中国料理の粉ものといえば、餃子、包子(肉まん、野菜まん、小籠包など)などがおなじみで、これらはいまや日本のどこでも食べられる定番の顔ぶれです。けれど、不思議なことに、私の大好物でもある葱油餅(ツォンヨウビン)は、これまであまり見かけませんでした。
思いがけない場所で出会った葱油餅

私にとって、葱油餅を作るとき、食べるとき、そして海外の街角で出会うとき、それはいつも故郷の味を呼び覚ます瞬間です。
ちょうど10年前の2016年1月に、FoodWatchJapanで葱油餅の作り方を含む記事を書きました(※1)。
いま読み返すと懐かしいですが、私の葱油餅は過去のものではなく、あれからもずっと作り続けてきたことに気づきます。
一枚の葱油餅には、街の暮らしと家のぬくもりが宿っています。
高価な食べ物ではありませんが、香ばしさは一番です。
作り方は簡単ですが、温かさも一番です。
昨年、小豆島の台湾料理店agon(※2)や台湾の夜市で、再びおいしい葱油餅に出会いました。
ただ、気づくのです。その葱油餅は、父母に教わった私の故郷・西安の作り方とは、まるで違っているということに。
なぜ同じ葱油餅が、ここまで姿を変えるのか。その違いをたどっていくと、単なるレシピではなく地域の暮らしと社会の構造が浮かび上がってきました。
葱油餅が広がった理由
葱油餅は、小麦粉をこねた生地に油を塗り、塩やコショウや花椒をまぶしてネギを巻き込み焼いた餅(ビン)です。日本式に言うなら「ネギ入りの平たいパンケーキ」でしょうか。
しかし、パンケーキとは言え、本来の葱油餅はお菓子ではありません。むしろこれは、
面粉(小麦粉)+油脂+ネギ→最小コストで最大エネルギーを得る主食

という極めて実用的な食べ物の設計です。
そして、驚くほどの作りやすさも特徴です。
- 発酵が不要。饅頭や餃子より手早く完成。
- 専用の道具などが不要で、普通の鍋やフライパンがあればOK。
- 材料はシンプルで入手しやすい。ネギと油は少なくても成立する。
そのため、葱油餅とは、移り変わる社会にも適した食べ物の一つだったのです。昔から、労働者の流入が多い地域や、港町でよく作られ、それを食べさせる屋台や店は、夜市、市場などでよく見かけます。必要が生んだ味と言えるでしょう。その意味では、葱油餅は料理というよりも、“面粉+油脂を使いこなす社会的ソリューション”と言ったほうが本質に近いかもしれません。
3つに分化した葱油餅
私が小豆島で気づいたように、葱油餅にはバリエーションがあります。その種類について、私は次の3つを考えました。
①内陸・層状タイプ(生地が主役)
- 冷水または半湯種の生地
- 折り重ねて層を作る
- 冷めても食感を保つ
ポイント:家庭的、持久性、素朴
②沿海・“薄パリ”タイプ(香りが主役)
- 生地を薄く延ばす
- 油の香りを引き出す作り方
ポイント:繊細、香り、料理としての幅
③台湾夜市・揚げ焼きタイプ(油が主役)
- 油をしっかり使う/半分揚げるように調理
- 一口でおいしさが伝わる味設計
ポイント:快感、場所の記憶、屋台文化
これらは、どれがよいかというものではありません。同じ原型が、それぞれの地域で再設計された結果だと言えるでしょう。同じ料理が、社会条件の違いによって分化したと考えるのです。
(1)小麦×油脂の入手性(材料が決める形)
地域によって、使える材料がそもそも違います。
- 北方(内陸):小麦が豊富、油は貴重
→生地(面)が主役:油はあくまで香り付けと補助 - 沿海・台湾:輸入などで油が比較的入手しやすい
→油が主役:揚げ焼きの技術が発達
つまり、同じ葱油餅でも、「面で立つか、油で立つか」という違いが生まれるのです。
(2)生活テンポ:家庭 v.s. 街角(時間が決める形)
使う場面が違えば、料理は変わります。
- 家庭料理
- 時間がある、生地を休ませるなど手間をかけられる
- 弱火でも焼き上げられる
→噛むほど味わいが出る、落ち着いた葱油餅
- 屋台・夜市
- 人の流れが多い、待たせないスピードが必要
- 常に同じ品質を出す必要
→サクッと香ばしい葱油餅が求められる
そして、街の人口が増えて密になり、人の往来が増えるほど、屋台や夜市は数も種類も増えます。そこで、この屋台・夜市のスタイルは、より強化されていったでしょう。
人の流れが多い場所では、料理にもスピードと安定が求められるようになります。その結果、屋台で提供される食べ物は次の方向へ最適化されていきます
- 標準化(誰でも、いつでも同じ味に仕上がる必要)
- 高火力(短時間で焼き上げるため)
- 高刺激(忙しい人も一口でおいしさを感じることができる)

その結果、葱油餅も家庭料理の「ふっくら・じっくり」から、街角ならではの「早く、香り高く、食べ応えのある」方向へ姿を変えていき、やがて屋台・夜市の葱油餅は、都市の生活と熱気を象徴する香りの存在となっていったのです。
そうして、台湾の屋台文化が成熟するにつれ、伝統的な葱油餅は、軽快で動きのあるものへという進化を見せています。その代表が葱抓餅(ツォンジュアビン)です。
葱抓餅は、葱油餅と同じく小麦生地とネギを基調としながら、生地を折り畳み、何層にも空気を含ませることで、仕上がりはサクサク・ふわふわとした食感へと劇的に変化した。さらに鉄板の上で“抓”(つかむ、ほぐす、つねる)という動作を加えることで、屋台の前に立つ客にもわかりやすい“ライブ感”を演出しています。また、具材も、卵、チーズ、肉鬆(ロウソン。肉そぼろ)などまで一気に広がり、葱油餅の庶民性を保ちながら自由度のある、新世代のファストフードとして台湾全土に普及したようです。
このように、葱油餅は、多様化・観光化する都市の味覚へと姿を変え続けています。その人気が台湾の屋台からさらに進んで、何と、冷凍の葱抓餅は日本の「業務スーパー」などでも購入できるようになっています。これは、葱油餅の愛好者としてうれしい限りです!
葱油餅は文化の境も超える
近年の“ガチ中華”ブームで、日本でも葱油餅を見かける機会が少し増えてきました。これから日本の食卓にも自然に入り込んでいくではないかと想像しています。近いうちに、日本の祭りの屋台にも、葱油餅の屋台が並ぶ日が来るのではないかと予想しています。
ただ、ちょっと気になるのは、その呼び名がさまざまに発散しつつあることです。
よくあるのは、ネギ餅と葱油餅/ツォンヨウビン。また、最近、葱抓餅も増えています。しかし一方、日本人にもわかりやすくするための別名も登場しています:
- 中華風パンケーキ:丸く焼く、外はカリッと、中はもっちり、パンケーキのイメージに近い
- 中華風クレープ:薄めにのばすタイプ(台湾夜市の屋台でよく見られる)
- 中華風パイ/フラットブレッド:層を作るところがパイに似る
まさかの展開ですが、葱油餅はここ日本で、西洋の言葉を借りて紹介され始めています。それは、一つの普通の家庭料理が、地域や言葉の壁を軽やかに飛び越えて行く瞬間です。それは少し奇妙にも感じますが、複数の定義を受け容れるこの現象は、単なる翻訳の揺らぎではありません。それは、文化の境界線を軽々と越えていく柔軟性であり、どんな食材や概念も拒絶せずに取り込む、中華料理という食文化の圧倒的な“包容力”の証明でもあるのです。
今後、ある呼び方で定着するか、それとも、さらに多様化していくのか、楽しみにしています。
葱油餅は、ただの生地とネギと油。しかし、その背景には、移動、都市化、暮らし、そして記憶が折り重なっています。
出会った一枚の餅(ビン)それぞれに、それぞれの旅路がある。ひとくち頬ばれば、それは家の味であり、時代の味でもある。
そして今日も、台所で、夜市で、屋台で、静かに形を変えながら、世界を回っています。

※1 日本の「餅」と中国の「餅」
https://www.foodwatch.jp/chnandjpn0015
※2 まさか、小豆島で本場の中華料理と出会った!
https://note.com/ming2020/n/na1c3e144653c

