である。

 直達を迎えた榊さんが、複雑な思いを抱きながら直達ににふるまったのが「ポトラッチ丼」。高級牛肉を、くし切りにした玉ねぎと市販のめんつゆで煮付けた豪快な料理である。このポトラッチ丼は、榊さんの過去とリンクしていることが後で明らかになる。

 ポトラッチとは、自分の気前のよさを見せつけるために、過剰なまでのもてなしを競い合うアメリカ先住民の儀礼のこと。シェアハウスは、トーテムポールや雨乞い儀式に用いるレインスティック(民族楽器)など、北米・南米の文化人類学が専門である教授の趣味を反映したオブジェが多数見受けられ、独特の雰囲気を醸し出している。

 本作の食のシーンが興味深いのは、それらが折々の榊さんの精神状態を示すバロメーターになっているところである。教授の帰国祝いと直達の歓迎会を兼ねた骨付き和牛のバーベキュー、過去の出来事に起因する“お盆事件”を起こした後の“メガ盛りポテトサラダ”など、榊さんはやけくそ気味の暴力的な料理が目立つ。一時的に父母のいる家に戻った直達の、父母との嵐の前の静けさのような朝の食卓シーンとの対比が面白い。

 直達が、最初は知らなかった過去の出来事を偶然知ってしまった絡みで、大量に買ってきた卵を使った生卵入りカレーを、榊さんと直達が一緒に食べるシーンで和解できるかと思いきや、直達の天然ボケで再び不機嫌な榊さんに戻ってしまったり、意地の張り合いのようなうで卵食い合戦など、コミカルなシーンもある。ニゲミチが漫画家らしく絵で示すシーンが数カ所あり、話をわかりやすくしている。

「ちひろさん」は目の前に海がある町が舞台だったが、本作は川が流れる千葉郊外の町が舞台。川下の海のある町へは、過去の清算のために向かうことになる。そしてもう一つ、水の要素で見逃せないのが雨だ。最初に直達がシェアハウス最寄りの部妻川駅に降り立つシーン。駅を出て家路に向かう人々の傘の花が次々と開く様をトップダウンでとらえたショットは、「シェルブールの雨傘」(1964)を想起させる。直達と迎えに来た榊さんが、直達とひとつ傘の下で、雨を避けながらシェアハウスに向かうシーンは、過去の重荷を半分ずつ持ち合うように映り、本作のテーマとリンクしている。そしてその動作は、ラストシーンで傘以外のあるもので反復されるのである。

トピックス:第36回東京国際映画祭の注目作品

 10月23日(月)から11月1日(水)にかけ、日比谷・有楽町・丸の内・銀座地区で、第36回東京国際映画祭が行われる。食の観点からの注目作はズバリ2作。

 一つは「パリ・オペラ座のすべて」(2009)、「ボストン市庁舎」(2020)などのドキュメンタリー作家、フレデリック・ワイズマンが、親子三代でミシュラン三ツ星を55年間維持しているフランスの老舗レストランを撮った「メニュー・プレジール〜レ・トロワグロ(原題)」

 そしてもう一つは、「青いパパイヤの香り」(1993、本連載第92回参照)、「ノルウェイの森」(2010)のトラン・アン・ユンが、食を芸術に昇華させた美食家と料理人の物語をジュリエット・ビノシュ主演で描いて、第76回カンヌ映画祭監督賞を受賞した「ポトフ(原題)」である。筆者はスケジュールの都合で行けそうにないが、みなさんにはぜひ鑑賞をおすすめしたい。


【ちひろさん】

公式サイト
https://chihiro-san.asmik-ace.co.jp/
作品基本データ
製作国:日本
製作年:2023年
公開年月日:2023年2月23日
上映時間:131分
製作会社:Netflix、アスミック・エース
配給:アスミック・エース
カラー/サイズ:カラー/アメリカンビスタ(1:1.85)
スタッフ
監督:今泉力哉
脚本:澤井香織、今泉力哉
原作:安田弘之
エグゼクティブプロデューサー:岡野真紀子、佐藤菜穂美、豊島雅郎
プロデューサー:山野晃、中里友樹
撮影:岩永洋
照明:谷本幸治
録音:根本飛鳥
美術:井上心平
装飾:遠藤善人
音楽:岸田繁
音楽プロデューサー:安井輝
主題歌:くるり
リレコーディングミキサー:浜田洋輔
音響効果:勝亦さくら
編集:佐藤崇
スタイリスト:伊賀大介
衣裳:江口久美子
ヘアメイク:田中マリ子
ヘアメイク(有村架純):宮内三千代
カラリスト:石山将弘
キャスティング:細川久美子
ラインプロデューサー:三好保洋
制作担当:多賀典彬
助監督:高土浩二
スクリプター:河野ひでみ
VFXプロデューサー:前川英章
スーパーバイジングプロデューサー:山田雅子
フードスタイリスト:飯島奈美
キャスト
ちひろ:有村架純
オカジ:豊嶋花
マコト:嶋田鉄太
バジル:van
谷口:若葉竜也
ヒトミ:佐久間由衣
べっちん:長澤樹
チヒロ:市川実和子
ホームレスのおじさん:鈴木慶一
永井:根岸季衣
尾藤:平田満
内海:リリー・フランキー
多恵:風吹ジュン

(参考文献:KINENOTE)


【水は海に向かって流れる】

公式サイト
https://happinet-phantom.com/mizuumi-movie/
作品基本データ
製作国:日本
製作年:2023年
公開年月日:2023年6月9日
上映時間:123分
製作会社:ハピネットファントム・スタジオ、テレビ東京、講談社、フォスター・プラス、スタジオブルー
配給:ハピネットファントム・スタジオ
カラー/サイズ:カラー/アメリカンビスタ(1:1.85)
スタッフ
監督:前田哲
脚本:大島里美
原作:田島列島
エグゼクティブプロデューサー:小西啓介、和田佳恵、高見洋平、出來由紀子、平体雄二
企画・プロデュース:関口周平
プロデューサー:近藤あゆみ
撮影:池田直矢
照明:舘野秀樹
録音:西山徹
美術:布部雅人
装飾:大原清孝
音楽:羽毛田丈史
主題歌:スピッツ
音響効果:佐藤祥子
編集:田端華子
衣裳:立花文乃
ヘアメイク:岩本みちる
ヘアメイク(広瀬すず):豊川京子
選曲:泉清二
制作担当:守田健二
助監督:玉澤恭平
記録:原田侑子
フードスタイリスト:せんるいのりこ
キャスト
榊千紗:広瀬すず
熊沢直達:大西利空
歌川茂道(ニゲミチ):高良健吾
泉谷颯:戸塚純貴
泉谷楓:當真あみ
榊謹悟:勝村政信
熊沢達夫:北村有起哉
高島紗苗:坂井真紀
成瀬賢三(教授):生瀬勝久

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。