“不幸の扉を叩く”食事たち

[252]カミュ/ヴィスコンティ「異邦人」から

東京、大阪、京都、兵庫の4都府県にコロナ禍による3回目の緊急事態宣言が発出されて2週目。対象地域では酒を提供する飲食業をはじめ、大型商業施設等にも休業要請が出され、市民の日常生活にも影響が生じている。家にいる時間が多くなるこの時期、蔵書を発掘して再読してみるのも、新たな発見があったりしてよいかもしない。そんな巣ごもり読書におすすめの一冊、カミュの「異邦人」を、映画化作品を通して、フード的視点で読み解いてみようと思う。

※注意!! 以下はネタバレを含んでいます。

カフェオレ&タバコの誘惑とブラックコーヒーの監視

 カミュの原作をルキノ・ヴィスコンティが監督した「異邦人」は、1968年9月の日本初公開以降、短縮日本語吹替版がTV放映された以外は日本で鑑賞できる機会がほとんどなかったが、イタリア語のデジタル復元版が今春よりリバイバル公開されている。ヴィスコンティが生前のインタビューで述べているように、原作の忠実な映画化になっている()。イタリアを代表する名優マルチェロ・マストロヤンニが、感情を表に出さない主人公ムルソーを好演している。

養老院でムルソーに出された丼サイズのカフォオレボウル。フランスでは一般的なカフェオレ用の器である。
養老院でムルソーに出された丼サイズのカフォオレボウル。フランスでは一般的なカフェオレ用の器である。

 舞台は第二次世界大戦前のフランス領アルジェリアの首都アルジェ。船会社で事務員として働くムルソー(マストロヤンニ)が、アルジェ郊外マランゴの養老院から母が死んだという電報を受け取るところから物語は始まる。

 木曜日、黒ネクタイと喪章を付けてマランゴ行きのバスに乗り、養老院に着いたムルソーであったが、霊安室の棺に納まった母の死に顔を見ることはせず、案内役の門衛が勧めるカフェオレに舌鼓を打つ。映画ではカフェオレがコーヒーカップではなく丼のようなカフェオレボウルに入っていて、ムルソーが両手で包むようにおいしそうに飲むのが印象的だ。フランスではカフェオレをこの器で飲むのが一般的らしく、それがアルジェリアに伝わったものと思われる。

 ムルソーはカフェオレを飲みながらタバコが吸いたくなる。母の遺体の前で吸うのは不謹慎ではないかと一度は躊躇するが、門衛にまず勧めてから自分もタバコに手を出してしまう。この一連の些細な出来事が後に自分を不利に導くものになるとは、このときムルソーは思っていなかっただろう。通夜に現れた養老院の入所者の老人たちは、門衛の淹れたブラックコーヒーを飲みながら寝ずの番をする。大半は途中で眠りこけてしまうが、目の冴えた数名がムルソーに向ける監視しているかのような鋭い視線が、後半の展開を暗示しているかのようである。

ワインとソーセージの罠

 アルジェに戻った翌日の土曜日、ムルソーは海水浴場に行き、以前同僚だったマリー(アンナ・カリーナ)と再会。互いに好意を持っていた2人はフランスの喜劇スター、フェルナンデルのコメディ映画を観に行った後、一夜を共にする。

 月曜日、仕事に復帰したムルソーは、帰宅したアパルトマンで隣人のレイモン(ジョルジュ・ジェレ)に、部屋でワインを一緒に飲まないかと誘われる。薄く切ったソーセージのソテーを肴にワイングラスでなくコップで安物の赤ワインをごくごく飲むスタイルがいかにも庶民的に映る。レイモンは自称倉庫係だが、女を食い物にして生きていると噂されている評判の悪い男。ムルソーを誘ったのも自分をだましたアラブ人の女をおびき寄せるための手紙を代筆して欲しいという目的あってのことだった。とくに断る理由もないからとレイモンの求めに気前よく応じるムルソーだったが、これが彼の身を亡ぼすトラブルに巻き込まれていく第一歩になるのである。

“太陽のせい”だけではない?

 次の日曜日、レイモンとトラブル中のアラブ人グループがしつこくつきまとう中、ムルソーはマリーと共にレイモンの友人、マソン(ミンモ・パルマラ)とその妻(アンジェラ・ルーチェ)が所有する海辺の別荘に招待される。マソンが釣り上げた魚を使った料理をがつがつ食べ、ワインをしこたま飲んだブランチの後、マソン、レイモン、ムルソーの男3人は散歩に出るが、浜辺で待ち伏せしていたアラブ人グループと遭遇する。すったもんだのトラブルの末、ムルソーを待っていた最悪の結末とは……。

「太陽のせい」というムルソーの台詞があまりにも有名だが、もう一つ要因として考えられるのはアルコールによる酩酊。それが浜辺のうだるような暑さと相まって冷静な判断力を失わせたのではないだろうか。しかし第2部では現場の直接証拠が争点になることはなく、ムルソーの不条理性を立証するためにあらゆる情況証拠が総動員される。その中には現代の感覚からすれば的外れなものも含まれており、社会の不条理の縮図のように思えてくる。原作に「不幸の扉を叩く四つの短い音」という表現があるが、カフェオレやタバコが不幸の扉を叩いているのだから。

 ひるがえって現代社会に目を転じると、自己弁護のために反省を演じたりする“不条理人間”が多いなか、あくまでも自分に正直であろうとするムルソーの方がよほど真人間に見えてしまうのは筆者だけだろうか。

※「世界の映画作家4 フェデリコ・フェリーニ ルキノ・ヴィスコンティ編」(株)キネマ旬報社


【異邦人】

公式サイト
https://ihoujin-movie.jp
作品基本データ
原題:Lo Straniero
製作国:イタリア、フランス、アルジェリア
製作年:1968年
公開年月日:1968年9月21日
上映時間:104分
製作会社:ディノ・デ・ラウレンティス・シネマトグラフィカ、マリアンヌ・プロ、カスバ・フィルム
配給:パラマウント
カラー/サイズ:カラー/ヴィスタサイズ
スタッフ
監督:ルキノ・ヴィスコンティ
原作:アルベール・カミュ
脚色:スーゾ・チェッキ・ダミーコ、ジョルジュ・コンション、エマニュエル・ロブレー
製作:ディノ・デ・ラウレンティス
撮影:ジュゼッペ・ロトゥンノ
音楽:ピエロ・ピッチオーニ
キャスト
ムルソー:マルチェロ・マストロヤンニ
マリー:アンナ・カリーナ
レイモン:ジョルジュ・ジェレ
マソン:ミンモ・パルマラ
マソン夫人:アンジェラ・ルーチェ
雇用主:ジャン・ピエール・ゾラ
養老院長:ジャック・エルラン
予審判事:ジョルジュ・ウィルソン
弁護士:ベルナール・ブリエ
検事:アルフレ・アダン
裁判長:ピエール・ベルタン
神父:ブリュノ・クレメール

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。