OLD & RARE SCOTCH WHISKY GIFT SET
小売・外食

バーテンダー諸兄に贈るFOODEX JAPAN 2012洋酒レポート10(1)

去る3月6日~9日、幕張メッセにおいてFOODEX JAPAN 2012が開催された。参加国数72か国、約2400社の飲料・食品メーカーが一堂に集まる世界でも有数の見本市であり、今回も73000人を超す来場者で賑わった。その中でバーテンダー目線に立って見付けてきた洋酒10品を紹介していく。最初の2品は風変わりな“グラッパ”とファン垂涎のミニチュアボトルセットだ。
恢復するチェーン

検証・渥美俊一氏のチェーンストア理論(6)ダメを言い続ける教育では伸びに限界がある

渥美俊一氏のセミナーは、聴講する企業トップたちも震え上がる、ムードも内容も厳しいものであった。その恐怖感が、チェーン企業の企業文化となっている例もある。しかし、これから必要な人材を育てる教育は、そのスタイルによるものではないはずだ。
健康食品テレビ通販の現場からお伝えします

サントリーの秘密(1)伝えようとするものが、違うんです

今回は、「健康食品のテレビ通販の地位・役割を拡大した立役者」と私が個人的に思っている企業についてです。どこかというと、ビールやウーロン茶やワインでおなじみ、そして今や同じくらい健康食品が重要な商品になっている会社。……これは名前を出してかまわないでしょう、サントリーです!
マルティニ・エ・ロッシ社ベルモット
洋酒文化の歴史的考察

IV 赤くなかった“赤富士”(4)

JBA版「マウント・フジ」のレシピがオリジナルとは別物の外観を呈するものに変わってしまった理由として、誤記ということも考えられる。しかし、筆者はこの仮説を退ける。ただ、そうして結着を付けたとしても、「マウント・フジ」にはまだいくつかの謎があるのだ。
恢復するチェーン

検証・渥美俊一氏のチェーンストア理論(5)ZD運動的な教育には無理がある

渥美俊一氏が志向したチェーン教育は、いわばZD運動的な欠点を許さない、完璧な人材を求めたものと言える。しかしそこには無理があり経営上の効率も悪い。現代は、失敗も許しながら、現場からの自由な発想を取り込んでいく体制を築くことの方が重要になってきている。
健康食品テレビ通販の現場からお伝えします

“サラサラ”健康法の決め手は!?

前回は、サラサラ成分として売り出し中のDHAについてでしたが、健康食品の通販や健康番組を長くやってきた中で、いろいろと「サラサラになる」という健康法を見てきましたので、今回はそんなお話。
マルティニ・エ・ロッシ日本限定瓶
洋酒文化の歴史的考察

IV 赤くなかった“赤富士”(3)

JBA版「マウント・フジ」が、赤くはないオリジナルからどうして現在普通に作られる赤になったのか。文献を当たると意外なことがわかった。ある段階で、ベルモットの「白」の指定が消え、さらにある段階で「白」の指定が別の形で復活していたのだ。
恢復するチェーン

検証・渥美俊一氏のチェーンストア理論(4)人に“完璧”を求める教育方針

渥美俊一氏はチェーンストア作りについて教育を重視した。約50年間の間に延べ膨大な数の人々がセミナーを受講している。教材も豊富に用意している。しかし、その教育内容を見ると、かつてメーカーで試されたZD運動を彷彿とさせ、そこに無理を感じる。
マウントフジ・カクテル
洋酒文化の歴史的考察

IV 赤くなかった“赤富士”(2)

オリジナルのJBA版「マウント・フジ」に使うベルモットが「マルティニ・エ・ロッシのベルモット(白)」だとすると、どうしても仕上がりは赤にならない。目の前で起こった現実が受け入れられず、実際に作ってみてもらうために、筆者はバーに向かった。
恢復するチェーン

検証・渥美俊一氏のチェーンストア理論(3)アメリカ至上主義・日本市場無視で成功するわけがない

渥美式チェーンストアの考え方のもう一つの難点は、アメリカで行われてきたことに学び、それ以外を認めようとしなかった点にある。現地・現物・現状の三現主義に基づいてローカライズをしなければ、商業は成功しない。これに気付いている人は、日本にもアメリカにも少なくないはずなのだが。
健康食品テレビ通販の現場からお伝えします

DHA(2)どうやって魅力を伝えるかですが

前回に続き、魚の脂に含まれている成分由来の健康食品、DHAのお話です。そのよさをテレビ通販で見せるには、日常的に魚をモリモリ食べているハズの漁師さんがいかに元気で若々しいかを見せるのがイチバン! と思うのですが、実はそのようにことは進まないのです……。
「大日本基準コクテール・ブック」
洋酒文化の歴史的考察

IV 赤くなかった“赤富士”(1)

「大日本基準コクテール・ブック」をついに実際に手にとって読むことができたとき、筆者はそのことに感激すると同時に、あるカクテルのレシピを見て愕然とした。ほかでもない、昭和8(1933)年、国際カクテルコンクールで佳作入選したJBA版「マウント・フジ」である。