不合理であるということの価値

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なじみの店に行って「いつもの」などと注文して食事をしても、その人は前回と全く同じものを食べて全く同じ感想を持っているわけではありません。そこが実は大事なところではないかというお話です。

合理的に考える流行

 ビジネスは売れるように、利益が出るように、失敗が少ないようにと、合理的に考えるものですが、近年はとくに産業界全体の流行としてこの合理性が強調されるなか、あらゆる物品と現象を管理しようという勢いで動いているようです。従来は細かすぎたり複雑すぎたりして管理しにくかった事柄も、ICTでねじ伏せることができるようになり、出資者の要求も手伝って、この“管理熱”が過熱しています。

 外食業で前世紀までに進んだ管理は、主に製造・調理の分野でした。材料と手順を標準化することで、いつでも・どこでも・誰に対しても同等の商品が提供されるようになりました。

 現在はさらに、材料の調達の管理と、そのための販売予測の高度化が進められています。また、集客のための広告・宣伝なども、(うまく行っているかどうかは別として)運や勘に頼らない合理的なコミュニケーションを指向するようになっています。

 一方、これも前世紀からですが接客マニュアルとトレーニングが高度化し、お客の体験自体も均一化しようという動きになっています。これらに、ベルトコンベアのレーンや、ロボットや自律・自走するワゴンなどのある自動化の進んだ店舗が組み合わさることで、非常に未来的で何より合理的なフードサービスが現実のものとなってきました。

 ただ、これに熱中するあまり、しばしば忘れられるのが、人間自体は合理化できないということです。

スポーツの試合結果はいつも違う

 いいえ、人間も合理化が全くできないわけではありません。食材の塊をいつも同じ重量になるように目見当で切り出すことも、1日に何皿ものオムレツを均一に焼き続けることも、メジャーを使わずにボトルから定量のリキュールを注ぎ出してカクテルを調製することも、エスプレッソのためにいつも失敗のないタンピングができるようになることも、トレーニングによって合理的な仕事ができるようになった結果です。

 しかし、どうしても合理化できない部分があります。いいえ、ほとんどは合理化されないのです。日々起こることは、その日ごとにいつも違い、それに対して抱く感情と反応も違います。なるべく同じになるようにという努力はしても、全く同じになるとは誰も信じていません。

 たとえば、スポーツで、いつも自分が思った通りにボールを投げられるように、思った通りに打てるように、あるいは思った通りに蹴ることができるようにトレーニングすることは、合理化の一つでしょう。すべての選手は、自分を合理化していきます。監督も合理的な管理を目指しています。では、試合は合理化できるでしょうか。試合運びはいつも異なり、結果も異なります。プロセスも結果も管理できないものであり、そして、もっと重要なことは、その不合理な点にこそ、試合の価値があるということです。

 将棋や囲碁などのゲームは、参加者は2人と少なく、ゲームの道具・環境も、球技に比べればずっとシンプルで、ずっと管理が容易に見えます。ところが、やはり勝負の展開の結末はいつも違います。そして、そこに勝負の価値があるわけです。

 お客は、店に来て、表面的には合理的なものを求めます。なじみのお客は同じものを注文し、店は同じものとしてその一品を供するでしょう。しかし、実際には来店するごとに本人の気持ちも、店の人の気持ちも違います。そして食べたものがたとえ寸分違わず同じものであったとしても、同じ印象・感想を抱くとは限らない。

 あるいは、注文したものがあったりなかったりする。注文したものと違うものが来たりする。それを心配しながら、今日はどうだと来店して、まただめだったり、いつもよりずっとよかったりする。

 また、店のしくじりがなかったとしても、他のお客の顔ぶれはいつも違い、そこで醸される雰囲気もいつも違います。

思ったのと違う、ということ

 店としては、もちろん欠品や失敗はないようにしています。また、店の方針・イメージから大きくはずれたお客は入って来ないようにという防御策もいろいろ取っているものです。それでも、店で起こることは日々異なり、一人ひとりのお客が体験して持ち帰る気持ちも、いつも違うのです。

 しかし、それらをすべて完全に管理しようとしたり、管理できると思い込む思潮が、外食ビジネスにも広がっているようです。

 もしも、店で食べるものが同じであるだけでなく、体験する内容も受ける印象も全く同じとなれば、それは水で錠剤を飲むようではありませんか?

 そして、いつも贔屓(ひいき)の球団が必ず勝つ試合を、人は観戦しようとするでしょうか。また、知っている歌を歌う歌手のコンサートに、知っている演目を演じる舞台や演芸に、人が集まるのは何を期待してでしょうか?

 思った通りではないものを見たり、聴いたり、味わったりすることに、人は価値を感じているはずです。

 管理できない部分、管理しない部分、その中で核心的な価値を持つ部分は何かを、忘れないようにしなければいけないと思います。どの店でも同じようなものが食べられるようになっている今、むしろ店の魅力はそこにこそあるとさえ言えるでしょう。

※このコラムはメールマガジンで公開したものです。

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About 齋藤訓之 396 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所特任研究員。昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。日本フードサービス学会、日本マーケティング学会会員。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →