雨知らずの土地の自由な農業経営者

1枚で数十haというワシントン州の円形圃場
1枚で数十haというワシントン州の円形圃場
1枚で数十haというワシントン州の円形圃場
1枚で数十haというワシントン州の円形圃場

「恵みの雨」とも言うが、雨は農家にとっては悩みの種でもある。長く続けば日照不足となるし、作物の茎葉が湿ればカビの胞子や病原菌が付きやすくなる。圃場の管理が悪ければ根の呼吸を阻害し、いわゆる湿害を来す。何より作業計画が立てづらい。やっと晴れたと思えば雑草対策に追われる。そんなあれやこれやの心配がなく自由にできたら、というのはこの季節の農家のお定まりの話題だ。

 以前、そんな心配が全くない人々を訪ねた。米国ワシントン州内陸部の生産者たちだ。

 緑豊かな日本列島に暮らす者にとって、ワシントン州内陸部というのは、途方に暮れてしまうほど荒涼とした場所に映る。地平線まで火山灰土が覆い尽くし、見るからにやせている。年間降水量は7インチ程度(約180mm)と聞いた。東京の平年値1466.7mmに比べれば、ほとんど雨は降らない場所と言ってもいい。砂漠のような所で、昼夜で寒暖の差も激しい。

 ただし水がないわけではない。この乾燥地帯のただ中をコロンビア川という水量豊富な川がのたうつように流れ、そこから用水はたっぷりと供給される。養液土耕(fertigation)と言って、水は生育状況に応じて肥料や薬剤を混ぜて施す。ジャストインタイムで必要な成分を供給するため、土壌の肥料持ちが悪くても期待に沿った形での栽培が可能だ。

 栽培しているのは、世界的な市場を持つジャガイモのほか、トウモロコシ、ニンジン、タマネギ、牧草などで、これらを組み合わせた輪作体系を取る。ジャガイモについては、日本ではよく収穫作業の前に茎葉を枯らす枯凋剤の使用の是非が話題になる。しかし、彼らにその議論は不要だ。潅水をやめれば作物はすぐに枯れる。一応、「日本では枯凋剤も使うが」と尋ねたところ、「コストがかかるから使わない」とのことだった。

 水を切って死ぬのは作物だけではない。収穫後の乾燥した圃場は、昼の灼熱と夜の低温で、害虫や病原菌にとっては地獄のような環境となる。訪問中、農家の家やホテルで夜の街灯をずっと観察し続けたが、灯火にたかる虫の類は遂に見ることがなかった。水を握る生産者たちは作物と病虫害の生殺与奪の権を握り、自由自在に経営を展開している、と言っては言い過ぎか。

 もちろん病虫害が皆無というわけではない。ジャガイモで言えば、どこの国でも農家を悩ませるジャガイモ疫病や米国特有の害虫で数年おきに大発生するコロラドハムシ(Colorado potato beetle)などが主な問題となっている。

 これらに対しては、発生情報を受けて農薬使用の判断を下すのだが、「非常に大きなコストになるので、極力使わない」という。また、米Monsanto社がコロラドハムシ抵抗性のある遺伝子組換えジャガイモ「ニューリーフ」シリーズを商品化しているが、これもコストの問題で本格的な導入には消極的だった。

「大きなコスト」というのは、農薬の単価が高いのではなく、使用量が莫大になるということだ。このエリアには、半径数百mの円形圃場がたくさんある。しかもそのような巨大圃場を1軒の農家が十数から数十カ所持っている(100カ所以上経営しているという“豪農”にも出会った。世田谷区がすっぽりと収まるような超大型経営だ)。それだけの面積に必要な農薬の量を考えただけで、彼らも目を丸くして肩をすくませる。

 そこで、「それだけケミカルの使用を抑えることができるのなら、オーガニックに取り組むのもたやすいのでは」と水を向けると、「最近人気があり高く売れるので、オーガニックの圃場をもうちょっと増やそうかと思っている」と、淡々とした答えが返ってきた。

 土壌の性質から言って、恐らくワシントン州内陸部と同じかそれ以上に肥料持ちが悪く、しかも温暖かつ湿潤で病虫害が発生しやすい日本では、オーガニック(厳密に言えば定義は違うが、日本では一般に有機栽培)を実践するのは、彼の地に比べれば至難の業だ。それでも有機栽培に取り組む農家に、その険しい道を進むに至った動機を尋ねると、大半の人からは経営面以外の部分から答えが返ってくる。

 例えば、「以前自分が農薬散布で体を壊した」「水田や用水路に浮かんだおびただしい数のカエルや魚の死骸を見て恐怖感を覚えた」「環境を守るため、アトピー対策などのために必要である」など。つまり、人生の中での戦い、個人の信条、正義感に突き動かされた社会的な運動、挑戦といった場合が多い。

 それに比べると、ワシントン州で出会った農家にとってケミカルやGMOを使うかどうかというのは、あくまでも経営とマーケティング――費用対効果、そして生産物の市場性がどうか――というビジネスとしての問題で、発想の地平が全く違っている。

 資本主義を理解し尽くし、自由に経営を行う彼らのことを、「クールでドライな地域のこと」と、笑い飛ばす手もあるにはあるのだろうが……。

※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。

About 齋藤訓之 307 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所客員研究員。昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。日本フードサービス学会会員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。東京栄養食糧専門学校非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →