科学的に評価したリスクに基づいて対策

3月9日付で消費者庁から「トランス脂肪酸の表示に向けた今後の取組について」という発表があり、大臣記者会見をもとにメディアでも報道されたようです。渡辺宏さんのブログに報道各社の見出し比較が掲載されていておもしろかったので参考までに。http://www.kenji.ne.jp/blog/index.php?itemid=702

 トランス脂肪酸については既にFoodScienceで二度ほど取り上げていますので特に新しいトピックスがあるわけではないのですが、消費者庁の行った「トランス脂肪酸に係る情報の収集・提供に関する関係省庁等担当課長会議」で意見を求められた経緯がありますので少し説明したいと思います。

 資料については消費者庁のホームページに掲載されています。

 トランス脂肪酸だけではなく、また食品に限ったことではありませんが、いろいろな問題にどう対処するかを決める場合には、何にために対策を行い、そのメリットやデメリットはどうかといったことをできるだけ科学的根拠に基づいて判断することが望まれます。この場合の「科学」には社会科学も含まれます。

 政府の目的は国民の健康と福祉の向上であり、国内の多くの事業者にとってもその目的は共有できるはずだと思います。解決すべき課題は、限られた資源をどう効果的に振り分けて、最小限のコストで最大限のパフォーマンスを得るか、ということです。最良ではなくてもより良い解を得るように努力すべきでしょう。そのために食品の安全性の分野ではリスク分析という手法を取り入れてきているのです。

 しかしながらリスク分析の3要素(リスク評価・リスク管理・リスクコミュニケーション)のうち、特にリスクコミュニケーションがうまくいっているとは思えないのが現状です。トランス脂肪酸については日本では詳細リスク評価は行われていませんが、食品安全委員会の作成したファクトシートだけでも、リスクはそれほど大きくないだろうと推測できますのでコストのかかる完全リスク評価は必要ないだろうと考えられるのですが、政治的?配慮からか食品安全委員会はリスク評価を行うという意向が表明されています。詳細リスク評価が必要か、あるいは可能かどうかも含めてリスクコミュニケーションなのですが、その時点で既にあまりうまくいっていない印象があります。リスク評価が必要であってもデータがないのでできない場合もあります。日本のトランス脂肪酸については、平均的には問題が無くとも特定の食生活をおくっている人に問題があるかもしれないということがしばしば主張されますが、それなら評価すべきは高摂取群におけるリスクであり、そのためには高摂取群とされる人達の食事摂取に関するデータが必要です。現在日本では例えば英国で設定している「ベジタリアン」や「施設にいる高齢者」「自宅にいる高齢者」といった細かい集団ごとの食事摂取量データはないはずなので評価は困難という結果が予想できます。

 トランス脂肪酸をどうこうする以前に、このようなリスク評価の基礎となる地味なデータの集積が必要なのです。私が関係省庁等担当課長会議で意見として言いたかったことは、日本人の疫学データや食事摂取量データなどの地味な基盤研究を長期的視野で支援・整備して欲しいということです。そしてリスクに基づいた意志決定がなされるようになって欲しい。

 今週Natureのニュースに掲載されていた記事にイタリアでレストランでの食品添加物禁止というものがありました。

 もとはといえば分子調理(例えば液体窒素で迅速冷凍したりというハイテクを駆使した調理法)の隆盛から伝統的イタリア料理を守ろうという担当次官の意向だったようですが、ほぼ全ての食品添加物を禁止したため「伝統的イタリア料理」すらレストランでは作れなくなってしまうという事態になっているようです。これは「新しいものより古いもののほうが良い」「合成品よりナチュラルなものが良い」という、よくある思いこみを持った人による暴挙の一例です。このような規制が誰にとっても利益にならないことは明白なのですが、マスコミに誘導されてポピュリズムに走るとしばしばそういう事態を招きます(この法を作ったきっかけは伝統料理を推進するテレビ番組だそうです)。日本の政治家にも同様の間違った思いこみの強い人たちがいて、「政治主導」で仕組みを変えると主張していますから必ずしも遠い国の関係のないこと、とは思えません。

 ただしイタリアの規則は2010年12月に有効期限が切れること、この規則に違反したことによる取り締まりや告発を誰も望んでいないことなどから影響は限定的だろうとのことです。

 規制を行うのなら科学的根拠に基づいているかどうかを検討することが必須、ということが世の中の常識にななって欲しいと思います。

 これまで、一般的に食品安全上の問題とされている事柄の多くが、真の食品安全上の問題ではなく、コミュニケーションの問題であるという事例をたくさん紹介してきました。いろいろな問題の解決策の一つは、できるだけ多くの方に理解してもらうことだと思っています。

 FoodScienceが終了するということで、この場で続けることはできなくなりましたが、もともと私は情報収集・整理・提供が皆様から頂いた税金で雇われている仕事です。そのため原稿料は頂かず、FoodScienceが有料でも無料公開をお願いしてきました。Webmasterの中野様には編集や掲載の作業をサービスとしてやって頂いたようなものです。今後も情報提供は継続するつもりですしFoodScienceの過去記事もどこかに移して公開し続けることを検討しています。何か良い案がありましたら提案して頂ければ幸いです。

※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。

About 畝山智香子 30 Articles
国立医薬品食品衛生研究所安全情報部第三室長 うねやま・ちかこ 宮城県生まれ。東北大学大学院薬学研究科博士課程前期二年修了。薬学博士。専門は薬理学、生化学。「食品安全情報blog」で食品の安全や健康などに関してさまざまな情報を発信している。著書に「ほんとうの『食の安全』を考える―ゼロリスクという幻想」(化学同人)。