ソムリエ下野隆祥氏からいただいた励まし

「六人会」で出会ったソムリエ下野隆祥氏にはたくさんのことを教わった。その下野氏も、やはり輸入ワインのダメージに注意を払う人だった。ある日、氏に誘われて入った赤提灯で、意外なワインのテイスティングをすることとなり、私は氏の意図を量りかねて混乱した。

「六人会」でのあだ名「ダメージの大久保」

 私が敬愛するソムリエ、下野隆祥氏にも触れておきたい。下野氏との出会いなしには私は「リーファー提案」に至らなかったかもしれない。

 同氏は「銀座マキシム」「京都リヨン」「銀座レカン」「ミラベル」(ロンドン)、「シャトーレストラン タイユバン・ロブション」(現「シャトーレストラン ジョエル・ロブション」)、「銀座オストラル」等のシェフ・ソムリエや支配人を歴任した名ソムリエである。そして、「六人会」の最年長メンバーであった。

 月1回の「六人会」に同氏が現れたのは、私が参加して3カ月目のときだったと記憶している。ひさかたぶりの出席だったらしい――これは推測だが、同氏が欠席することが多くなったために、私が8人目として受け入れてもらえたのかも知れないのだ。

「六人会」に参加させていただいた当初の私は、先輩メンバーに比べて「メドック・グラン・クリュ」のワイン群のテイスティング経験は少なく、各シャトーごとの“らしさ”など判別できるはずもなかった。そのため、試飲した後の「沈黙時間」終了後の意見交換のときに、私が披歴できるコメントはダメージの程度と原因の推理、そして原料ブドウの構成比の推理だけであった。それゆえ先輩メンバーからは「ダメージの大久保」とあだ名されてしまっていた。

ダメージに注意を払っていた下野氏

 下野氏はこれ以後出席率がよくなったらしい。そして、氏は「六人会」の帰りに母上のお住まいへ向かうことがよくあって、私の帰途と方向が同じだったことから、その道すがらいろいろ教えを乞うた。そんな私の質問攻めに、下野氏は気さくに答えてくれたものだった。

 ある時、ご一緒した電車の中で、私はダメージに関する自身の判断基準が正しいのか自信が持てないと同氏に告白した。同氏は笑いながら、「ダメージの大久保」のテイスティング・カードに目を通してくれて、その後、御自身のテイスティング・ノートを差し出してくださった。氏のノートを開いてビックリした。ほとんどのワインへのコメントに「ダメージ」の文字が躍っていた。そして「もっと自信を持ちなよ!」と言ってくださったのだ。

 その後、ある日の「六人会」の帰りに、下野氏が珍しく「一杯付き合え!」と言った。そして、さる私鉄駅近くの赤提灯へ誘われ入店した。

 下野氏の顔にいつもの笑顔がない。私は「これは小言でも食らうのかな?」と思い緊張した。氏は店の親父さんに「例のワインをちょうだい!」と言ったきり、ワインが来るまで一言も喋らない。

「サッポロ ワイン 北斗」のテイスティング

「俺、六人会で変な発言したかな? それとも秘蔵のワインでも飲ませてくれるのかな?」と“天国”と“地獄”を想像しながら私の心臓はバクバクと音を立てていた。

 が、運ばれてきたワインを見てズッコケタ。「サッポロ ワイン 北斗」の赤の一升瓶である。秘蔵のワインでなければ、小言だ――私は“地獄”を宣告されたものと覚悟を決めた。

 氏はテーブルの上の栓抜きで王冠を開け、私の前のコップに中身を注ぎ、「味見しろ!」と言う。想定外のシチュエーションである。ばかばかしくも思えたが、試されているのだろうと納得して、慎重にテイスティングした。

 氏は「このワインどう思う?」と聞いてくる。

 私は、「酒質をどうこう言うワインではないけど、傷みがなくて飲みやすいですね。バルク輸入の傷んだワインは混ざっていないような気がします……」と答えた。

About 大久保順朗 82 Articles
酒類品質管理アドバイザー おおくぼ・よりあき 1949年生まれ。22歳で家業の菊屋大久保酒店(東京都小金井市)を継ぎ、ワインに特化した経営に舵を切る。「酒販ニュース」(醸造産業新聞社)に寄稿した「酒屋生かさぬように殺さぬように」で注目を浴びる。また、ワインの品質劣化の多くが物流段階で発生していることに気付き、その改善の第一歩として同紙上でワインのリーファー輸送の提案を行った。その後も、輸送、保管、テイスティングなどについても革新的な提案を続けている。