GMの里、北海道遺伝子の香りのする街からのつぶやき

北海道には、倒幕政府主導の開拓の後に明治時代に米国人がやってきて、日本で唯一彼らからパイオニア精神を引き継いだ農業生産者がいると言われている。でもいったい今、北海道のどこにいるのだろうか? いるとすれば、何人くらいいるのか? 私に言わせればこれは大嘘もはなはだしい。こんな大嘘を今でも小学校で教えているとすれば、あきれるばかりだ。1985年(昭和60年)頃から「バイオ!バイオ!」とメディアが騒ぎ立て、「次はバイオで、こんなすごいことができる」と期待させたが、パイオニア精神をもってバイオを農業現場で使いこなす農業生産者はいないというのが実感だ。

 最近の品種は病気に強く、収量向上もアップしている。また、新規農薬の特徴として毒性が低く、土壌残留の期間が短かいなど、日々変化して良くなっているのは間違いない。しかし、パイオニア精神を教えてくれた米国の農業生産者が現在、「BIO go go!」とバイオの先端技術を活用している活気あふれる様子を見聞きするにつけ、それを活用できていない日本の農業生産現場との差は歴然としていると言わざるを得ない。

 私自身97年と98年の2年間、米Monsanto社が特許を持つ「ラウンドアップレディー大豆」(グリホサート耐性)を栽培、収穫、販売したのだが、いまだに「日本国内での遺伝子組換え(GM)栽培はない」とまるで何もなかったことのように報道するメディアが多いことにも違和感を感じる。バイオを使いこなす農業生産者が日本にほとんどいない上、メディアも知っているのか知らないのか、あるいは何か隠そうとする意図があるのか、日本国中に蔓延する先端農業の取り組みに対する後ろ向きの態度が気になるところである。

 実際は宮崎県の長友勝利さんなどが各地でGM栽培に取り組んだ実績があるが、あまりにも少な過ぎる数だ。GM栽培のチャンスは200万軒の農家×11年間で2200万回あった。そのようなチャンスを生かさずGMに興味を持たない生産者は、宝くじを買って他人に人生を預けるようなマネを自分の子供たちには教えるべきではない。昨今、iPS細胞のヒトへ利用ができると分かったとたん、日本政府が大型研究費を拠出することにしたという速度と日本農業の現場の速度は、F1レースと自転車くらいの差ではないか。

 誰が、この日本の農業現場の後ろ向きな環境をつくったのか? 日本国政府だろうか? いや、答えは農業生産者自らであると私は確信する。日本の農業生産者は、あまりにも無知過ぎる。知らないことは仕方ないが、世界で普通に普及している技術に難癖をつける知恵や能力は、どこから来るのであろうか。

 酪農、畜産などを除き北海道の3、4カ月の冬期間は基本的に農業の現場に出ることはない。しかしこの期間を農○、共○など、いろいろな組合が視察旅行と称して東アジアの歓楽街巡りをすることは当り前。夫婦そろってパリやニューヨークに観光旅行に行くのはまだましな方だが、それを実践している現役生産者は、全国5万件のうち数組ではないだろうか。

 私が20代の頃は、視察旅行よりも米国やオーストラリアに農業実習に行くことが夢であり、憧れだった。しかし今では、その様な農業実習自体がなくなってきている。理由を尋ねると、「英語をまともに話せない農家の息子が、米国農家の労働者になって1年間耐えることよりも、車を買ってもらう方を望むプライドの高いバカ息子が増えたんだよ」と返ってきた。それは、平成に入った頃だ。「今はこんな豊かな時代なんだよ。わざわざ苦労して米国の農業実習に行く必要はない」とホクレンの担当者が話していたのを聞いて、その時は別に驚きもしなかった。だが、その15年後に私のGMダイズ栽培に反対したのは、海外を知らない国内残留組だった。

 昨今の有機農業シンドロームにも違和感を感じる。有機農業は慣行農業に比べて、生産者、流通業者、消費者を今以上に豊かにする可能性はあるか? 答えはNO!だ。1%にも満たないマーケットにエネルギーを注ぐ理由は何もない。ただし、アレロパーシーやGMのBtを利用して雑草や病害虫がなくなると言うのであれば話は別だが、現在の日本のGM導入環境をみる限り、それは夢物語りに過ぎない。

 困ったことに私の町でもそうなのだが、有機栽培に参入しようとする者のほとんどが旧国立大卒の高学歴者や金髪ブルーアイの外国人だったりする。私のような実質、高卒者が話す米国のバイオ社会の現実より、彼らの有機栽培の話の方がウケが良いのも事実だ。といっても、有機栽培農業にも競争原理がしっかりと働いているようだ。左翼バンザーイという農家よりも、金髪ブルーアイの有機作物の方が売れ行きが良いようだ。

 以前から今の言葉で言う有機栽培農家は存在したが、例外なく私よりは変人で、農業の一番の長所である次の世代に継続させることができたなどというのは、聞いたことがない。つまり、彼らが行っていることは、法律の「業」の解釈である継続反復をすることのできない者、つまり有機栽培農「家」であって、農業ではない。99%以上の農家が行っている産業としての農業と同列で考えるのは間違いである。

 10年くらい前までは「有機栽培=貧困」の図式があり、有機栽培農家と慣行栽培農家はお互いのポジションを理解し、相手の領域に入り込むことはなかった。しかし、昨今は高学歴者、一部左翼流通組合の支持、トンデモ消費者の発言力の増大を許してしまった結果、有機栽培は素晴らしいと言う間違ったメッセージが定着してしまった。

 当初我々はおとなしくしていたが、彼らの反農薬、反化学肥料の姿勢を直接ぶつけてくる様を見るとこれ以上黙ってはいられない。私の農場では農薬と肥料をそれぞれ年間500万円使っている。もしこのお金を使わないで同じ収入が得られるのであれば、それは素晴らしいことである。農家が農薬を使うのは自分のためであって、消費者のためではない。誤解してもらっては困るが、農薬を使用するのは、雑菌まみれの有機栽培作物ではなく、より毒性の低い安全な農作物を国家が認めた流通業者が求めているからだ。消費者に直接販売することのない私にとって、取引会社の契約つまり国家との契約がすべてである。

 作物別に農薬の種類、時期、濃度まで決まっていれば、誰が作ってもマトモな作物が出来るはずだ(実際は違うが)。だれに遠慮が必要なのか? 国家が決めた法律に従って行う農薬散布行為に遠慮はいらない。20回以上農薬散布されたつま恋のレタスより、たったの6回しか農薬が散布されない北海道のレタスの方が安くなるのは、箱に書いてある字(有機栽培)が違うからで、安全性とは関係ないことは、農業生産者なら誰でも知っている。それでもまともな農家は決して文句は言わない。しかし、反農薬、反化学肥料を振りかざす有機栽培農家の台頭には、正面から立ち向かう必要がある。

 農薬をたっぷり使う農業も、雑菌たっぷりの有機農業も死人は出ない。所詮、安全と言う名の右端と左端の枠中の話なのだろうか。ではどのような農業が良いのか? それに答えるのは簡単だ。よい農業とは利益が昨年よりも多く出る農業だ。小学校で習ったはずだ。儲かったお金から税金を払うことは国民の義務だと。そんなことを発言できない生産者はいらない。

※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。

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About 宮井能雅 22 Articles
西南農場有限会社 代表取締役 みやい・よしまさ 1958年北海道長沼町生まれ。大学を1カ月で中退後、新規就農に近い形で農業を始め、現在、麦作、大豆作で110ha近くを経営。遺伝子組換え大豆の栽培・販売を明らかにしたことで、反対派の批判の対象になっている。FoodScience(日経BP社)では「北海道よもやま話」を連載。