最善の売り方を考えて、最善の中身を用意する

ある“おまけ”。これと中身に何の関係があるのかは知らないが(本文に登場する商品や人物とは関係ありません)
ある“おまけ”。これと中身に何の関係があるのかは知らないが(本文に登場する商品や人物とは関係ありません)
ある“おまけ”。これと中身に何の関係があるのかは知らないが(本文に登場する商品や人物とは関係ありません)
ある“おまけ”。これと中身に何の関係があるのかは知らないが(本文に登場する商品や人物とは関係ありません)

「中身で勝負」と言うと聞こえはいいが、極端なまでに消費社会が発達した今日の日本で、その無邪気な考えは通用するだろうか。考えてみたい。

 旧友と20年ぶりに再会した。Yという。中学時代、共に美術の先生にかわいがられ、一緒に画家かデザイナーになる日を夢見た仲だ。センスが良く、仕事が丁寧なYは熱心に勉強してグラフィック・デザイナーになったが、途中でひとの作品を観る方が好きになってしまったこちらは編集者になった。仕事を始めてから、お互いに「まあ、いつでも会えるさ」と思っているうちに、20年も経ってしまった。

 最近の作品として、彼は装丁を担当したいくつかの本と一緒に、映画「バベル」のパンフレットを見せてくれた。「届け、心。」のコピーをひねり出したのは彼だという。この種の仕事、「はい、この商品に絵を描いて」といった簡単なものではなく、グラフィック以外の能力も求められるのだという。

「やるじゃない」と感心していると、袋の中からもう一つのおみやげが現れた。差し障りがあるといけないので詳しくは書かないが、誰もが知っているあるインスタント食品の最新バージョンだ。

 パッケージ・デザインを請け負っているわけだが、この食品の場合は、まだ中身が決まっていない、コンセプトの段階からかかわり、担当者と侃侃諤諤(かんかんがくがく)と議論を交わしながら、訴求点を絞り、デザインを決めていった。

 彼が意外かつ考えさせられることとして語ったのは、その中身(食品そのもの)は、そのコンセプトとデザインに合わせて、途中から用意されていったという点だ。

 商品は中身が勝負であって、中身こそ商品そのもの。従って、中身の優先度と重要度は圧倒的であるはずで、パッケージや販促物(つまり外側)はそれを引き立てるために後から考えられる――普通の消費者の感覚からすれば、そうなるだろう。Yにしてみても、例えば実際に「バベル」ではそのように働いたのだ。

 話題の映画は、彼が知らないところで、すでに完成されていた。その意味で、彼がこの映画のためにしたことはプロダクト・アウトで考えたことになる。逆に、このインスタント食品の開発は、マーケット・インで行ったわけだ。ここで、このマーケットとは、まずデザインやうたい文句の魅力を求めており、味はそれらを裏切らないものとして付随的に求めているという特徴を持っている。だから中身よりも外側から開発することになったのだ。

 マーケットはなぜ外側の魅力を求めるのか? スーパーやコンビニで陳列販売するからだ。対面販売なら店員がお客に呼びかけ、説明して売ることができるが、陳列販売では商品そのものが棚の中で自分をアピールし、お客の心を引き付けなければ売れようがない。

 ここからは、Yの仕事とは関係のない話になるが、ときどき、この外側の魅力と中身が乖離した歪んだ商品が現れる。1964年生まれの筆者が最初に出会った例では、72年発売の「チョコベー」(森永製菓)と「仮面ライダースナック」(カルビー。首都圏等では71年発売)の二つの大ヒット商品がそれに当たる。

 前者は、3~4口で食べられるチョコレートにユニークなシールが付いたもの。子供がこれを買うのはシール目当てで、チョコレートも皆喜んで食べていたが、「あのシールにあのチョコレートである必然性」というものはほとんどなかった。後者は、言わずと知れた仮面ライダーのカードが付いたスナック菓子。これも、パッケージとカードに対して、中身のスナック菓子は何のかかわりも持っていなかった。しかも、ある少年たちにとってはカードの消費(手に入れて専用ホルダーに収める行為)スピードがスナック菓子の消費スピードを上回り、中身を捨てて次を買うという不道徳行為を助長する商品として悪名をはせた。

 昨今、こうした食玩と呼ばれる商品がまた話題になっているが、最近の食玩はパッケージと玩具が大きくなる一方、中身は錠剤のような菓子が数粒あるいは1粒といった笑うに笑えないものも珍しくない。これは、「食」として扱われるためのアリバイ作りとも言えるが、外側と中身の消費スピードのバランスを取った結果でもあるのだろう。

 ミートホープで話題になった「牛肉コロッケ」の類も、実は外側の魅力と中身の実態が乖離した例だ。パッケージに「牛肉」と書く必要があり、そのアリバイとして若干の牛肉(のはずだった)を製品に混ぜている。食べても牛肉を実感することはないので、今回のような犯罪の発生を許した。

 こんな話をすると、農村からは「都市生活者はおかしなものを買っている」と嘲笑が聞こえて来そうだが、笑っていられることだろうか。外側と内側が乖離した商品を作ることは物笑いの種であり、ときに反社会的な行為でさえある。しかし、そんなものまで作られるほど、外側の重要度は高いのだ。外側の魅力がなければ、今日の流通でものは売れないのは明らかなことで、そこをどううまくバランスをとって、売れる、優良な商品を作るか、という点にメーカーや例えば私の旧友も知恵を絞っている。そこは理解しなければならない。

 日本の農産物で、外側の魅力を持っていて、しかも中身とのバランスも保っているものの例はどれだけあるだろうか。まず、ほとんどの農産物は、外側が全くなく、中身だけで勝負しようとしている。ときどき、金をかけて外側を作った農産物というものもなくはないが、たいていの場合、キャラクターやロゴを文字通り取って付けたようなもので、それはつまり「仮面ライダースナック」の不格好なモドキ商品に等しい。

「飾る必要はない。安全でおいしいものを作れば、自然に売れる」と言う農家は多い。しかし一方で、「価格が折り合わない」と不平を言う農家も多いのはどうしたことか。「売れる」という言葉の意味が分かっていないのかも知れない。

 今日、あらゆる商品はマーケット・インでアプローチするのが得策だ。とはいえ、プロダクト・アウトで考えざるを得ない農産物もあるだろう。それでも、かの話題の映画に対して私の旧友が知恵を搾ったように、丁寧に外側を用意する必要はある。

 誰一人、消費者の選択に文句は言えない。彼らは裸であるかも知れないが、王様には違いない。あざ笑うよりは、最高の服を作って、美しい言葉と包み紙を添えて売り込むことが世の中を良くする平穏な近道だろう。

※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。

About 齋藤訓之 307 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所客員研究員。昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。日本フードサービス学会会員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。東京栄養食糧専門学校非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →