バイテクの船は沈んで当然と考えさせるのか?

植物ゲノムセンターの試験圃場。倒伏に強い品種、夏季が短い地域向けの良食味の品種などなど、夢のあるイネ新品種が日の目を見るときを待つ
植物ゲノムセンターの試験圃場。倒伏に強い品種、夏季が短い地域向けの良食味の品種などなど、夢のあるイネ新品種が日の目を見るときを待つ

9月27日の松永和紀氏による「DNAマーカー選抜はGM技術とは別モノ!と認識すべし」に登場する、植物ゲノムセンター(茨城県つくば市)の美濃部侑三社長は、打ち合わせに呼んだ広告代理店に失望し、会議を終わらせて帰したことがあるという。

 DNAマーカー選抜を取り入れた育種法(同社ではゲノム育種と呼ぶ)で開発したコメの新品種の広告戦略を話す打ち合わせだった。広告代理店側は、「植物ゲノムセンターという会社名は世間の印象が悪いので、それがなんとかならないか」という意味のことを繰り返したのだという。

「長年、ゲノムの研究をしていた人間が、その技術を使って起業した。だから、会社名は植物ゲノムセンターという。我々は、できればこの会社の名前を売りたいと考えているのに、『それをなるべく目立たないように』という話では困る」。穏やかに話してくださったが、相当な怒り、いらだち、落胆だったと推察する。

 消費者の行動は、理屈によらない。理屈で把握することも、説明することも、コントロールすることも、完璧にはできない。消費社会はそうした不可解な主観の集合体という海で、我々はその得体の知れない海原を漂っている。広告代理店は、その海の怖さを知っているのだ。だから、美濃部社長の袖を引っ張った。

 ただ、コンサルティング営業のなんたるかは知らなかった。「コメを売れ」と言って、売って見せるのは二流の営業。売れたらどんないいことがあるのか、売れないとどう困るのか、その会社の根底の課題を知ろうとするのが、一流の営業だ(詳しくは「ビジネス・シンク」(マハン・カルサー他著、日本経済新聞社)の「ソリューションの誘惑に抵抗せよ!」という章に詳しく書いてある)。

 美濃部社長の根底の課題は、荒波をごまかして乗り越えるのではなく、海をしずめ、逆風を順風に変えることだった。すなわち、開発した新しいコメを売り出すことを通じて、「ゲノム」研究にまい進してきた成果を知らしめ、「ゲノム」に精魂を込めてきた誇りを高らかにうたい、「ゲノム」という言葉を広める、そのことだった。

 それに対して、広告代理店はあろうことか、「船が転覆しないように、船を沈めましょう」と言ったのだ。

 この広告代理店が「ゲノム」のイメージが悪いと言った背景には、やはりこれまでの遺伝子組換え(GM)に関する情報の偏った扱われ方がある(植物ゲノムセンターのこれまでの仕事は遺伝子組換えではない。誤解のないよう、いま一度松永氏の記事を読まれたい)。これには、マスコミにも大きな責任がある。その問題を棚上げにするつもりはない。ただ、問いたい。遺伝子組換えについて消費社会の荒波が立ったとき、それまで遺伝子組換えにヒトもモノもカネもつぎ込んできた日本の食品関係、農業関係の企業は、なぜさっさとその研究を引っ込めてしまったのか? なぜ、マスコミと消費者に対して「冗談じゃない!」と怒りをあらわに記者会見するようなトップが、どこからも現れなかったのか?

 短期的に(当事者にしてみれば中長期的にかもしれない)消費者の反発を買って売り上げを落とすこと、それによって株主の利益を損ねることを恐れたのだろう。もちろん、ビジネスの問題としては合理的な判断だ。

 しかし、人々はそこで気付いてしまったのだ。「やはりカネの問題だったのだ」と。それは、遺伝子組換えに反対する人々の宣伝内容を、強力に利することでもあったはずだ。そして何より、この分野の研究者たちを、大いに傷つけたのではないか。

 カネを使って回している世界なのだから、あらゆることにカネがかかわるのは自明のことだ。しかし、カネが、生命や心や志などよりも目に見えて重く扱われるとき、人は怒ったり、傷ついたり、無力感にさいなまれたりする。「冗談じゃない!」と。

 本当のところどうなのか? カネなのか? それ以外の何かがあるのか? 企業は、それを語るべきだ。

 私が出会ったバイオテクノロジーの研究者たちは、「社会のため」「人々の幸福のため」「地球を守るため」と、真剣な眼差しで言っているし、仕事に誇りを持っている。彼らとかかわっている、あるいは彼らを雇っている企業は、彼らのその意気をどう受け止めているのか?

 研究者の方々にお願いしたい。あなた方は、カネ(だけ)のためでないとしたら、多くの人々を助け、感動させる力を持っているか、持とうとしているはずだ。そんな人たちが、世間から見えないところにいてはいけない。それは、教育上も困る。生物の何を調べ、どんな働きかけを行い、それによって我々にどんな素晴らしいものを用意してくれようとしているのか、誰からも見えるところで熱く語り、人々をリードすべきだ。これまでにあなた方に落ち度があったとすれば、その活動に費やす時間と労力が、不足していた。心ある企業を探し、支援を乞うべきでもあった。

「ヒーローになりたいのだろう」と冷ややかに言う人には、「その通りだ」と言ってやればいい。英雄になりたいと努力している人を、誰が笑えるのか。「好きなことをしているだけだろう」と言う人がいれば、言わせておけばいい。自分が好きなことと、社会の利益を統合することは、健康で崇高な人生そのものだ。

 もしも皆さんの考えていることが間違っていたら――そのときは私たちもひとこと言わせていただく。

※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。

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About 齋藤訓之 398 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所特任研究員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。日本フードサービス学会、日本マーケティング学会会員。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →