「秋刀魚の味」をめぐって

[1]小津安二郎のうまいもの(1)

小津安二郎(絵・筆者)
小津安二郎(絵・筆者)

小津安二郎(絵・筆者)
小津安二郎(絵・筆者)

映画の中の食を鑑賞するコラムの第1回。連載を始めるにあたり、日本映画史上最も重要な映画作家である小津安二郎の作品に登場する食べ物について、数回に分けて考察してみたい。

豆腐屋にトンカツは作れない

 これは小津自身が、彼の作品のスタイルを食べ物にたとえて言い表した言葉である。彼の後期作品の映像の特徴を簡単にまとめると以下のようなものが挙げられる。

  • ローアングル(俯瞰撮影なし)
  • 固定画面(移動撮影なし)
  • イマジナリーラインの公式を無視したカットバック(目線が合わない切り返しショット)

 映画も利益を追求する産業である以上、効率化を求められるのは経営上当然の理であり、ハリウッドをはじめとして映像表現の公式化が進んだが、それは一方で内容の画一化を招き、独自のスタイルを重視する一部の映画人とのせめぎ合いが現在に至るまで続いている。

 小津安二郎も独自のスタイルにこだわった映画作家のひとりである。たとえば、日本映画におけるトーキー(発声映画)のはじまりは1931年の「マダムと女房」(五所平之助監督)であるが、小津はチャップリンと同様にサイレントにこだわり、最初のトーキー作品「一人息子」を発表したのは5年後の1936年であった(奇しくもチャップリンも同年に最初のトーキー作品となる「モダン・タイムス」を発表している)。

秋刀魚と鱧

「秋刀魚の味」(1962、日本)

 今回取り上げる「秋刀魚の味」は、小津の遺作である(1962年公開)。タイトルにある秋刀魚は映像としては登場しない。これは妻に先立たれ、男手ひとつで手塩にかけて育ててきた一人娘の路子(岩下志麻)を嫁がせなければならない父、平山周平(笠智衆)の心情のほろ苦さをたとえたものと思われる。

 代わりに登場するのが鱧(はも)である。

 料亭で開かれた周平の中学生時代の同窓会に招かれたかつての漢文教師のひょうたん(東野英治郎)は、今では退職して娘の伴子(杉村春子)としがないラーメン屋を細々と続けている。同窓会で出た高級魚の鱧料理を食べたことがないひょうたんは「これは何ですか?」と聞き、鱧をハムと聞き間違える始末である。「はも、さかなへんにゆたか、か」と字だけは知っているひょうたんを、今では社会的地位を得ているかつての教え子たちは憐れみと蔑みの眼で見る。

 泥酔した周平を送って伴子と会った周平は、ひょうたんも彼同様妻に先立たれたために娘の婚期を逃したことを知り、自分はこうはなるものかと今まで消極的だった路子の縁談に乗り出すことになる。鱧がストーリーを動かすトリガーになったともいえる重要なシーンである。

声でみせる料理

 さきほどの同窓会の料理であるが、先述の通り小津映画のキャメラは座卓とほぼ平行のローアングルに据えられているため、色とりどりの器の中の料理の一つひとつが映し出されることはなく、俳優が箸を動かす際にかろうじて見える程度である。キーとなる食べ物は俳優の科白によって強調、視覚化され、時にはストーリー展開に大きく絡んでゆく。これも小津作品の大きな特徴のひとつである。

絆と社会通念の間で

 嫁入り前の娘と父親の絆というテーマは小津作品では定番ともいえるもので、「晩春」(1949)の笠智衆と原節子、「秋日和」(1960)の原節子(この場合は母親)と司葉子など、微妙にシチュエーションを変えて繰り返し描かれている。

 本心としては手放したくないのだが、結婚というプロセスを経てこそ幸せになれるという社会通念に抗えず娘に縁談を勧める親と、離れがたい想いを抱きつつ若干の諦観とともにそれを受け入れる娘の心の機微を描くことにかけて小津安二郎は第一人者である。

幻の遺作

 小津は「秋刀魚の味」の撮影の翌1963年、シナリオライターの野田高梧とともに蓼科の山荘にこもり次回作「大根と人参」の構想に取り掛かったが、腫瘍が発見されて4月に国立がんセンターに入院。手術を受け一旦は退院するものの体は既にがんに冒されており10月に東京医科歯科大学病院に再入院、ちょうど還暦の誕生日にあたる12月12日に死去した。

 その後「大根と人参」は白坂依志夫脚本、渋谷実監督によって1965年に映画化された(小津は野田と共に原案としてクレジット)が、小津本人が撮っていたら大根と人参という食材をどのように「料理」したのか見てみたかった気がする。


作品基本データ

【秋刀魚の味】

製作年月日:1962年
製作会社:松竹大船
カラー/サイズ:カラー/スタンダード
上映時間:113分
◆スタッフ
監督:小津安二郎
脚本:野田高梧、小津安二郎
撮影:厚田雄春
音楽:斎藤高順
◆キャスト
笠智衆(平山周平)
岩下志麻(平山路子)
三上真一郎(平山和夫)
佐田啓二(平山幸一)
岡田茉莉子(平山秋子)
中村伸郎(河合秀三)
三宅邦子(河合のぶ子)
北龍二(堀江晋)
東野英治郎(佐久間清太郎)
杉村春子(佐久間伴子)
加東大介(坂本芳太郎)
岸田今日子(「かおる」のマダム)
高橋とよ(「若松」の女将 )

(参考文献:キネマ旬報映画データベース)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。