米国消費者の非合理・非科学の部分に学べないか

トウモロコシの粉と小麦粉を使って焼くコーンブレッドは、多くの米国人にとって感謝祭に欠かせない食べ物の一つだ
トウモロコシの粉と小麦粉を使って焼くコーンブレッドは、多くの米国人にとって感謝祭に欠かせない食べ物の一つだ
トウモロコシの粉と小麦粉を使って焼くコーンブレッドは、多くの米国人にとって感謝祭に欠かせない食べ物の一つだ
トウモロコシの粉と小麦粉を使って焼くコーンブレッドは、多くの米国人にとって感謝祭に欠かせない食べ物の一つだ

「地球は青かった」と言えば、人類で始めて宇宙船で地球を周回したソ連のユーリ・ガガーリンが、帰還後に語った感想だ。立花隆の「宇宙からの帰還」によれば、ガガーリンは「天には神はいなかった」とも述べ、これが多くの米国人にショックを与えたのだという。それは、「無神論コミュニズムのアメリカ・キリスト教文化に対する優越性を誇る挑発的言辞であった」(同書)。

 米国人の8割はキリスト教徒だという。そして、9割がなんらかの宗教を信じている。その国柄で、「天に神がいない」というせりふは、耐え難いものであったらしい。その後の米国の宇宙開発の躍進の影には、天空の神秘性を取り戻したいという国民の気持ちがあったという。宗教という、科学では不可解・不可知なものが、科学を推進した例と言えるだろう。そしてこれは、多くの米国人がすべての物事を終始一貫理詰めで考えているわけではないことを示してもいる。

 一方、米国人といえば功利的というイメージを抱きがちなのは、筆者だけではないだろう。食に関して言えば、米国はやはりマクドナルドを生んだ国であり、作業と製品を標準化し、コストを切り詰め、商品単価は安く、客数と利益を最大にする方法をシステマティックに考えることを得意とする。

 ところが、実際に米国人や米国での生活を経験した人と話していると、彼らにはそのイメージをくつがえすような、文化的な頑固さがあることが分かる。例えば、先祖が旧大陸から持ち込んだ料理や食事作法を、厳として守り続ける家も少なくない。

 また、建国初期あるいはそれより前から伝わる、ジョーニーケーキという独特な食べ物の古いレシピを伝え続ける人たちがいる。トウモロコシの粉を使ったクイック・ブレッド(ふくらし粉を使うパン)の一種だが、これに使うトウモロコシの品種も、古い品種でなければならないと信じている人たちもいる。そこまで古いものにこだわることはないまでも、11月の第四木曜日の感謝祭には、必ずトウモロコシの粉と小麦粉で作るコーンブレッドを食べる人は多い。新大陸のトウモロコシと旧大陸から入った小麦を使うこの米国独特のパンは、ピルグリムファーザーズとネイティブ・アメリカンが1つの食卓を囲んだ古い逸話を思い起こすのには欠かせない、国民的な“思い出の食べ物”なのだ。

 カリフォルニア料理の有名な店で、ターキーを使った料理を注文したことがある。その皿の端に、申し訳程度にワイルドライスの付け合わせが載っていた。案内してくれた、現地生活の長い人(日本人)が、それには訳があると教えてくれた。米国人にとって、ターキーと言えば感謝祭の食べ物という印象が強い。感謝祭の料理は、丸1羽のターキーの腹にフィリングを詰めてローストしたものだが、そのフィリングの代表的なものはワイルドライスだという。これも、ネイティブアメリカンがピルグリムファーザーズの招待に応えて差し入れたという伝説がある。その背景があるので、ターキーの料理には、ワイルドライスを添えるのが自然と考える。

 文化的頑固さは、歴史的なものだけでなく、地理的な要因もある。アメリカ大陸は、地形的、地質的、気候的に多様なため、「米国一国で、世界中の食材を生産できる」というほど、彼の地には地域ごとに実にさまざまな食材がある。そして、その産地ごとに特産の農水産物を自慢し、料理の仕方や食べ方にこだわる傾向がある。さらに人種的・民族的な多様さも加わるので、米国料理の多様さは、面積や人口から考えても、日本の郷土料理の多様さなど及びもしないことだろう。

 その多彩な食材と多様な食の伝統に恵まれたその同じ国で、マクドナルドを初めとするチェーンレストランが生まれ、大きく成長したことは、注目に値する。いつでも、どこでも、全く同じものが全く同じ値段で、規定の時間内に提供されるチェーンレストランが、伝統と“おらが村の料理”を大切にする人々の国で支持されたことは、神秘とは言えないだろうか。

 日本では、チェーンレストランを教科書どおりに展開するには、限界があるという。関東である程度多店化したチェーンが、西日本に進出すると不人気に伸び悩むという話はよくある。それに対して、洋食のあるチェーンは地域ごとにメニュー構成を変えたし、和食のあるチェーンは地域ごとにだしのとり方や味噌汁の味噌の種類を変えて、客数を保ったという。

 地域ごとに好まれる味が違うというのは、実は米国での方が甚だしいのではないだろうか。そして米国人も、日本人と同じように、あるいはそれ以上に“手作り”を愛する。また彼らは、「いただきます」という言葉は使わなくても、食事があることに対する感謝、それを食卓に上らせしめた人為を超越した力に対する畏(おそ)れの気持ちは強い。それでも、彼らは、画一的な商品と提供の仕組みを持ち、調理の相当な部分を機械化したチェーンレストランも、便利に利用するのだ。

「そういうのは都会の話だろう」と考えるのは正しくない。チェーンストアは、地価と人件費が高いアーバン(旧市街)ではなく、その外周にあるサバブ(新しく住宅が開発される地域。郊外)やエクサーブ(アーバンからさらに離れた孤立した地域)を狙って出店するのが王道だ。そこは都会ではないし、“よそ行き”の場所でもない。

 米国消費者の心の中での、この合理・非合理の共存は、どのように成り立っているのか。日本の消費者に、今よりも合理的・科学的な考え方を普及するには、米国の消費者の非合理・非科学の部分に光を当てるのが早道のように思えてならない。

※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。

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About 齋藤訓之 398 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所特任研究員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。日本フードサービス学会、日本マーケティング学会会員。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →