時代によって方法は変わり、使い手にも変化が求められる

様々な粉末だし
様々な粉末だし
様々な粉末だし
様々な粉末だし

アンゼンフーズ(静岡県沼津市、山形晋一社長)は、冷凍食品業界では名の通った会社だ。とくに中国料理を得意とし、冷凍の点心についてはパイオニア的存在。「およそ中国料理店で提供するものなら、なんでも冷凍食品にしてみせる」ということで、北京ダックの量産化にも成功している。

 その創業者、山形文男会長には長年の夢があった。戦前に暮らした中国でよく食べていたものと同じギョーザを食べたいということだ。しかし、日本各地を食べ歩いても同じものには出会うことがなく、引き上げてから何度か訪れた中国でも、文化大革命後にはそのギョーザの製法は伝わらなかったらしかった。

 結局、それを自社で再現してみることにした。しかも、企業ドメインである冷凍食品として復活させると決めた。味覚の記憶だけを頼りに、10年余り試作を繰り返した。

 以前、「ほぼ完成版」という一皿を試食させてもらったことがある。大ぶりのギョーザは、パリッとした焼き目のついた部分の皮がやや厚手になっていて、もっちり、しこしことした食感。次いで口の中にジューシーな具の味が広がるといったものだった。氏が中国で食べたものと比べる術はないが、とても印象的なギョーザだった。

 あの味を思い出すたびに考えさせられるのが、ある味に到達するためには、ルートは1つではなく、幾通りかがあるということだ。このギョーザの例で言えば、60年前の中国で作られていたオリジナルの製法が第1のルート。それに対して山形会長が作った冷凍食品のギョーザが第2のルートだ。

 この場合、第2のルートを経てできたギョーザを「イミテーション」と言えるだろうか。アプローチのしかたこそ違うが、両者ともに、ある共通の味と食感に到達していると、山形会長という証人が認めて今日発売に踏み切っている商品だ。氏にとって、どちらもが、完成した“本物”であるに違いない。

 話は変わって、かつおだしのたっぷり利いたみそ汁なり吸い物を作ることを考えてみる。オリジナルの方法では、昔からあるかんな状の道具で、かつお節を削ることから始めることになるだろう。これが第1のルートだ。

 ここで、先日糸井重里氏がテレビで話していたある道具を使う方法を第2の道筋と考える。これは手回し式の鉛筆削り器のような道具で、かつお節をセットしてハンドルをグルグル回すと、伝統的な道具に比べて簡単に削り節ができるというものだ。

 以前、ある通販雑誌で氏が日記風の文章でこの商品を紹介していたのだが、それから何年かを経ても愛用していることをテレビで話していたから、本当に気に入っているのだろう。樋口可南子さんが立つ台所で、糸井氏がグルグルとかつお節を削っている図を想像するとえも言われぬ感興がわく。そして、夫婦揃って忙しい家庭ながら、風変わりな道具を使ってでも自分でかつお節を削るというあたり、氏の食に対する考え方の一部を垣間見る思いがする。

 著名人の話の後で恐縮だが、私なら第1のルートも第2のルートも採用しない。粉末だしを使う。粉末だしは、スーパーで手に入るもののほか、通販で入手したもの、出張先で御当地の専門店を探して買ったものなど、いくつかを揃えている。これを第3のルートとしたい。

 さて、かつおだしを得るためのこの3つの方法の話をすると、たいていの人が第1の方法を「本物」と考え、第2を「手抜き」と考え、第3は「ニセモノ」と考える。そこで回答者に、あなたはどの方法を採っているかと聞けば、たいていは第3の方法だと答える。

 私は、この3つについて、どれが「本物」でどれが「ウソ」というように、価値に差を付けて考える必要はないし、むしろばかばかしいことだと考える。ある味に到達するためには、複数のルートがあり、そのそれぞれに、技術が生まれた背景、支持される理由がある。それだけのことだ。

「そうは言っても、粉末だしで作った吸い物は、丁寧にかつおだしを取ったものに比べて味も香りも劣る(あるいは“うま過ぎる”)」という意見もあるかも知れない。しかし、それをもって「粉末だしはニセモノ」と断ずる理由とするのは誤りだろう。粉末だしの技術開発と改良が足りないまでだ。あるいは、調理の現場での使用方法が悪いのかも知れない。

 以前ここで紹介した茨城県の農家高松求氏の家でいただくモチは、これまで同席した誰もがそれを食べて絶賛する。香り、粘り、歯ごたえ、ほのかな甘みなどが絶妙で、誰もが何も聞きもしないうちから「さすが杵つきは違いますね」などと言ってしまう。農家は皆、木の臼と杵でモチをつくという偏見があるのだ。

 しかしこのモチ、高松氏の友人が回転式の機械でつくものだと言う。「技術は進みます。時代時代に新しい方法、道具、機械、材料が登場する。そしてそれに応じて、使い手にも変化が求められ、使い手それぞれの技量も新しいやり方の中で問われ直されていく」と高松氏。このモチの場合も、その機械も素晴らしいが、使い手の研鑽がさらに素晴らしいのだということだった。

「食育」の名のもとに、“昔に返れ”と説く向きも多い昨今だが、“今”を教えなければ、すべてがむなしい。

※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。

About 齋藤訓之 307 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所客員研究員。昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。日本フードサービス学会会員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。東京栄養食糧専門学校非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →