ケーサツは文化を創らない

 ニューヨークを訪ねたのは一昨年のことなのですが、その頃すでにピークと言われた彼の地でのラーメンブームは、どうしてどうしてまだまだ冷めず、すでにスシに続く新文化として根を下ろしつつあるようです。

 火付け役となった繁盛店は2004年オープンなので、じきに“ひと昔”ということになります。ラーメン店ですが、経営者は日本人ではありません。David Chang氏というコリアン系の方で、今はさらにさまざまなレストランを経営しているニューヨークのレストラン経営者のスターの一人になっています。

 その最初の店の名は「Momofuku Noodle Bar」。店側の説明としては「lucky peach」の意味だということですが、日本人がラーメンに関連して「モモフク」と聞いた場合、台湾出身の日本の実業家、インスタントラーメンの発明者、日清食品の創業者、故安藤百福氏を連想するなというのは無理な話です。加えて、日本人からすると同店のラーメンはのびているとかぬるいとか、“本場・日本”と違う印象があったらしく、それらのことから日本人のジャーナリストからは“辛口”に書かれたことが多かったそうです。つまり、“本式じゃない”という風に。

「だから、Chang氏は日本人の取材は受けたがらない」と、現地在住の日本人ジャーナリストは話していました。ただ、私は氏に取材を申し込まなかったので、実際のところはわかりません。写真を見ると、けっこう気さくに話してくれそうにも見えます。機会があればぜひお会いしてみたいものです。

 いずれにせよ、私がChang氏と「Momofuku」についてのウワサを聞いて思ったことは、日本人のトロさと狭量さです(もちろん私を含めてのことです)。今になってみると、欧米人もラーメンが大好きだったとわかるわけですが、なぜそれを日本人が率先して流行らせることがなかったのか。そして、現地のたくさんの人がよろこんで食べているものについて、なぜ「本物じゃない」のようなことを言い立てるのか。

 日本人は出来上がった市場に切り込んでいくのは得意だけれども、市場を作ったり、市場ができる兆しを読むことはあまり得意ではないのでしょう。もちろん、そうした力を持った人や会社が皆無というわけではありません。アメリカに醤油を紹介して定着させたキッコーマンもあれば、音楽を楽しむスタイルを、あるいは街で過ごすスタイルを一変させたWALKMANを発明して市場を作ったソニーもあります。でも、今日そのようにブルーオーシャン(もう古語でしょうか)に乗り出そうという人や会社は、日本には少ないようです。

 狭量さ。これはお客なり市場なりを見ていないか、見方が甘いか、眼鏡が歪んでいるか色が着いているか、ということでしょう。

 ニューヨークだろうがシカゴだろうがロサンゼルスだろうが、今日アメリカのスーパーに行けば、スシやマキロールは必ずあります。でも、それを買って食べた日本人のほとんどが口をそろえて言うことは、「スシに見えるけどスシじゃない」「米がパラパラしておいしくない」などです。観光で行った人がそう言うのはいいとして、食の仕事をしている人にもそう言ってしまう人がいるのはどうでしょうか。

 自分が食べてまずいと思うものを、なぜ現地の人は喜んで食べているのか――そこを考えたり、彼らの味覚のありようを感じ取る努力へと気持ちが向かなければ、そもそもなぜ欧米でスシが売れ出したのかは永久にわからないでしょう。ましてや、「君たちが食べているものは本当のスシではない」と言うために日本の行政がSushi Policeを送り込もうとしたなどという発想は、おせっかいどころか表現の自由への介入という意味で犯罪的ですらあります。

 中には「日本人が握らないとスシじゃない」と言う人も、残念ながら少なからずいるわけですが、そのような人種差別や、人間というものの可能性を頭から否定する発想には悲しくなります。いや、むしろそんな発想に出くわすと胸具合が悪くなります。

 食はもっと自由で、つかみどころがなくて、変幻自在で、多様、多彩なものです。誰でも“本場の味”は知って損はないでしょう。しかし、自分の好みを殺して“本場の味”を食べ続けなければならない理由はないのです。

 ニューヨークのあるラーメン店で、不器用に丼から麺をすくっている人たちを見ていて、面白いと思うことがたくさんありました。

 まず働いている白人が、ゆで釜から麺を上げるときなど、東洋風のパフォーマンスで調理をすることにとてつもないうれしさを感じている様子が伝わってきました。見ているお客も、それを楽しんでいます。

 また、ラーメン店と書きましたが、多くは「Momofuku」と同じく「noodle bar」として経営していますから、お客は夕方から、酒と食事を楽しみに来るのです。そして、ドリンクとつまみで延々とおしゃべりを続ける。だいぶ酒が入ったあたりでラーメンを注文する。で、しばらくして湯気を立てた丼が来るわけですが、彼らはなかなかそれに手を出しません。テーブルの真ん中に丼を押しやったまま、まだまだおしゃべりを続け、ドリンクの追加もする。「ま、そろそろ帰ろうかね」みたいなところで、やっと丼を引きつけてラーメンを食べ始めるわけですが、またその食べ方ののろいこと。日本人の“シメのラーメン”と違って、やっぱりおしゃべりをしながら、のんびりと食べていきます。

 現地在住の人によれば、彼らはたいてい“猫舌”だそうです。まあ、考えてみれば熱すぎるものを無理して食べたり飲んだりというのは、江戸っ子が考えた我慢の美学でもありそうですし、かつて日本に生息していた“モーレツ・サラリーマン”の寸暇を惜しむ文化でもあったかもしれません。自然に食べられる温度になってから味わって食べるのがいいとすれば、ニューヨークの人々の食べ方になるのでしょう。

 そこで気付くではありませんか。David Chang氏のラーメンがぬるいとかのびているとか言われたのは、作るのが下手でそうなったのではなくて、彼はお客を見て的確なサービスをしていたと考えられるでしょう。

 日本人だって、アメリカから来た外食チェーンがローカライズに無関心だとかいろいろ文句を言ってきたものです。そして日本人が「モスバーガー」を作って人気を得たとき、アメリカ政府は日本にBurger Policeを送り込もうと企てたでしょうか? まさか。むしろ、90年代には「マクドナルド」が日本で開発したメニューを日本市場に矢継ぎ早に投入し、巻き返しに乗り出しました。

 そもそも、ラーメンだって中国の食べ物を日本にローカライズしたものです(このあたりについて詳しく説明してくれる新しい執筆者を、近日ご紹介できるでしょう。どうぞお楽しみに)。

 文化を担うのはケーサツではなく、育むのはトリシマリではありません。ビジネスパーソン同士が、“好かれる競争”を繰り広げることで、食の世界は広がってきたのです。

 これから外へ向かうビジネスを考えなければならないという今、注意して観察すべきポイントは、自分たちが他国なり他社からベンチマークされていないかなどということよりも、他国なり他社なりがもっといいものを出しているのではないか、という方であるはずです。

※このコラムはメールマガジンで公開したものです。

齋藤訓之
About 齋藤訓之 299 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所客員研究員。昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。日本フードサービス学会会員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。東京栄養食糧専門学校非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →