「武士の献立」の料理たち

[65]

生姜粥
まだ幼い春が体調を崩したお貞の方のために作った生姜粥

2014年の1回目は、前回の2013年度ごはん映画ベスト10〈邦画編〉にもランクインした「武士の献立」の料理の数々をご紹介する。

江戸時代、将軍家や大名家には台所御用を務める武士の料理人たちがいた。主君のため、刀を包丁に持ち替えて日々の食事をまかなう侍たちを、人々は揶揄と親しみを込めて「包丁侍」と呼んだ。

(作品冒頭のナレーションより)

 本作は、そんな包丁侍の家に嫁いだ料理上手の娘が、料理の苦手な夫を一人前の包丁侍に育てていく物語である。

生姜粥と鶴もどきと明日葉

生姜粥
まだ幼い春が体調を崩したお貞の方のために作った生姜粥

 物語は18世紀半ば、江戸から始まる。主人公の春(上戸彩)は浅草の有名な料理屋の娘として生まれたが、火事で家族をすべて失い、加賀藩江戸屋敷で六代藩主・前田吉徳の側室・お貞の方(夏川結衣)に仕えていた。冒頭、まだ幼い春が体調を崩した主人のために体が温まる生姜粥を作るシーンは、彼女が親譲りの料理の腕を持っていることを示している。

 春は一度商家に嫁いだものの気の強さがあだとなって離縁され、お貞の方のもとに戻されていた。ある日、江戸屋敷で催された宴席で、吉徳の側近・大槻伝蔵(緒形直人)は御台所御用役(包丁侍)の舟木伝内(西田敏行)に汁椀の「鶴もどき」を用意させる。吉徳は余興に鶴の肉の代わりに使った具材を当てよと問いを出すが、誰も正解を出せぬ中、春は干した鰤をたまり醤油で戻したものだと言い当て、伝内を驚かせる。出汁や醤油の種類まで当てた彼女は、料理人に必須の確かな舌を持っていたのである。

 数日後、伝内は八丈島産で当時としては珍しい野菜の明日葉を携え、調理法を聞きに春のもとを訪れる。彼女もあまり調理した経験がなかったが、てんぷらやおひたし、汁物を手際良く作って見せ、またも伝内を感心させる。実は鶴もどきの件のあと、彼はお貞の方を通して彼女を舟木家の嫁にと打診していたのだが、出戻りの身を理由に断られていた。しかし彼女の明日葉の汁物を口にした伝内は、そのうまさにやはりあきらめきれぬと拝み倒し、春はついに嫁入りを決意する。

鮒の刺身とすだれ麩の治部煮

治部煮
すだれ麩を使った治部煮で安信は昇進試験に合格

 春は長旅の末、加賀に到着するが、夫となる安信(高良健吾)は、剣の腕は立つが包丁さばきはさっぱりという年下男であった。彼は次男であったが、長男が流行り病で急死したために仕方なく後継ぎとなり、父の言いつけのままに嫁を迎えたのである。

 祝言を終えて早々、舟木家ではうるさがたの親戚を集めて料理を振る舞い、その出来を吟味してもらう「饗の会」を催した。安信を舟木家の後継と認めてもらうためだったが、出席者たちからは料理のまずさを指摘されてしまう。その様子を見た春は二の膳の汁物をこっそり作り直し、好評を得るが、面目を潰された安信は怒りを彼女にぶつける。

「所詮料理など女子供の仕事、何とつまらぬ役目だ、包丁侍とは」

「つまらないお役目だと思っているから、つまらない料理しか作れないのではありませんか」

 春は安信に「鮒の刺身」をお題に包丁の腕比べを申し出る。安信が勝てば離縁、春が勝てば春の料理指南を受けることを賭けた勝負は春の圧勝に終わる。安信の包丁は遅いために身が崩れてしまい、醤油がうまく絡まないのである。かくして、春の安信への料理の猛特訓が始まった。

 安信は、渋々春の指導を受けながらも次第に料理の腕を上げてゆき、やがて昇進の機会が訪れる。試験では、春に教わった、肉(※)に加えて加賀名産のすだれ麩を使った郷土料理「治部煮」が高い評価を得て、安信は見事昇進を果たす。

※治部煮に用いる肉は鴨肉が一般的だが、代わりに鶏肉を用いたり、牡蠣や魚肉を用いることもある。

別れの重と柚餅子

丸柚餅子
柚子の中をくり抜き、餅米を詰めて数回蒸し、約半年間自然乾燥させて作られる丸柚餅子

 一年後の1745年、吉徳が没し、後を継いだ七代藩主宗辰も一年半で急逝。藩の財政改革を進めていた伝蔵は前田土佐守直躬(鹿賀丈史)ら守旧派の重臣たちによって失脚し流罪となり死亡、大槻派の下級武士たちも粛清された。お貞の方は出家し真如院となるが、伝蔵と不義密通しわが子を次期藩主とするために後継の重熙の毒殺を謀ったという疑いをかけられて捕らえられ、後に自害した。

 これが歌舞伎の演目ともなった「加賀騒動」の顛末であるが、真如院を育ての母のように慕い仕えていた春は安信の計らいで幽閉されている彼女と再会を果たし、心づくしの重を並べて最後の時間を過ごす。その中に入っていた能登名産の丸柚餅子は真如院の故郷の味で、彼女の没後、春は墓前にそれを供えた。

誇りをかけた饗応料理

雉子羽盛り
饗応料理・引菜膳の雉子羽盛り。見た目も鮮やかなジビエメニューである

 数カ月後、重熙が江戸から戻り、八代藩主就任を将軍家や諸大名に披露する「饗応の宴」が開かれることになった。藩より宴の差配役である棟取に任ぜられた伝内は、お家騒動の汚名を晴らし加賀の気概を示す料理で客人を「おもてなし」することが包丁侍の務めであるとして安信に補佐役を命じるが、彼は騒動で親友の今井定之進(柄本佑)がお家取り潰しになったことから土佐守肝煎りの宴に乗り気ではなかった。折りしも定之進ら大槻派の残党による土佐守暗殺計画が進んでいて、安信がそれに加わることを知った春はある行動を起こす……。

 ここからはネタバレになるため詳細は割愛するが、結果として宴はつつがなく開かれ、安信は棟取補佐を立派に務めあげる。その饗応料理の内容とは以下のようなものである。

「武士の献立」饗応料理の内容

◆御茶請
求肥飴
葛巻煎餅

◆本膳
御汁(橘焼、筒ごぼう、松茸、芹)
鱠(鯛、さより、もりくり、生姜、漬きんかん、花弁人参)
御肴(伊勢海老、もり大根、青菜)
御飯
香の物(沢庵煮)

◆二の膳
杉箱(蒸し玉子、筍、結びひじき、裏白)
御汁(小鯛、独活の芽、梅花人参、天盛木の芽)
御肴(鯨、生姜)
刺身(鯉子付、寒天、巻蓮根、山葵、煎酒)

◆三の膳
焼物(鯛塩焼、矢生姜)
御肴(鮑田楽)
御吸物(ひれ、めぎす真薯、行者にんにく)

◆与の膳
強肴五種(筍海老木の芽味噌かけ、鰯山椒魚、たらの芽山かけ・芹、ふきのとう・花百合根、氷頭みぞれあえ・いくら)

◆五の膳
強肴(桜鱒、かもくわ焼、さつま芋、空豆、蕨)
蒸し物(桜豆腐、桜花、山葵、美味出汁)
酢の物(甘海老黄味酢がけ、梅ごぼう、菜の花)

◆六の膳
御肴(天麩羅(鯛、蓮根、南瓜、矢生姜、美味出汁))
煮物(花びらはんぺん、絹さや)

◆七の膳
すずき霜ふり(防風、唐草、紫蘇の花、煎酒)

◆引菜膳
雉子羽盛り
さざえ、梅貝、干蛸、甘海老、鱧
鯛の唐蒸し、矢生姜

◆後御菓子
有平糖
舞鶴
落雁

 映画では、これらの料理を大勢の包丁侍が調理し九谷焼の食器に美しく盛り付けていく厨房の様子と、宴の表舞台に立つ土佐守らの人々がカットバック(異なる場面を交互に映し出す映像技法のこと)で示され、「料理の鉄人」を思わせるエンターテイメントとなっている。

こぼれ話

 この映画はフィクションであるが、舟木伝内と安信(長左衛門)は実在の人物である。伝内は加賀の料理の食材をまとめた「料理無言抄」などの著書を後世に残し、それは現在の加賀料理にまで受け継がれている。また安信は父の伝内が届かなかった御料理頭にまで出世し、舟木家は明治維新まで六代にわたり加賀藩の御料理人を務めている。

作品基本データ

【武士の献立】

◆公式サイト
http://www.bushikon.jp/

製作年:2013年
公開年月日:2013年12月14日
上映時間:121分
製作会社:「武士の献立」製作委員会
配給:松竹
カラー/サイズ:カラー/ビスタ

◆スタッフ
監督:朝原雄三
脚本:柏田道夫、山室有紀子、朝原雄三
製作総指揮:迫本淳一、飛田秀一
エグゼクティブプロデューサー:原正人
企画:池田史嗣
プロデューサー:石塚慶生、三好英明
撮影:沖村志宏
美術:原田哲男
装飾:中込秀志
音楽:岩代太郎
主題曲/主題歌:Chara:(「恋文」(Ki/oon Music Inc.))
録音:山本研二
照明:土山正
編集:石島一秀
アソシエイト・プロデューサー:岩城レイ子
ライン・プロデューサー:砥川元宏
助監督:井上昌典
スクリプター/記録:渋谷康子
題字/タイトル:中塚翠涛
料理監修:大友佐俊、青木悦子
料理考証:綿抜豊昭

◆キャスト
舟木春:上戸彩
舟木安信:高良健吾
舟木伝内:西田敏行
舟木満:余貴美子
お貞の方(真如院):夏川結衣
大槻伝蔵:緒形直人
今井佐代:成海璃子
今井定之進:柄本佑
前田土佐守直躬:鹿賀丈史
語り:中村雅俊

(参考文献KINENOTE)

アバター画像
About rightwide 336 Articles
映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。