秋田県比内地鶏ブランド認証 制度の歪みに揺れる老舗

在りし日の「くいだおれ」店頭で。かつて複数の銀行が、融資の条件に「人形を置くのをやめること」を示したという。氏が、一時をしのぐために“魂”を捨てなかったことは言うまでもない
在りし日の「くいだおれ」店頭で。かつて複数の銀行が、融資の条件に「人形を置くのをやめること」を示したという。氏が、一時をしのぐために“魂”を捨てなかったことは言うまでもない
在りし日の「くいだおれ」店頭で。かつて複数の銀行が、融資の条件に「人形を置くのをやめること」を示したという。氏が、一時をしのぐために“魂”を捨てなかったことは言うまでもない
在りし日の「くいだおれ」店頭で。かつて複数の銀行が、融資の条件に「人形を置くのをやめること」を示したという。氏が、一時をしのぐために“魂”を捨てなかったことは言うまでもない

7月8日に閉店した「くいだおれ」の創業者、故山田六郎氏の伝記「ばかたれ、しっかりせ」(柿木央久著、講談社)を取り寄せて読んだ。あまりのスーパー経営者ぶりに、一読しただけで全部を真に受ける気持ちにはところどころブレーキがかかるのだが、ともかくも痛快な立志伝には違いない。「くいだおれ」閉店が取り沙汰される昨今では、この希代の成功者も同店創業者として知られるということになるのだが、その人生で成し遂げた大きな功績の一つは、ブロイラー普及に一役買ったことだろう。

 昭和30年代。視察したパリでブロイラーの肉の塊を見て、興味をひかれたという。当時、効率的に太らせ、安価で流通するブロイラーが米国から入り始めたばかりで、ヨーロッパ各国では、それを輸入させるさせないで騒ぎになっていたという。従来のやり方で鶏肉を生産している人々からの反対があったのだ。

 帰国後、山田氏はブロイラー生産を国内に普及させようと考えた。安価なたんぱく源として消費者に喜ばれ、農家の収入も増えると踏んだ。そこで、政治家の経験もあった山田氏は、時の農水大臣に働きかけたという。

 その山田氏以前にも、国内でブロイラーに取り組んだ企業があった。ところが、やはり日本でも従来からの鶏肉業者(同書ではブロイラーではない旧来の鶏を「地鶏」、それを商う業者を「かしわ屋」と表現している)からの風当たりが強かったらしい。彼らは法律と規制を盾にその企業の前に立ちはだかった。やがてその企業はブロイラーから撤退を余儀なくされ、その顛末を知っている養鶏家も問屋も、山田氏のブロイラー普及構想にはなかなか乗って来なかった由。そして、山田氏と、既存鶏肉業者とが対立し、という物語があったということだ。

 養鶏を巡って新旧の勢力が衝突するこのくだりを読んで、「農業経営者」(農業技術通信社)8月号掲載のルポ「比内地鶏の歴史を創ってきた家族」を思い出した。こちらは現在進行形でたいへんなことが起こっている。

 昨年の、大館市の食肉加工メーカーによる比内地鶏偽装事件の後、秋田県は「秋田県比内地鶏ブランド認証制度を立ち上げた。県は、2009年までに、流通するすべての比内地鶏をDNA識別が可能なものにする意向だという。

 ところが、ここに問題がある。比内地鶏には、秋田県畜産試験場系統と、民間の黎明舎種鶏場(大館市)系統の2系統があるのだ。このうち、試験場系統はすでにDNA識別が可能だが、黎明舎系統はDNA識別技術が確立されていないという。問題はそれだけではない。試験場系統の市場シェアが3割なのに対し、黎明舎系統は7割のシェアを持つというのだ。そこで、これまで黎明舎系統のヒナを使っていた生産者からは「黎明舎系統も認めて」との声も上がっているが、試験場系統へ転換する生産者も増えているという。

 このままでは、市場で支持を得ているものの方が舞台から引きずり下ろされる事態になりかねない。県がブランドを守ろうとしてDNA識別を考えたのはよいとして、しかしその結果は消費者不在、市場軽視ということにもなっていきそうだ。

 そして、問題はもう一つある。秋田県は、比内地鶏ブランド認証を受けるには生産方法にも基準を設けたのだが、その飼育方法には「28日齢以降平飼いで飼育していること」、生産施設には「平飼い又は放し飼いのスペースを有していること」とある。ケージ飼いでは「比内地鶏」を名乗れないと言うのだ。

 読んで目を疑った。あるいは走らせて肉質を硬くすべしという狙いがあるのかも知れないが、それを認証の条件の一つとするというのは不可解だ。基準によれば、飼育期間は雌は孵化から150日以上、雄は同100日以上とされる。つまり、比内地鶏というものは、雌は123日以上、雄は73日以上、自らの糞にまみれて育つものだと解釈してもいいだろう。これで病気にならないようにするには、抗菌剤の使用も避けられないのではないか。また、鳥インフルエンザについて世界中が戦々恐々としている中、鶏の放し飼いをさせる基準というのは、全く理解に苦しむ。

 黎明舎種鶏場創業者の故佐藤広一氏は、東京一の種鶏場だった黎明舎種鶏場に入門し、帰郷して同名の種鶏場を設立し、比内鶏などの在来種探索も行ったという。広一氏は養鶏家と競合してはならぬと、種鶏場経営に専念したが、三男の故佐藤黎明氏は飼養管理次第で味が変わる比内地鶏の品質を守るため、禁を破って秋田高原フードを設立した。同社は、かつては放し飼いを行っていたが、現在はすべてケージ飼いに転換している。従って、今や飼育方法でも、老舗である黎明舎サイドが比内地鶏ブランド認証のらち外に置かれてしまうのだ。

 それでも、黎明氏ががんで亡くなった後の同社を守る夫人、佐藤信子社長は、ケージ飼いを選択したことを「それが養鶏家の責任だと思うから」と話すという。

「農業経営者」の記事を読み、この苦境にも笑顔を絶やさない、佐藤社長とご家族の写真を見ていると、世の中のままならなさに目の辺りが痛くなってくる。彼らが今どんな取り組みをしているのかもお伝えしたいのだが、ほかの筆者の記事をこれ以上詳しく説明するわけにもいかないので、このあたりまでにする。

 さても。役人は、人であるからには(ときには「人でなし」と面罵される人もいるが)しばしば間違う。そして、経営者たる者、世の中に敵は多い。だから、事業はしばしば壁に突き当たる。そこまでの苦しみを味わったことがない私がこんなことを言っては失礼千万なのだが――佐藤さん、いいではないですか。みなさんの生産が禁止されたわけではないのだから。信ずる系統、信ずる生産法を捨ててまで、首を傾げたくなる基準を強いるブランドの仲間に入れてもらう必要もない。多くの人を喜ばせることが正義であるとすれば、その笑顔のまま進んで行けばいいと信じているはず。

「ばかたれ、しっかりせ」の山田六郎氏も、この人もまたずいぶんといろいろな苦境に見舞われたよう。ところが、それをいつも笑ってはね除け、我が道を守り続けた。氏の懐にはいつも手鏡があったとか。時間を見つけては取り出して、最高の笑顔を練習するために。

※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。

齋藤訓之
About 齋藤訓之 300 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所客員研究員。昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。日本フードサービス学会会員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。東京栄養食糧専門学校非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →