II スパイ・ゾルゲが愛したカクテル(3)

日本に洋酒文化が定着していったプロセスを読み解く第2シリーズ。ゾルゲは同志と定期的に会う場所にバーを選んだ。そのバーで飲んだものを詳しく知る前に、それぞれの店の特徴を見ていく。

バーで会おう

 昭和10(1935)年5月、東京から7500㎞離れたモスクワ。レーニン丘(雀が丘)と呼ばれる小高い丘に立つと、そこから見えるモスクワ中心部の灯りは決して多くない。視線を右に転じたところにゴーリキー公園、さらに右の灯りが少なくなったザゴロドノエ通りに、ゾルゲが来日前に訓練を受けていたモスクワ無線学校がある。そこから程近い酒場でリヒァルト・ゾルゲはマックス・クラウゼンに切り出した。

「東京・銀座に『ブルーリボン』というバーがある。日本に来たら、火曜日にそこで落ち合おう」

 二人がトーキョーで落ち合う場所を決めていたころ、ヨーロッパ情勢は風雲急を告げていた。ついにベルサイユ条約を破棄し再軍備を宣言したヒトラー内閣が、世界の台風の目になりつつあった。

 ゾルゲは、日本に戻ると、不審電波に気付いた逓信局や特高警察、憲兵隊、さらにはドイツ本国から派遣されたゲシュタポの目を盗んで諜報活動を続け、その緊張から解放されると酒と女に耽溺する日々を送っていた。

「ラインゴールド」店内(絵葉書)
「ラインゴールド」店内(絵葉書)

 彼がモスクワでクラウゼンに最初に東京で落ち合う場所として指定した数寄屋橋の「ブルーリボン」の他にも、ゾルゲの研究書にはさまざまなバーの名前が出てくる。関係者の証言にいちばん多く登場するのは、平成16(2004)年まで営業していた日本最古のドイツレストラン「ケテル」と共にドイツ人ヘルムート・ケテルが経営していた「ラインゴールド」だが、外国の新聞特派員が頻繁に訪れていた「シルバー・スリッパー」や、隠れ家的な「フレーデルマウス」も、彼が外国人や女性たちとひとときの癒しを求めていくバーだった。

 無線ではできない作業……工作資金と機密書類を写したマイクロフィルムの受け渡し場所として何度か使われた帝国ホテルに関しては東京會舘と共に戦前の日本の酒場を語る上で重要な場所なので、詳述は後日に譲りたい。余談だが、映画「スパイ・ゾルゲ」でも受け渡しのシーンで、今も明治村に保存されている帝国ホテルのライト館でロケをしたとおぼしき場面がいくつかのシーンで使われている。

アグネスのいるバー

 当時、日本にはこの他にも評価の高いバーはあったのだが、少なくともこの4店はヨーロッパに近い雰囲気を好んで外国人が集まっていたので、まずはゾルゲ研究書に最も多く登場する「ラインゴールド」を皮切りに残り3軒を見ていこう。

「シルバー・スリッパー」外観
「シルバー・スリッパー」外観(アサヒグラフ昭和7年11月16日号)

 巡洋艦エムデン号の水兵として第一次世界大戦の俘虜になるという縁で来日したホルシュタイン州出身の北ドイツ人ケテルが昭和2(1927)年に開店したバー「ラインゴールド」。そこでゾルゲと知り合った石井花子とその同僚の女給たちは、店内ではアグネス、ベルタ、ドーラ……とドイツ女性風の源氏名で呼ばれていた。樽を模した凝った造りのドアを開けるとカウンターがあり、奥にボックスがある。いちばん奥に掲げられていたのは「ドイツ・ハンザ同盟のビール庫」と称されるハンブルクの名産「ホルステン」のポスターで、そこからもわかるようにビールがメインの店だった。

 当時の店内を撮影した写真を見ると、モダン・ガールの稿で読者にもおなじみの「緑瓢箪」(ジェット)やシュタインヘーガーの陶製瓶が見える。アグネス(石井)の話ではカクテルも出していたというが、残された写真を見る限りリキュールの瓶は少なく、ビール以外ではどちらかというとカクテルよりはウイスキー中心の品ぞろえだったことが分かる。

 西銀座の「シルバー・スリッパー」にAP通信記者のレルマン・モーリンが現れると、いつもゾルゲは机を叩いて「私のトモダチにいちばん安いビールを持って来い!」とバーテンダーに叫んで歓待したという。

コウモリの隠れ家

 ドイツ語で「こうもり」を指す「フレーデルマウス」も、鳥か獣か曖昧なところが気に入ったわけではあるまいが、ゾルゲお気に入りのバーの一つだった。クラウゼンは来日した初日にドイツ・クラブの仮面舞踏会にひょっこり顔を出した。ゾルゲとしてはそのような「予定外」の行動をするクラウゼンを苦々しく思ったらしいが、そこで理事に紹介されて「初めて知り合った」ことにした二人は、毎週落ち合う場所を「ブルーリボン」から「フレーデルマウス」に変更している。

「画集銀座 第一輯/酒場 フレーデルマウス」(織田一磨、1928年)実際の絵は東京国立近代美術館等で見ることができる

「ゾルゲ、東京を狙え」(ゴードン・W・プランゲ著、千早正隆訳、原書房)によれば当時のデア・シュピーゲル紙は煙草の煙が立ち込める数卓のテーブルと二人のウェイトレスしかいない感じの悪い店だと「フレーデルマウス」をこき下ろしたとしているが、「カフヱ通」(1930)を著わした酒井眞人は「まっとうなバー」として紹介しており、雑誌「ドノゴトンカ」の昭和4(1929)年7月号も同店を「お客をあまり構わないバア」(つまり干渉しない)としており、日本のバー好きの評価は高かった。

 小さくて隠れ家的な店だったことは当時の店内を描いた織田一磨のリトグラフ「画集銀座 第一輯/酒場 フレーデルマウス」(1928年)からも偲ばれる。紫煙たなびく薄暗い店内のシェードで覆われた電燈の灯りのむこうに白いメスジャケット(バーコート)に身を固めたバーテンダーの姿が見える。ここもドイツ人ボルクの経営で、輸入物のドイツビールを出していたという。

 不思議なのは、あれほど酒好きなゾルゲが、当時日本で全盛期を迎えていた、女給の嬌声目当てに男たちが集まる場所、カフェーには足を運んだ形跡がないことだった。ただ憂さを晴らすだけなら女給に渡すチップの金額を考えずに済むゾルゲの暖かな懐具合を考えると、「ラインゴールド」を除けば彼は賑やかな場所に好んで行く性格ではなかったようだ。

 次回は、たった数行の記述しか残っていないバー「ブルーリボン」についての説明から入りたい。

(画・藤原カムイ)

About 石倉一雄 129 Articles
Absinthe 研究/洋酒ライター いしくら・かずお 1961年北海道生まれ。周囲の誰も興味を持たないものを丹念に調べる楽しさに魅入られ、学生時代はロシアの文物にのめり込む。その後、幻に包まれた戦前の洋酒文化の調査に没頭し、大正、明治、さらに江戸時代と史料をあたり、行動は図書館にバーにと神出鬼没。これまでにダイナースクラブ会員誌「Signature」、「男の隠れ家」(朝日新聞出版)に誰も知らない洋酒の話を連載。研究は幻の酒アブサン(Absinthe)にも及び、「日経MJ」に寄稿したほか、J-WAVE、FM静岡にも出演。こよなく愛する酒は「Moskovskaya」。