マイノリティの行動から次世代農業のヒントが見えてくる

湊須磨子(みなとすまこ、旧姓:浅田)さん。愛称スー。子供達はグラマスーと呼ぶ御年92歳の日系女性が米国ロサンゼルス近郊に住んでいる。昨年90歳で亡くなったご主人ヘリーとともに、20年来の知り合いになる。スーは1935年2月、秩父丸で米国メジャーリーグとの対戦のため巨人軍の沢村栄治投手らが乗船してホノルル経由でサンフランシスコ、ロサンゼルスに向かう同じ船上にいた。彼女は米国生まれであったが父の仕事の関係で岩国に帰ったものの、姉を頼り単身18歳で米国ロサンゼルスに帰ってきた帰米二世である。

 彼女は2歳から日本に住んでいたので、食事はもちろん日本食が中心であるが、若い時からご飯は1日1膳しか食べない。さすがにこの年になると食が細くなったが、私が知り合った70歳の頃は1ポンド(455g)のステーキをペロリと平らげていた。「干物、沢庵、味噌汁だけの食生活だから日本は戦争に負けるのよ」と彼女は言う。「昼食もあっさりした物が食べたいわね」と言うので何を食べたいのか聞くと、「マックが良いわね」とサラリと答える。

「だって肉に野菜、パンが付いているのよ、体に良いに決まっているでしょう」。確かにそうだ。日本の食育ではファストフードは体に良くないと言うことになっているらしいが、92歳のピンシャンした女性から「マックはあっさりした食事だ」と言われると反論できない。スーが若い頃、外食の時に男性はスーツに帽子、女性はドレスを着て出かけたそうだ。ファストフード店が出来てから服装がだらしなくなったのは当然だった。確かにラスベガスの一流ホテルの客だって結構ジーンズ姿がいた。米国でスーツを着るのは棺桶の中だけかも知れない。その時は“おくり人”に世話になろう。

 普通、日本の92歳のおばあちゃんが作る食事はどう考えても、40代の農業従事者の胃袋を満足に満たすとは思えないが、スーが作る食事は、カロリーも味も十分過ぎる。「朝食は日本の3倍の厚さのベーコンと最低2個の卵を食べなさい」と言うので、「中性脂肪が上がるので…」と答えると、「年を取ったらもっと脂肪と肉をたくさん取らないとシワシワ爺さんになるのよ!」とがっちり怒られて大変だ。

 それに、塩分の摂取量は多そうだし、甘い乾燥果実をいつもほう張っている。彼女だけがそのような食生活をしているわけではないし、ロサンゼルスの日系人は日本人の同年代の方たちよりもしっかり背筋を伸ばしていると思う。肉食が多いのは当たり前だが、野菜をたくさん食べているのも事実である。もちろんドレッシングもドッパリとかける。

 日本ではフレンチはおいしい、イタリアンはオリーブオイルを使うので健康に良いなんてことになっているが、米国の日系人に聞くと大抵イタリア料理はまずいと評価する。「え? じゃ、ピザはどうなの?」となると、「ピザは米国で初めて料理にしてやったんだ」と自負されてしまう。本当のイタリアの薄いピザのことを彼らは“せんべい”と呼んでいた。

 日本食も豊富だ。ジェトロによると日本から米国に840億円以上の日本食材が輸出されているという。中国にコンテナ1台のコメを輸出したくらいで大騒ぎするのと840億円のどちらがすごいのか考える必要はなさそうだ。またそんなことに騙されて、「今度はアジアに輸出だ!」なんて勘違いする日本の生産者の未来は暗い。

 米国の日本食材店には青森の長芋、北海道のスズマル納豆などもあり、郊外の日本食材店がない時は、中華食材店で聞いたことのない日系食材が、札幌のマックスバリュ並みに置いてある。彼女が米国に着いた35年から日本と米国の関係が怪しくなって来たことは歴史の教科書に書いてあるので皆さんご存知だと思うが、米国に住んでいる日系人は真珠湾攻撃まではそのような国際的な緊張感を感じている者は少なかったそうだ。もちろん彼女たちもキャンプと呼ばれる収容所に入ることになったが、食に関しては最高の環境だったそうだ。

 当時、彼女の姉はロサンゼルスのリトルトーキョーで八百屋、魚屋をやっいて、彼女が1年間手伝ったそうだ。日系人はトロだ中トロだとうるさく言うのでどうしても余る部分が出てしまう。そこで彼女は考えた。ある時、黒人客に余り物のマグロの頭を食べると精力が付くと大ボラをふいたら、翌日にまた昨日の客が来て「効くみたいだ」と言ったそうだ。それから多くの黒人客がやってきて、マグロの頭を買っていくことになる。

 白人客には「日本人はマグロの頭を食べるからはげ頭にならない」と言うと、やはり買って行ったそうだ。食の国際化の正しい実例なのか、それともウソで客を喜ばせて消費者との信頼関係を築いたことになるのか判断に悩むところだ。実は私の知り合いの米国人ダイズ農家が、日本に豆腐用のダイズを輸出している関係から、同じ農場の牛肉を販売することになったが、あの部分が欲しい、この部分はいらないと言うことで、商売にならなかったそうだ。今では台湾にまとめていくらで販売しているようだ。

 私が栽培収穫する納豆用ダイズ収穫量は、国産納豆用ダイズのおよそ1.8%である。コメの1人当たりの消費が減り続ける中で、その日本でしか食されない納豆文化に携わり商売をする意味は何なのか? なんてことを考えたら髪の毛が薄くなるので人生気楽に考えている。

 ここ数年、1年に1度米国ツアーを実行していて、気になることがある。米国で見るいろいろな加工食品のパッケージが2カ国語になっていることだ。もちろんイングリッシュとメキシカンであるが、大手の食品会社になるほど、この2カ国語表示が多いと思う。

 カリフォルニアでは以前、日系の議員が「カリフォルニアの国語はイングリッシュだ」という法案を作ろうとしたくらいの地域であるが、ロサンゼルス近郊だけを見ると2カ国語表示で販路を広げる意味は間違いなく存在する。米国のマイノリテイは勤勉であり、不法移民であっても納税者は多いと聞く。私は、タクシーに乗ると必ず出身の国を聞く。ニューヨークでは南アメリカのインド系ガイアナ(南米)人、シアトルでアゼルバイジャン出身、ルイビルでソマリア出身、セントルイスで日本人の彼女がいるケニア出身の彼らの話を聞くと、明らかにヨーロッパのタクシー運転手よりも「頑張っているんだ」と言う姿がある。そして日本にもいる遺伝子組換え反対という大勢力に対する推進派という“マイノリテイ”が、「組換えではありません」という表示へ疑問を呈することは失礼なことなのだろうか。

 スーが乗っていた秩父丸には、北海道旭川出身の英語がしゃべれない白人の若者がいた。名はヴィクトル・スタルヒン(Victor Starffin)。日本プロ野球界初の外国人選手だと言われている。彼とスーは仲良くなり、船酔いの時は親身になって助けてくれたそうだ。そしてその後の一時期は敵性外国人として戦乱期を乗り越こえ、日本で一時代を築いた野球選手がいたことを、彼と栄養士をされているご家族の名誉のためにも伝えておこう。

※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。

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西南農場有限会社 代表取締役 みやい・よしまさ 1958年北海道長沼町生まれ。大学を1カ月で中退後、新規就農に近い形で農業を始め、現在、麦作、大豆作で110ha近くを経営。遺伝子組換え大豆の栽培・販売を明らかにしたことで、反対派の批判の対象になっている。FoodScience(日経BP社)では「北海道よもやま話」を連載。