見えないリスクに人がとる不可解な行動

毒?(過ぎてしまえば笑い話だが、過ぎるまでが長い……)
毒?(過ぎてしまえば笑い話だが、過ぎるまでが長い……)
毒?(過ぎてしまえば笑い話だが、過ぎるまでが長い……)
毒?(過ぎてしまえば笑い話だが、過ぎるまでが長い……)

このサイトの読者のみなさんにこのようなことを打ち明けるのは恥ずかしいことだけれども、私は今も牛肉を元気よく食べる気にはなれないでいる。国産牛の管理の厳重さ、米国産牛を食べた場合に変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(vCJD)に感染する確率の低さ、あるいはそもそもvCJDとBSEとの関連は未解明である、などなどの説明を聞いても、どうしても積極的になれない。説明自体にはうなずきもするので、これは全く個人的、心理的な作用なのだが、この辺りが私の科学的態度の限界らしい。頑迷な消費者のサンプルとでも考えていただければと思う。

 以前、情報通信関連の企業に勤める研究者が、こんな話をしていた。シルバーシート付近で携帯電話の電源を切るようにという約束事は間違っているというのだ。もしも、本当に携帯電話が医療機器に悪い影響を及ぼすようなものであれば、「電源を切ってください」とアナウンスしたり掲示するだけでは完全にリスクを除去できず、危険である。一方、もしも危険がないならば、そもそもそのような約束事で文明の利器の活用に制限を設けるべきではない。そのような趣旨だった。

 この曖昧な管理の仕方(厳密には管理とは言えない)は、牛肉を積極的には食べない(友人に勧められたときや仕事では食べる。もちろんおいしそうに)私のいい加減さによく似ている。

 このように、証明されていないリスクを忌避すること自体は、昔から行われてきたことだ。人々のそうした態度が非科学的なことだと証明され、次いで多くの人が納得し、ついには笑い飛ばされるまでには、100年単位の時間がかかる。

 よく言われることだが、トマトが南米からヨーロッパに持ち込まれたのは16世紀だが、当初これには毒があって食用にならないと考えられていた。その後19世紀のアメリカで、これを人々の前で食べて見せて無害を証明した人がいるというから、300年近くの間、トマトが毒の実だと信じる人が大勢いたということになる。

 ゲシュタルト心理学の説明で、こんなたとえ話が使われる。ある旅人が雪の中を歩いている。広い雪原を横切って小屋にたどりついた。すると、その小屋にいた人が、「あなたが横切って来た雪原は実は湖で、薄い氷が張った上に雪が積もっていたのだ」と説明した。その途端、平静であった旅人の心は、「足の下の氷が割れて、自分は死んでいたかも知れない」と恐怖に襲われる。

 ゲシュタルト心理学でこのたとえを用いる狙いからははずれるが、何年間も牛肉を食べ、そして今は牛肉を食べない私は、さしづめ薄氷のことを聞かされた後の旅人ということになるだろう。今もって目には見えない、しかしあると聞かされた薄氷の存在におののいているのだ。

 ここで、この旅人は、科学的であろうと考えれば、雪原に戻って、雪を掘り、氷の厚さを調べることができる。その氷が十分に厚ければ、そこを渡って来たことは特に危険なことではなかったと安心できるし、帰途も再訪の際も同じルートを使うことができる。

 二度と同じルートを使う気になれないのは、以下の3通りの場合だ。1.雪を掘る方法を知らない。ないしは、雪を掘る道具がない。2.掘ってみた結果、実際に氷はあり、しかしどの厚さであれば安全かが分からない。3.実際に氷はあり、しかも薄かった。今の私は、1.と2.だ。シルバーシートの付近で携帯のスイッチを切るというアイデアもこれによる。そして、食品の安全性について過剰な不安を述べる人の多くも、3.ではなく、1.2.の場合が多いだろう。

 自己弁護する気はないが、こうしたことを非難できるかどうか。

「源氏物語」の夕顔に、こんな話がある。夕顔が亡くなった翌日、頭中将が光源氏の屋敷を訪ねる場面だ。源氏のそばに寄ろうとする頭中将を、源氏の君はこう言って制止する。「立ちながら、こなたに入りたまへ」。自分とこの部屋は、死のケガレの中にある。頭中将がそのケガレを受けないように、立ったまま部屋に入って、膝を突くなというのだ。立っていればうつらない。膝を突けばうつる。

 当時の都の人々は、死のケガレをそのようなものだと考えていた。目で見、理屈でとらえることのできないケガレというリスクに対して、そのような作法、社会的制度を作って対抗した。たとえが悪いが、いじめなどでしばしば話題になる「バイキン」「エンガチョ」の類も同じような仕組みによるものだ。雪の下の氷を確かめず、湖の外周を回って帰ったであろう旅人、牛肉を食べない私、携帯の電源を切ることを求める鉄道、そして、食品の安全性について、科学的に立証されていないリスクを問題にする人々、いずれも同じ方法で見えない(あるいは存在しない)リスクに対処しようとしている。

 それが良いか悪いかを断ずることよりも、人間とはそのように動くものだと知っておくことの方が重要と思われる。

※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。

About 齋藤訓之 307 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所客員研究員。昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。日本フードサービス学会会員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。東京栄養食糧専門学校非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →