「鶴乃子」はホワイトデーの元祖だそうな

真っ白なマシュマロで出来た丸い形。食べるとふんわり。中には黄身時雨の中のような黄身の味のあん。食べる前も、一口食べた断面も、ビジュアルはゆで玉子そっくり。それが、品のよい甘いお菓子になっているので、面白い。エスプリを感じる。


鳥の卵にそっくり。実は和菓子。
鳥の卵にそっくり。実は和菓子。

 初めてこれを食べたのは幼稚園か小学校低学年の頃。前後が曖昧で、思い出は夢か幻のようにあやふやなもの。ある日の午後、母と一緒に母の友人を訪ね、そのおばさんが出してくれた。不確かな記憶の中、あの味と、造形の面白さにとても感心したことははっきりと覚えている。

 以来40年。あの菓子の名前を確かめ、できれば再び味わいたいと思い続けてきた。ところが、玉子を模した菓子はいろいろあるけれど、あれほど本物に似て、くすりと笑わせるものが出て来ない。見つからない。

 あの思い出は、本当は子供の頃に見た夢だったのかと、何度か思い、再会はあきらめかけていた。

 それでも、やっぱり地方に出かけたときは必ずみやげ物売場を歩いて、菓子の一つひとつをチェックしていた。

マシュマロの中からは、あんの黄身。
マシュマロの中からは、あんの黄身。

 そして去年、遂に見つけた。この菓子は、博多の石村萬盛堂という菓子店が作っている「鶴乃子」であった。福岡は何度も行っているのに、見落としていた。

 誕生は明治38年に遡ると聞いて驚く。マシュマロはモダンを通り越してややコンテンポラリーなイメージがあるけれど、明治時代から和菓子店がマシュマロの菓子を作っていたというのが、とても意外だった。

 創製の経緯が面白い。石村萬盛堂は鶏卵素麺を作っていた。それで、鶏卵の白身の持って行き場に悩んだ。そこで創業者石村善太郎が思い付いたのが、これを使ってマシュマロを作ることだった。そうして、材料は身近なものだけれども、どこにもないような菓子「鶴乃子」が生まれた。

これこれ。あの日見たのはこの包みだった。
これこれ。あの日見たのはこの包みだった。

 その善太郎の口癖、「競争はするな勉強をせよ」だったと言う。このところハーレーの話ばかりになってしまうけれど、ハーレーダビッドソンジャパンの奥井俊史さんが言い続け、実践してきた「巨象(ホンダやヤマハなどオートバイ大メーカー)と競争することは不可能だし無意味。ただ、学び続けよ」ということ、それが善太郎の教えでもあったのだと合点する。さすが、時代を創る人たちの言うことは素晴らしい。

 さて。約30年前のことと、石村萬盛堂は紹介する。女性誌に「バレンタインデーのお返しの日がないのはなぜ?」という投稿が載っていたのを三代目の社長が見つけ、ぴんと来た。

「鶴乃子」のあんをチョコレートに変えて、「バレンタインデーのお返しにマシュマロを贈りましょう」と“マシュマロデー”を発案したという。「僕の純白な心(マシュマロ)で君の想い(チョコレート)をやさしく包んで“ありがとう”の想いを込めてお返しにプレゼントするよ」なのだそうだ。うは。

「鶴乃子」。明治の発売当初からほぼこの形だったという。
「鶴乃子」。明治の発売当初からほぼこの形だったという。

 小学生の頃(1977年まで)、3月14日にはいろいろな名前が付けられていた。贈るものに合わせて、「キャンディーデー」とか「クッキーデー」とか「マシュマロデー」とか。私の田舎で「ホワイトデー」に落ち着いたのは、中学生になったぐらいのように記憶している。これなら何を贈ってもいいものね。ま、硬派には関係のない話ですが。

※このコラムは個人ブログで公開していたものです。

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About 齋藤訓之 398 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所特任研究員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。日本フードサービス学会、日本マーケティング学会会員。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →