
東欧フルーツブランデー紀行 16
東欧行は東京のバーへと続く
結果、筆者はほうほうのていでその場を取り繕ってなんとか窮地を脱したのだが、意外だったのは日本に帰ってきてからの反応だった。
結果、筆者はほうほうのていでその場を取り繕ってなんとか窮地を脱したのだが、意外だったのは日本に帰ってきてからの反応だった。
「何が食べたい?」「あ、何かセルビアの郷土料理でも……」というやり取りがしばらく続いた後、社長が「ここは俺に任せろ」とばかりに我々2人の会話を制した。
朝露に濡れるコテージで迎えたセルビア2日目の朝。
後から考えると、なぜそこまで正直に言ってしまったのか自分でも不思議なのだが、セルビアで調子のいいことを言って日本に帰ってきてから頭を抱えるような事態になっては
セルビアの果樹園の悩みの種は夜になると森からやって来る動物たちだった。
日本ではセルビアというと、ストイコビッチというサッカーの監督以外にはほとんど知られていない。筆者にとっても初めて訪ねる土地である。
運ばれてきたパプリカーシュのまっかなスープをおそるおそる口に運んでみる。
セルビア側の入国管理官は手元の小さな窓にかがみ込むようにして筆者を凝視した。
ハンガリー/セルビア国境のチェックポイント(国境検問所)に向かうまでに難民問題について、渦中の地域を訪れた者として触れておこう。
いよいよブダペストも最終日。見飽きることがないドナウ川の美しい朝焼けに別れを告げる。
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