“理想の食”のために闘えるか

子供の皿で泣いていた野菜コロッケ
子供の皿で泣いていた野菜コロッケ
子供の皿で泣いていた野菜コロッケ
子供の皿で泣いていた野菜コロッケ

世界を変えることは、闘争であると考える人は、今日なお多い。全共闘世代の人々、それに続く、学園が内ゲバに明け暮れていた頃に学生生活を送った人々と話していると、そう感じることが多い。私の高校の恩師は、さらにその前の全学連の頃の人だが、「生きることは闘いだ」と説かれて困った思い出がある。

 食の話から逸脱しようというのではない。「慣行栽培か有機栽培か」「食品添加物使用食品か非使用食品か」「GM(遺伝子組換え)作物か、non-GM作物か」などなど、「前者と後者と、どちらが善でどちらが悪か」「どちらが勝つか」「あなたはどちらに与(くみ)するのか」そのように考える人があまりに多いので、辟易としている。

「仲良くしましょう」などと言って、“いい子”を決め込もうという気はさらさらない。ただ最近、「齋藤さん、あなたどっちの味方なんですか」とよく聞かれ、その都度「どちらということはありません」と答えている。そのはっきりしない立場に立っているということを、はっきりさせて置こうと思う。

 2003年8月から、2005年7月までの2年間、私はベジタリアンだった。魚介類はおろか乳製品も卵も摂らない、ビーガンと呼ばれるものに近い食生活をしていた。ただし皮革製品の靴や手帳は愛用していたし、外食や市販の食料品に含まれる動物由来の成分はある程度許容していたので、本当のビーガンではない。

 なぜそんなことを始めたのか、動機としていくつか挙げるとすれば、環境と健康を考えたこと、また贅沢を見直そうと考えたこと、などだ。

 食物連鎖の上位にある生物を食用のために飼育すると、下位の生物を食用にするよりは一般に環境コストが高そうに思われる。ある種の有毒物質が濃縮されるリスクもありそうだ。そもそも人間の歯の形や腸の長さはのべつ肉食をする生き物のそれとは違っているようで、植物を中心とした食生活の方が体に合っていそうだ。

 一方、コメとダイズ製品を摂れば、必須アミノ酸は充足できる。それに野菜を加えれば、栄養素で不足するものはほとんどなく、健康を害することはなさそうだ。唯一、ビタミンB12はビーガンの場合ほとんど摂れないので、これはサプリメントで補う。無理ではなさそうなので、自分の体を使った生き方の人体実験として始めたのだ。

 やってみると実に楽しい。様々な豆類や野菜、各種の乾物など、それまであまり手を出さなかった食材に詳しくなるきっかけとなった。体重は18歳頃のそれに近づき、体は軽く、元気なせいか前向きに考えるようになれた(そのすべてが食生活のおかげとは考えないが)。

 ところが、意外な“伏兵”が現れた。ベジタリアンになったと言うや、母親が「どうして!」と顔を歪めた。息子の成長のためにと、せっせと肉や魚や卵や乳製品を調えてきた彼女(栄養士だ)の半生を否定するようなことだったのだ。また、妻は快く協力してくれたが、子供がかげりを見せるようになった(妻と子供は従来通りの食生活を続けていた)。「どうして父親は自分と同じものを食べないのだろう」と、不安に思ったようだ。

 そして友人たち。「レストランを予約するとき、一人はベジタリアンだと言って」というわがままに、まあまあ面白がって付き合ってくれていたけれども、何とも言えない不自由さ、そこはかとない不愉快さを感じさせていることを、会うたびに悟るようになった。

 そしてこれまでに仕事で出会った、畜産、酪農、食肉製品、乳製品にかかわる人たち。誇り高い彼らに対する尊敬の念と、自分の行動とどう折り合いを付けるべきか。そうした問いが、日々去来するようになった。

 結局気付いたのは、ベジタリアンという生き方は、そうではない人や社会に対する優しくない問題提起であり、闘争なのだということだった。生き方そのものが、世間様に喧嘩を売ることに等しい、いわば非常に“肉食的な”ライフスタイルであると実感したのだ。

 ベジタリアンであり続ける人を、私は批判する気はない。むしろかつてと変わらず支持している。今後、このライフスタイルに近づく人は増えるだろうし、あるいは増えた方がいいだろうとも考えている。

 ただ、これは21世紀初頭の日本列島に住む私が採るべきライフスタイルとは違ったということだ。私ごときの理想とは別に、現実の社会、経済がある。その中に暮らし、特に決定的な間違いを犯しているわけでもない私の肉親や友人たち。彼らを悲しませたり、寂しがらせたり、居心地悪く感じさせたりすることは、私が“理想の食生活”の実験のために払うコストとしては大き過ぎる――それが今日現在の私の結論だ。

 さて、食品添加物、農薬、GM作物、それらを是とする人、非とする人、双方に考えてみてもらいたい。それぞれが、今日のこの世界の中で役割をもって働いている。どちらも、それぞれに市場が求めていて、それに応える仕事をしている。それを、お互いに善悪を決め付けて攻撃し合い防御し合い、相手を打ち負かすことで、世界がより早く良くなるというようには私には思えない。

 互いに敬意を抱いて協業を目指すことから、穏やかに世界を変えて行けないか。

※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。

About 齋藤訓之 307 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所客員研究員。昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。日本フードサービス学会会員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。東京栄養食糧専門学校非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →