ロンドンのウスターソースと江戸の醤油

 ロンドン・オリンピックが終わりました。個々の競技を見ている間は悲喜こもごもでしたが、今回日本が獲得したメダル数は史上最多とのことです。いずれにせよ、どの競技でも選手たちの前を向いた輝く笑顔と仲間同士で勇気を与え合う様子からは、これまでとはちょっと違う、新しい日本の姿を教わったような気がします。

 閉会式は、とくにブリティッシュ・ロックなどの音楽ファンにはこたえられないものとなったようです。イギリスは歴史ある国ですが、金融と並んで現代の世界の文化に与えている影響の大きさこそ、イギリスの強さなのでしょう。

 そのイギリス文化にも弱点はあります。食、とくに料理です。

 イギリスの名物料理と言えばフィッシュ・アンド・チップスを挙げる人も多いと思いますが、これは味が有名というよりも、よく見かけるものということでしょう。

 おいしいものとして挙げるとすればロースト・ビーフでしょうか。他のヨーロッパ諸国が牛肉よりも豚肉を愛好してきたのと違って、イギリスは牛肉食の歴史が長いようです。ロースト・ビーフはその中でも代表的な料理ですが、イギリスの牛肉食の話は面白いので、また回を改めてお話しようと思います。

 実は日本でもイギリス式パブへ行けば、もう少しいろいろな独特の料理があるとわかります。また、各地方に地方料理として伝わるおいしいものも多いようです。しかし、とくにイギリスに深い関心のある人でなければ、イギリス料理として挙がるのは、上記2つぐらいでしょう。

 先日、土曜日の夕方に「所さんの目がテン!」(日本テレビ)をなんとなく見ていましたら、そのイギリス料理の話題についてでした。毎回、“サンプル数5”とかのテキトーな実験などツッコミどころ満載の番組なので、真偽は自分で確かめる覚悟が必要がありますが、視点は面白く娯楽番組としてはよく出来ていると思います。

 その日のプログラムのロンドンでの街頭インタビューによれば、イギリス人にも、イギリスの料理が思い付かないとか、味がよくないと考えている人が多い様子でした。そして実際に家庭を訪問して夕ご飯を見せてもらうと、テイクアウトしてきた中国料理やインド料理とか、味付けがほとんどない調理だとかが食卓に載っていた、という紹介の仕方がされていました。

 そうなった理由の解説として、「イギリスでは豊かな食文化を産業革命期に失う過程で、味を評価する能力とともに、作り手の味付けの標準も失われたため、最低限の味付けをして、あとはお客さんに自分好みの味付けで楽しんでもらうようになったと考えられる」という説が紹介されました。

 私もその説をおおむね支持します。産業革命期に、多くの人が突然都会に住むようになり、その工場労働者の住宅事情は決してよいものではなかったようです。イギリスで公衆衛生の概念が現れたのもこの時期ですが、そうなる背景には都市の不衛生が直接に人命を脅かし、行政上の問題として台頭してきたことがあったのです。あるいはそこで自分で料理をすることは危険ですらあったのかもしれません。冷蔵庫もない時代です。すると、自分で料理するよりも買ってくるほうにメリットがあったでしょう。

 そして、この時期にイギリスではウスターソースが発明されました。また、今日とは違うものながらケチャップも発明されています。これらはともに、インド産の魚醤の模倣として生まれたものだったようです。かつてはヨーロッパでも魚醤が作られていたようですが、これが何らかの理由でできなくなったのか、作られなくなりました。それに近づけた(catch up)ものがケチャップで、後にアメリカでは魚に替わってトマトのうま味を利用するアイデアからトマト・ケチャップが考案されました。こうした新しい調味料の登場も、イギリスの料理を衰退させる力となって働いたようです。

 とは言え、イギリスのこうした事情は、イギリスの料理の衰退の説明として完全なものではありません。

 未曾有の都市化、巨大都市の出現で言えば、同じ時期に世界最大の都市江戸があったのです。そこは男社会で、テイクアウトと外食が非常に伸びました。また、千葉で今日的な醤油が開発され、大量に供給されます。これが、そば、うなぎ、その他の料理に多用され、何でもかんでも醤油味の江戸料理が出来てきたわけです。また、江戸後期には早ずし用に中京方面で食酢が商品化されて、これも大量に使われ出します。

 過密社会、家庭での調理の減少、万能調味料の発明、これらはイギリスの工業地帯にも、日本の江戸にも等しくあった事情でした。

 ではなぜ、今日の日本には、我々が誇り、海外の人にも人気のある日本料理があるのでしょうか。また、思い出の中に“おふくろの味”があって、外食が(かつては)非日常だったのでしょうか。

 イギリスと日本の違いは何だったのでしょうか。

 これについて考えることは、両国の文化をより深く知るきっかけになるだけでなく、日本の食市場の本質を見抜くことにもなるでしょう。

 私は今のところ、みなさんに説明できるような説を準備できていません。ぜひみなさんの考えをお聞かせください。

※このコラムはメールマガジンで公開したものです。

齋藤訓之
About 齋藤訓之 300 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所客員研究員。昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。日本フードサービス学会会員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。東京栄養食糧専門学校非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →