「生」「天然」に味では負けないとして、では勝てるのか?

左が天然ブリ。右は養殖ブリ。刺身にしてうまいのは……
左が天然ブリ。右は養殖ブリ。刺身にしてうまいのは……

左が天然ブリ。右は養殖ブリ。刺身にしてうまいのは……
左が天然ブリ。右は養殖ブリ。刺身にしてうまいのは……

フードビジネス向けの経営情報誌「日経レストラン」に「新・何でも実験隊」(監修:管理栄養士で料理研究家の村上祥子氏)という痛快な連載がある。一般消費者4人と外食のプロ1人の混成チームで、さまざまな食品をブラインドテストの形で試食し、評価を下すというもので、毎回、試食する食品のチョイスが面白い。「生野菜 vs 冷凍野菜」「天然魚 vs 養殖魚」といった組み合わせで、味を判定する。

「痛快」というのは、毎号の結果だ。我々の「生、天然が味がいいに決まっている」といった、凝り固まった“常識”を崩してくれる。

 例えば、「生野菜 vs 冷凍野菜」の場合。ホウレンソウは、ソテーでは生が好評だったが、おひたしでは冷凍の圧勝。レンコンは、天ぷらと筑前煮とでほとんど同点。なお、生レンコンを使った筑前煮は「水っぽくない」で全員が評価したが、同じく冷凍は「筋っぽくない」「嫌なクセや臭みがない」で全員一致と、奥が深い。

「天然魚 vs 養殖魚」では、ともに4kgの天然ブリと養殖ブリ(ハマチ)の場合、刺身では「脂のりが程よい」と評価された天然ブリだが、照り焼きでは養殖ブリの方が「脂のりが程よい」と評価されて逆転。天然トラフグと養殖トラフグでは、刺身で養殖トラフグが圧勝。フグちりでも養殖が高評価となった。

 筆者も「天然魚 vs 養殖魚」の回に参加し、養殖の方にせっせと丸を付けていたのだが、種明かしをしてもらって、養殖の世界には「技」を極める「匠」がいるのだと分かり、感動を覚えた。

 とはいえ、この連載で導かれる結論は、もちろん「冷凍や養殖物の方がうまい」ということではない。生、冷凍、天然、養殖、それぞれに特性があり、それを生かして使うことが大切ということだ。

「冷凍は劣る」「養殖は劣る」といった常識が頭の中にしみ付いていては、「定食にホウレンソウの1品を添えるなら、おひたしにすれば冷凍を使って品質とコストを安定させることができる」といった、賢い選択ができない。実はトラフグの試食は、天然物には不利な季節に行われた。これも、「フグは冬のもの。フグ専門店ではあるが、夏場は別な魚料理でしのがざるを得ない」という“常識”を打ち破るヒントを与えてくれる。

 この連載、長年の人気企画だっただけに、さすがに比べるものは比べ尽くしてしまったようで、残念ながら近く別の新しい企画にバトンタッチする予定とのことだ。だが、こちらでバックナンバーを検索して閲覧できる(有料)ので、興味のある方は参考にされたい。

 しかしながら、ある食品について、冷凍や養殖の方が味が良いという調査結果が出たとしても(「何でも探検隊」は5人だが、50人、500人の試食テストをしたとしても)、メニュー表に、ただ素っ気なく「冷凍」「養殖」などと表示しては、途端にお客はしらけてしまうだろう。多くのお客は、「味」(aroma、taste、flavor)を味わうのではなく、「生」「天然」といった「意味」(meaning)を味わおうとしているからだ。

 特に、そのことを考えさせるのは刺身だ。

 バブルの頃、活魚が非常にもてはやされ、飲食店に設置した大きな生け簀にさまざまな魚介が放流されたものだ。しかし、活け物で刺身にして味がよい魚というのはあまり聞かない。多くの活魚の刺身は硬く、味があまりしないもので、むしろ天ぷらや煮付けてもらったりした方が味が良いのではないだろうか。それでも、活魚料理店では刺身に人気があった。

 また、香川県のある町の繁盛店の取材に行ったときのこと。人気の膳ものを試食させてもらって、刺身を口に入れたとき、少なからずあわてた。食いちぎれないのだ。非常に鮮度がよいために硬く、しかもヨウカンほどとは言わないまでも、相当に分厚く切っている。格闘している様子を見て、オーナーが教えてくれた。「この辺ではこうでないと文句を言われるんです」。

 つまり、この地域の場合、お客は鮮度という「意味」と、それを証明する強烈な歯ごたえにお金を払いたいのであって、「甘味」や「うま味」の強さは求めていないのだ。他にも、特に漁港の近い地域には、このように魚介に際だった鮮度を求める所が多いように思われる。恐らく、熟成前の魚でも十分にうま味を感じる敏感な味覚も守っているのだろう。この人たちなら、前述のブリやトラフグにも、別な判定を下すかもしれない。

 しかし、味だけの問題ではないはずだ。そもそもが、刺身という料理の発祥自体に、「自然界の生命力を体内に取り込みたい」とする宗教的な動機が見て取れる。火を通すことは、文化的にはその火の所有者の影響下に属することを意味する。だから逆に、生き物を生で食べることには、特別の意味があったはずだ。生野菜もしかりで、欧米ではサラダは多少なりとも改まった正餐で食べるものであって、日常気軽に食べるものではない。儀式的な側面を持っているのだ。

 この種の思考が現代人にどの程度残っているかは怪しいものだが、その片鱗でも感覚として受け継がれているとすれば、刺身に人の手の介在をダイレクトに意味する「冷凍」「養殖」はなじみにくいに違いない。サラダに使う野菜も、有機栽培に人気がある背景の一つは、それが農業という人為ではなく、不可知の自然の中で生まれたと信じたい気持ちであるに違いない。

 この、食品が持つ「意味」の優位性を突破するには、「味」という官能面をよくするだけではお門違いというものだ。何百年、あるいは何千年続いてきた生食の背景にある文化、その向こうを張る新しい文化作りという大きな企てが必要なはずだ。

※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。

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About 齋藤訓之 398 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所特任研究員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。日本フードサービス学会、日本マーケティング学会会員。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →