「裸の王様」は不幸だったのか?

収穫したダイコン。これを洗うことが商品作りと考えるか、土を落とさないことを商品作りと考えるか
収穫したダイコン。これを洗うことが商品作りと考えるか、土を落とさないことを商品作りと考えるか
収穫したダイコン。これを洗うことが商品作りと考えるか、土を落とさないことを商品作りと考えるか
収穫したダイコン。これを洗うことが商品作りと考えるか、土を落とさないことを商品作りと考えるか

アンデルセンの「裸の王様」は、王様が「愚か者には見えない布地で服を作る」という2人の男に新しい服を発注する話だ。王様にも家来にもその服は見えなかったが、「愚か者」と思われるのはまずいので、見えることにして出来映えを褒め、高額な報酬も与えた。それが実際には存在しないこと、つまり「王様は裸」であることを声高に指摘したのは子供だった。

 果たしてこの王様は、その“新しい服”を着て、実際のところ幸福だったのか不幸だったのか、ときどき考える。敢えて言えば、パレードに出て、子供に大声を上げられるまでの間は、王様にとってその“新しい服”は実在したのではないかと思うのだ。少なくとも、王様と家来と2人の男たちの間では、約束事として“新しい服”は存在した。報酬を支払ってパレードで笑われるまでの間、王様は満足していた。

 問題が生じるのは、王宮の外、王様たちの約束事に関与していない人たちの間に出たときのことだ。しかも、王様たちの“約束事”を無効と決めつけたのは、大人社会の埒外にいる子供だった。王様が声に驚いて、自分の価値観から子供の価値観に転じた瞬間に、彼は不幸になった。

 若い女性がビニール製のブランドもののバッグに大事なお金を何万円も支払って、うれしそうに携えているのを見るとき、この「王様は実は幸せだったのでは。いややはり不幸なのか」という問題を、何度も考える。お叱りか、嘲笑かを受けるかも知れないが、至ってまじめな気持ちだ。

 テレビ番組で、高級なレストランの高額な料理をタレントが一口食べて絶賛しているのを観て、一方その料理の原価をざっと計算してみたときも、同じことを思う。あるいは、古い友人は細君とさまざまなレストランに出かけては、その体験談をSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の日記に書いている。料理の内容から察すると確かにおいしそうだが、彼がその味の素晴らしさをあまりにも凝った“官能的”な表現で書くのが、「感動し過ぎ」と思える。私には滑稽なので、あるときやんわりと指摘したら、かなり気分を害していたようだ。

 ブランドもののビニールバッグも、タレントが絶賛する一口も、友人の食べ歩きも、私にとってはほとんど価値がない。そう考えるたび、しかし私は彼らの文化的なコードの埒外にいる子供に過ぎないに違いないとも思う。「あなたがたは裸だ」と気付き、言えても、それは彼らにとって価値のある指摘かどうかはわからない。

 似たような話と言うと語弊があるが、もう一つきわどい話。ある種の詐欺、たとえば結婚詐欺などは、犯人をつかまえてからも、被害者は“被害”に気付かなかったり、あるいは犯人に会って幸福だったとさえ言うことがあるのだという。立件できるかも危ういケースがあるという。

 私たちは、普段共通の価値観をもって生活しているように思い込んでいるが、実は価値観は多様だ。また、その人が反社会的な人とは言えない、害のない人であっても、法律が想定している通常の価値観とは違う価値観を持つ人もいる。詐欺師に出会ったときに、にわかにそういうイレギュラーな価値観の中に巻き込まれてしまうケースもある。

 平穏な社会にとって脅威となるような価値観は、是正してもらうか、無理やりにでもやめさせる必要はあるだろう。それはたとえば、誰かが全裸で人前を練り歩くとか、生活に支障が出るほどの大金を失うとか、あるいは死に至るような危険な状況が想定されるような場合だ。

 だが、多少の金を損しているように見える程度のことでは、法律はそこに踏み込めないし、思想信条の自由と考えれば踏み込むべきでもない。それでもおかしいと思う人がいれば、それをあげつらって「王様は裸だ」と笑って見せる以上のことはできない。

 食品を売る仕事ではどうか。重大な健康被害があるものを販売してはいけないのは当然だ。表示のルールに従わないことも、違反を指摘するのは比較的簡単だ。生死の問題、短期間で発生する重大な健康被害、表示の不正があれば、それらはいわば物理的に評価できる問題だからだ。それらによって不当な利益を上げることは許されない。

 しかし、「希少だから」「有名な産地のものだから」「著名な料理人が監修しているから」などなどの理由を述べた上で、通常の何倍もの価格で食品を売るのはどうなのか。ブランド関係のセミナーで、「曰くがあれば、いくらでも高い値段は付けられる」とうそぶく講師はけっこういる。ビジネスに目を向けはじめた農家などは、それを聞いて目を輝かせる。そこに危険がある。

 “泥付きダイコン”というものが出回ったことがある。どこかで仕入れたダイコンに泥をまぶして数倍の値で売った人たちがいたと聞くが、これは偽装だからアウト。では、いつもダイコンを洗って市場に出荷している農家が、今日は洗わずにしかるべき場所に持っていって、通常の数倍の値で売った場合はどうなのか。どうなのかというのは、買った人は幸せであるのか不幸であるのか。

 こうなると、法律や自然科学では成否を決められない。これは道徳の問題になる。売る側はもちろん、買う側も、品性が問われる。そして、これは本当に笑うしかないが、上品な人にも、下品な人にも、生きて生活する自由がある。

 衣食足りて礼節を知ると言い、逆に、貧すれば鈍するとも言う。バジェットに追われる人や企業はこの感覚を失いがちだが、品性が劣っていては高価な商品は作れないはずだ。見えない布地を作ってしまわないようにしなければならない。

※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。

About 齋藤訓之 307 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所客員研究員。昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。日本フードサービス学会会員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。東京栄養食糧専門学校非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →