IX ジントニックの現在・過去・未来(3)

洋酒文化の歴史的考察
洋酒文化の歴史的考察
ヘンドリック・ヅーフ
江戸時代の日本で描かれたヘンドリック・ヅーフ ”Japanese painting of Hendrik Doeff, beginning of the 19th century.” See also Wikimedia commons

日本におけるジンの物語を始めるためには、いささか酒の話からは脱線するのだが、江戸幕府時代のオランダ商館長(カピタン)ヘンドリック・ヅーフ(Hendrik Doeff)の話から始めなければならない。

出島に取り残されたヅーフ

 アムステルダム生まれの彼は寛政11(1799)年にオランダ東インド会社の書記として日本に着任するのだが、彼が初めて訪れて実際に目にした日本のオランダ商館は沈滞のただ中にあった。相次ぐ戦争で疲弊した本国オランダを象徴するかのように、商館員の士気は下がり、貿易業務も停滞している状況だった。

 これを立て直そうとする彼の頑張りをオランダ本国が認めるところとなり、バタビアから再び来日して間もない享和3(1803)年に彼は27歳の若さにも拘らず、商館の最高責任者である商館長となる。

 翻ってヨーロッパを眺めれば、近代国家への変貌を遂げたイギリスと、ナポレオンを得て飛ぶ鳥の勢いのフランスに挟まれて、国政が衰えて久しいオランダに17世紀の栄光はすでになく、両大国の事情に翻弄されざるを得ない。

 過去の栄華の象徴として、他の欧州ライバル国を蹴落として唯一の対日交易権を獲得していた出島貿易の根幹が揺らいでいる時期でもあった。

 ナポレオンのフランスがオランダを支配することとなると、イギリス締め出しを狙った大陸封鎖令(1806~)のあおりを受けてオランダは望まぬ形でイギリスと敵対する立場となった。だからと言ってフランスに刃向うほどの国力は残っていない。こうしてオランダの交易船はイギリスの軍艦から逃げ惑わねばならないありさまになっていたのである。1808年には、オランダ船に偽装したイギリス軍艦がオランダ船を拿捕すべく長崎に入港し、長崎奉行が切腹するという事件が発生している(フェートン号事件)。そして1809年にイギリス船の追跡を振り切ってオランダ船フーデ・トラウ号が長崎に滑り込んできたものの、それ以降オランダからの入港はぱったりと途絶えてしまう。

 長崎の出島にあるオランダ商館はオランダの在外公館(大使館)の性格も併せ持つが、本来は「商館」という名前が示す通りオランダ東インド会社という企業の日本支店だから、本国から商品が届かなければ本業である商売ができない。何より重要なのは、日本、つまり江戸幕府はなにもオランダの日本における権益を保護するために出島を好き好んで設置しているわけではなく、海外貿易の収益を当て込んで出島と長崎奉行所を置いているわけだから、ここを使わせる相手は、キリスト教の布教さえしなければイギリスでもフランスでも構わなかった。シビアに言えば、「本国がフランスに占領され、自国の海運さえ覚束なくなった国」の大使館をわざわざ置いておく義理も必要もないことになる。

 本国からの送金も貿易による収入も見込めないわけだから、出島に居住するオランダ人は食うにも事欠くありさまとなり、商館長のヘンドリック・ヅーフが所蔵している本を売りに出して駐在オランダ人の生活費を捻出しなければならないほど、出島のオランダ商館の懐事情は切迫していた。

誇りを貫くカピタンを支えた侍たち

 しかし、江戸幕府と長崎奉行は「本社が吸収合併の憂き目にあった会社の日本支店長」である彼に暖かい支援の手を差し伸べた。前借による生活物資の貸与等のさまざまな便宜を図り、週に2~3度は長崎奉行所が「何か要り用のものはあるか」とオランダ商館を訪れ、ヅーフが売りに出した本も破格の高値で買い上げた。なぜ、そこまでしたのかの理由は美談だけではないはずなのだが、たとえ生活に窮してもオランダ人としての誇りを決して失わなかった彼に対する敬意の念が、そこに強く影響していたことを多くの研究者が指摘している。

 その象徴的な出来事が起きたのは文化10(1813)年のことだった。オランダ東インド会社の最後のアジア拠点だったバタビア(ジャカルタ)がイギリスに接収された2年後、2隻のイギリス船がオランダ(バタヴィア共和国)からの傭船を装って長崎を訪れた。彼らはズーフに面会を求め、出島貿易の権益をイギリスに明け渡し、イギリスの意を受けた前任商館長ウィレム・ワルデナールにカピタンの職を譲り渡すことを要求した。

 ヅーフはこれをきっぱりと跳ねつけ、オランダ国旗を出島のオランダ商館に掲げ続けた。歴史研究家によって違いはあるが、この時期に世界中で唯一オランダ国旗を降ろさなかったのが長崎・出島のオランダ商館だったという見方さえある。

 1815年、ナポレオンの敗北で結ばれたウィーン議定書によってネーデルラント連合王国として復活を果たしたオランダに、12年ぶりに帰国を果たした彼は、オランダ最高の勲章である獅子士勲章を受章し、「ドゥーフ 日本回想録」という鎖国時代の日本に関する貴重なレポートを残している。

 こうして、清貧を貫いて祖国の誇りを守り続けたヘンドリック・ヅーフに当時の日本人も敬意を表して接していたことが、日本初のジン製造というエピソードの伏線となる。彼と、植物採集が趣味という一人の侍の友情がもたらした、日本初のジンの誕生秘話について、次回明らかにしていきたい。

About 石倉一雄 129 Articles
Absinthe 研究/洋酒ライター いしくら・かずお 1961年北海道生まれ。周囲の誰も興味を持たないものを丹念に調べる楽しさに魅入られ、学生時代はロシアの文物にのめり込む。その後、幻に包まれた戦前の洋酒文化の調査に没頭し、大正、明治、さらに江戸時代と史料をあたり、行動は図書館にバーにと神出鬼没。これまでにダイナースクラブ会員誌「Signature」、「男の隠れ家」(朝日新聞出版)に誰も知らない洋酒の話を連載。研究は幻の酒アブサン(Absinthe)にも及び、「日経MJ」に寄稿したほか、J-WAVE、FM静岡にも出演。こよなく愛する酒は「Moskovskaya」。