はじめに(2)/マニュアルを超える事態への対応

企業内・企業間であるべき連鎖・連携について考え直す連載。第2回は、自動車産業が行ってきた“想定外”を想定する働きを振り返る。

エ) このように衣食住を生活者に安定的に提供するという理念を持つ「生活関連産業」は、震災発生後、「被災地の生活を支援し安全安心な食品等を提供する」という「緊急の課題解決」にも迅速に見通しを立てることができた。

 東日本大震災は、あらゆる面で「未曾有の規模と複雑な内容を持つ災害であったが、過去の経験とそれによる蓄積が力となった。過去の経験とは、とくに阪神・淡路大震災であったし、蓄積とはたとえば2005年頃から提唱され出したBCP(business continuity plan/事業継続計画)の普及等だ。

(3)日本のサプライチェーンの見事さは、製造業でも証明された

ア) もちろんこの大震災では、東日本の製造業も大きなダメージを受け、ひいては全国的、あるいは世界的な規模で影響が波及した。こちらは“販売のサプライチェーン”とはまた異なる“製造のサプライチェーン”としての複雑性を持っている。

 ただし、この間の新聞やテレビのニュースをそのまま受け止めて積み上げていくと、“製造のサプライチェーン”が脆弱で機能回復も困難であった様子が現実よりも悲観的に受け止められているように思われる。そこで、実際にはこれがいかに迅速かつ力強く持ち直したかを具体的に紹介しておく。

イ) “製造のサプライチェーン”の中でも、今回とくに大きく問題とされたのは、自動車産業とIT産業の2つである。この2つのサプライチェーンの動向を追っていくと、実は両者は根っこのところでは同じサプライヤーに行きつくことが今回わかった。

 ここでは、私自身が過去に身を置いていた自動車産業を中心にして、そのサプライチェーンの復旧過程をたどってみる。

ウ) ガソリンエンジンを筆頭に、現在の通常の内燃機関による自動車の場合、1台は大小約3万点に上る部品で出来上がっている。これらの部品の多くは、いわゆる下請けと称されるいくつもの企業が生産している。そして、その下請け自体がまた何段階かのサプライヤーの連鎖によって機能していることが多い。

 トヨタ自動車に例をとっても、東北にある関連企業は直接・間接を含め数百社に上ると言われる。実際にトヨタ自動車と直接の契約関係があるか、深い結びつきがある企業はそこまでは多くはないが、サプライチェーンを支える企業数はそれだけの規模になる。そして、そのうち約百社が、今回の地震と津波、さらに原発事故など後発の事故・災害の影響を受けた。

エ) ところで、自動車産業はこれまでにもいく度か、災害等による生産の停止に追い込まれた経験を持っている。

 戦後起きた最初の大きな事件には、1979年の日本坂トンネル火災事故がある。この時の被害は、トヨタ自動車に集中的に発生した。しかし関係企業の必死の協力も得て、事故が発生した7月11日の翌日の12日の夕方にはトヨタ自動車は生産再開を実現した。

 1995年の阪神・淡路大震災の被害も深刻だった。だが、今回の東日本大震災に比べれば被災地域が限定的であったこと、津波被害がなかったこと、原発災害のような大規模な二次災害がなかったため、自動車の部品生産が被った影響も限定的だった。具体的には、ブレーキ関連部品とカーオーディオ等が被害の中心であった。

 もちろん多くの自動車メーカーが影響を受けたが、やはりトヨタ自動車への影響が一番大きかったと言える。しかし、その豊田自動車も、1月17日の地震発生から一週間後の1月23日には、何とか自動車生産の復旧を果たしている。

 そしてこのときに、自動車メーカー、部品メーカー、その他のサプライヤーが、災害対応、復旧の準備に必要な経験を蓄積したのは、スーパー等の“販売のサプライチェーン”の場合と同じである。

 1997年2月1日には、トヨタ自動車グループのアイシン精機刈谷工場の生産ラインで大火災が発生した。この工場ではプロポーショニング・バルブというブレーキ系統で使用する重要なバルブを生産していて、トヨタ車の9割を供給していた。

 これに対しては、トヨタ自動車が生産再開への本格的な再建支援体制を組み、アイシン精機の関連部品工場や他の部品メーカーへの生産の移行を含めて、大規模に復旧に取り組んだ。その結果、アイシン精機自体の生産ラインの復旧は4月までかかったが、火災発生からやはり1週間目の2月7日朝には、トヨタ自動車は生産再開にこぎつけている。

オ) 2007年7月16日の新潟県中越沖地震の影響は、自動車産業全体を揺さぶるものだった。

 この震災ではリケンという会社の柏崎地区の生産ラインが被災した。ここではピストン・リングをはじめとする自動車の基幹部品を生産していたが、全自動車メーカーがリケン1社からピストン・リングの供給を受けていたのだ。

 このときには、全自動車メーカーから650人以上(うちトヨタグループから約500人)の支援部隊が被災現場に派遣された。そして地震発生から8日目の23日日には、各社が自動車の生産の再開にこぎ着けている。

 自動車産業においてはこのときの経験から、災害対応の業界の枠組が出来上がったと言われている。つまり災害時には、自動車メーカー各社が協力して被災部品メーカー支援を行い、サプライチェーンの短期集中回復支援を行うというものだ。

 トヨタ自動車をはじめとする自動車産業のサプライチェーンは、災害に対してマニュアルの整備・メンテナンスはもちろん行ってきたが、マニュアルを超える事態の中でさらに学習を積み上げてきた。とくにこの新潟県中越沖地震では、「災害発生前の対応」「被災後の復旧」に関して業界を挙げての対処を迫られ、「実践的なマニュアルを超える訓練」を積んだ。この経験と実績が、自動車生産における“製造のサプライチェーン”の国際的な強みである。

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アンクル・アウル コンサルティング主宰 おくい・としふみ 1942年大阪府生まれ。65年大阪外国語大学中国語科卒業。同年トヨタ自動車販売(現トヨタ自動車)入社。中国、中近東、アフリカ諸国への輸出に携わる。80年初代北京事務所所長。90年ハーレーダビッドソンジャパン入社。91年~2008年同社社長。2009年アンクルアウルコンサルティングを立ち上げ、経営実績と経験を生かしたコンサルティング活動を展開中。著書に「アメリカ車はなぜ日本で売れないのか」(光文社)、「巨象に勝ったハーレーダビッドソンジャパンの信念」(丸善)、「ハーレーダビッドソン ジャパン実践営業革新」「日本発ハーレダビッドソンがめざした顧客との『絆』づくり」(ともにファーストプレス)などがある。 ●アンクル・アウル コンサルティング http://uncle-owl.jp/