ブラック厨房で描く現代世界

358 「ラ・コシーナ/厨房」から

「ラ・コシーナ/厨房」は、アメリカの架空の観光客向けレストラン「ザ・グリル」の厨房で起こる騒動を通して、移民や格差の問題など、現代アメリカ社会の縮図を映し出す。イギリスの劇作家、アーノルド・ウェスカーの戯曲「The Kitchen」(1957年発表)を原作に、舞台をニューヨークのタイムズ・スクエアとして描いた。監督はメキシコ出身のアロンソ・ルイスパラシオス。la cocinaはスペイン語でthe Kitchenを表す。

 今回は本作の演出に重要な役割を果たす、フードの数々などをレビューしていく。

※注意!! 以下はネタバレを含んでいます。

アメリカらしいメニューのレストラン

 映画は、メキシコの田舎から初めてアメリカに来た少女、エステラ(アンナ・ディアス)が、「ザ・グリル」の厨房で料理人として働く同郷のペドロ(ラウル・ブリオネス)を頼ってタイムズ・スクエアにやって来るところから始まる。ニューヨークの街並みはビスタサイズで映し出されるが、店内に入ると幅の狭いスタンダードサイズになり、店の閉塞性を表している。なお画面は一部を除いてモノクロである。その理由については後述する。

 エステラは地元の食堂の厨房で働いていた経験があり、マネージャーのルイス(エドゥアルド・オルモス)の面接を受けた結果、意外にあっさりとペドロの助手として採用される。これには“ある理由”があるのだが、以後エステラの目線を通して、「ザ・グリル」の一日の出来事が映し出されていく。

 タイムズ・スクエアを訪れる観光客向けの大型レストランである「ザ・グリル」の厨房は、調理台が2列に長く配置され、中央通路を料理を運ぶウエイトレスが行き来するレイアウト。調理台はグリル、ソテー、サラダ、パスタ、ピザ、デザートなど担当別に分けられている。ホールでウエイトレスが受けた注文はキッチンプリンターで打ち出され、勤続25年の料理長(リー・セラーズ)の差配のもと、次々に料理が出来上がり運ばれていく。

 メニューは、シーザーサラダなどのサラダ類、ブロッコリー・スープなどのスープ類、マッシュルームベーコンバーガーなどのバーガー類、フィリーチーズステーキ(Philly cheesesteak。薄切り牛肉とタマネギ、チーズをロールパンに挟んだサンドイッチ)などのサンドイッチ類、フィッシュ&チップスなどのフライ類、バッファロー・ウイング(鶏肉の手羽を素揚げにして辛味の強いソースをまぶしたもの)などの肉料理、ロブスター・テールなどのシーフード、マルゲリータなどのピザ、トルテリーニなどのパスタ、アイスクリームなどのデザートなど、アメリカンレストランらしいラインナップが並ぶ。

縛られたスタッフと壊れきった店

「ザ・グリル」は一見すると充実した設備と効率的なシステムを導入しているように見えるが、問題は雇用主のブラックな経営手法と、スタッフ各々が置かれた境遇とモラールの低さにある。

 スタッフの大多数を占める、メキシコなど中南米諸国や東ヨーロッパなどからの移民は、就労ビザを持たない不法移民が多い。オーナーのラシッド(オデット・フェール)は、移民のスタッフが不法就労であることを知りながら、ビザ取得に協力することを条件に低賃金で働かせている。扱いは使い捨ての非正規雇用。ホールの水槽に投入されるロブスターのハサミがゴムバンドで止められて開かなくなっているのは、店に縛られた移民スタッフのメタファーのように映る。

 寄せ集め集団ゆえにトラブルも多い。ソテー担当のメキシコ移民ペドロは、ウエイトレスのアメリカ人ジュリア(ルーニー・マーラ)と恋仲にあるが、ジュリアの元カレでグリル担当のアメリカ人マックス(スペンサー・グラニース)とジュリアのことで口論になった挙句、相手に包丁を向けたことで料理長からあと3回トラブルを起こしたら解雇すると通告されている。

 ランチタイムの目の回るような忙しさの中、ビールを飲みながら働く料理人たちのあらゆる言語の怒号と、ずさんに調理された料理を運ぶ疲れ切ったウエイトレスたちのオーダーが飛び交う。ドリンクディスペンサーの故障によってチェリーコークが出っ放しになっても、忙しさにかまけて誰も対処しようとせず、結果厨房全体がチェリーコークの海となり、作業効率が落ちるという悪循環。生焼けのピザ、いつまでも料理が出て来ないなど、客からのクレームも多い。バッサー(busser。下膳係)の少年は客の食べ残しをつまみ食い。保健所の監査が入ったら確実にアウトな光景の連続。このような状況が、長回しの移動撮影で映し出され、視覚的な効果を上げている。

 こんな採算重視の手抜き営業ではリピーターはつかないと思われる。それでも店が続いているのは、この店の主要なお客が、二度来ることははなから想定されていない観光客たちだからだろう。

積み重なる不満に火を付ける料理

ペドロがジュリアのために作ったサンドイッチ。
ペドロがジュリアのために作ったサンドイッチ。

 そんな中、会計係のマーク(ジェームズ・ウォーターストン)が、“ある事件”を報告し、疑いをかけられたスタッフ全員が面談を受ける事態となる。ところが、尋問は移民スタッフからで、アメリカ人は後回し。店内にあったヒエラルキーが露骨に可視化されたことに、メキシコ移民のペドロは不満を募らせていく。

 ペドロとジュリアとの仲も“ある事情”によってうまくいっていない。ペドロは体調の優れないジュリアに、全粒粉と雑穀のバゲットの上にローストビーフ、セミドライトマトをのせ、ホーリーバジル(Holy Basil=カミメボウキ。生食もされるスイートバジルとは違い、乾燥、焙煎したもの。メキシコ産。タイ産のガパオも有名)入りマヨネーズをかけた“思いやり”サンドイッチを作って労わろうとする。この映画で唯一おいしそうに見える料理だが、ジュリアにはまだ何か隠していることがありそうなことが見て取れる。

 ランチタイム後の休憩時間が終わり、午後のシフトが始まると再び厨房は爆発寸前の状況に。そんな中、ジュリアが隠していた秘密が明らかになり、ペドロは衝撃を受ける。さらに、新人ウエイトレスのラウラ(ローラ・ゴメス)が、チキン・マルサラ(鶏の胸肉を炒めてマルサラワインベースのソースをかけたもの)がなかなか出てこないのを急かすあまり、そこでとった行動が、ペドロの導火線に火を付け、とんでもない事態を招くことに……。

 カオスと化した厨房での一日は、無事に終わるのだろうか……。

メキシコ出身の俊英たち

 原作の「The Kitchen」は1961年に一度映画化されている。日本未公開で筆者は未見だが、1950年代後半のイギリスで既成の社会に不満を持つ若い世代を代弁した「怒れる若者たち」作家の一人である原作者アーノルド・ウェスカーの創作意図を汲み取った作品であったと想像する。一方、今回の二度目の映画化で監督・脚本を務めたアロンソ・ルイスパラシオスは、本作を“反フードポルノ映画”としている。フードポルノとは、いわゆる“飯テロ”で、「うまそう」で釣るビジュアル作品のことだ。ペドロのサンドイッチを除いて料理があまりおいしそうに見えないことには、モノクロ暗めの映像も貢献している。

 メキシコ出身の映画監督といえば、「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」(2014)で第87回アカデミー賞の作品賞・監督賞を受賞したアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ、「シェイプ・オブ・ウォーター」(2017)で第74回ヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞と第90回アカデミー賞の作品賞・監督賞を受賞したギレルモ・デル・トロ、「ROMA/ローマ」(2018)で第75回ヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞を受賞したアルフォンソ・キュアロンの“The Three Amigos of Cinema”など、近年のハリウッドを代表する俊英が揃っている。そこにまた新たな“星”が加わったようである。


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【ラ・コシーナ/厨房】

公式サイト
https://sundae-films.com/la-cocina/
作品基本データ
原題:La Cocina
製作国:アメリカ、メキシコ
製作年:2024年
公開年月日:2025年6月13日
上映時間:139分
製作会社:Filmadora, Astrakan Film AB, Seine Pictures, Panorama, Saltalaliebre, HanWay Films
配給:SUNDAE
カラー/サイズ:パートカラー/スタンダ-ド&ビスタサイズ
スタッフ
監督、脚本:アロンソ・ルイスパラシオス
原作:アーノルド・ウェスカー
製作:ラミロ・ルイス、ヘラルド・ガティカ、アイヴァン・オーリック、ローレン・マン、アロンソ・ルイスパラシオス
製作総指揮:マルコ・ポロ・コンスタンドセ、ホセ・ナシフ、ウィリアム・オルソン、パトリック・フバジェナ
撮影:ファン・パブロ・ラミレス
美術:サンドラ・ガブリアダ
音楽:トマス・バレイロ
音響デザイン:ハビエル・ウンピエレス
編集:ジブラン・アスアド
衣裳デザイン:アデラ・コンタサル
フードスタイリスト:ラウル・マリスカル
キャスト
ペドロ:ラウル・ブリオネス
ジュリア:ルーニー・マーラ
エステラ:アンナ・ディアス
マックス:スペンサー・グラニース
ノンゾ:モーテル・フォスター
ラウラ:ローラ・ゴメス
スーザン:ピア・ラボルデ=ノゲース
イネス:シャバナ・カルダー
トリシャ:ジュリア・ハルティガン
ヴァーゴ:ジョン・パイパー=ファーガソン
料理長:リー・セラーズ
ルイス:エドゥアルド・オルモス
マーク:ジェームズ・ウォーターストン
ラシッド:オデット・フェール

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。