IX ジントニックの現在・過去・未来(7)

スイング・トップ
19世紀に多用され、現在でも一部の輸入ビール等に使われているスイング・トップ(ビンディング式締め具)

戦前のバーはさまざまなジンを揃えていた

 戦前、とくに昭和10(1935~)年代に入ってからの日本には現在でも驚くほどのバー文化がカフェーやホテルを舞台に花開いており、現代のバーも顔負けのラインナップが亀屋鶴五郎商店(※1)や明治屋(※2)には並んでいたことに拙稿では触れてきたが、ジンのラインナップからもその華やかぶりがわかる。

 ゴードン(ギロン商会)、ギルビー(イースタン・トレーディング)、ビーフィーター(明治屋)は言うに及ばず、プリマス(J. WITKOWSKI商会)、ボーズ(横濱タンサン商会)、ブース(カルノー商会)、ボルス(アデ・モース商会)、メルローズ(コードリエ商会)辺りまでなら筆者もなんとかわかるが、「大日本基準コクテール・ブック」(昭和11年刊)に掲載されているジャヌス(JANUS. SANYOSHA商会)になると聞いたことさえない。

 この中でも強い支持を得ていたのが、ゴードンのロンドンドライ・ジンとオールド・トムジンだった。味はもちろんのこと、魅力的だったのはキャップを集めてギロン商会に持って行くと今でいうキャッシュバックの制度があり、これが大きなカフェーやホテルに働いていたバーテンダーだと結構なお小遣いになったという。最近でこそ製法に特徴のあるボンベイや有力な代理店が展開するビーフィーター、銀座の重鎮が愛用するブードルスによってバラエティーは広がりつつあるが、日本ではバーで定番の“ジン=ゴードン”の図式が戦後長く続いた。

 戦前のジンを使ったカクテルと言うと、日本のバーテンダーの草分けの一人である浜田晶吾が大正11(1922)年頃にカフェー・ライオンで出していたジン・カクテルあたりが文人の目に留まるようになる。もともとはジンにキュラソーを1tsp、アンゴスチュラ・ビタースを1dush加えてステアで仕上げるごくごくシンプルなカクテルなのだが、戦前はよく飲まれていたこともあって「大日本基準コクテール・ブック」では10ページ近くに渡って詳述している。外国のバーテンダーのレシピの違いと、ジュネバやトムジン使用の場合、「フアンシー」(レモン果汁をカクテルグラスにリンスしてパウダーシュガーをグラスのふちに飾る)、「イムプルーヴ」(アブサンとマラスキーノを加えてレモンピール)、「オールドフアション」(通常のオールドファッションのウイスキーをジンに変えたもの)まで記されている。

炭酸飲料が発展した18世紀後半

 それでは、ジントニックのもう一方の主役、トニックウォーターに話を進めていこう。

「ビジネスの生成――清涼飲料の日本化/増補改訂版」(2004年、河野昭三著、文眞堂)によれば、ヨーロッパにおける清涼飲料販売の歴史は1676年にフランス政府から認可を受けたレモネード会社の設立に始まり、18世紀後半のヤコブ・シュウエップによって本格的な発展を見たという。

 筆者も改めて調べてみて知ったことだが、炭酸飲料の歴史に関する文献はコカ・コーラやサイダー、ラムネを初めとして非常に多く、それを網羅して書くことが難しい。そのこともあって、ジンジャーエールやトニックウォーターといったカクテルとの関連性が高いソフトドリンクについては、上掲書と、「昭和B級文化論」と銘打った気軽な文庫本の体裁ながら詳細な年表と深い検証に驚かされる「ザ・ジュース大図鑑」(串間努・町田忍共著)に主に依っていることをあらかじめお断りしておきたい。

 18世紀後半、無味無臭の炭酸水をシュウェップスが売り出したのとほぼ同時期に、アイルランド人William Pittがジンジャービア(※3)を(1790)、それから半世紀ほど経過してアイルランドのCantrell&Cochrane(1852)がジンジャーエールを開発し、1861年にアメリカでG. D. Dowsがジンジャーエールの製造販売を始めた。

 洋酒畑の人間がジンジャーエールと聞くとモスコーミュールという有名なカクテルを連想するはずだが、このカクテルが考案されたのは、時代が大きく下った1940年代に入ってからであり、太平洋戦争目前の戦時体制下だったこともあって戦前の日本のカクテルブックには掲載されていなかった。そのことが、本稿でもたびたび引用させていただいているうらんかんろ氏のブログ「【全面改訂版】カクテル――その誕生にまつわる逸話(29)」に掲載されている。

トニックウォーター誕生とアルコール

スイング・トップ
19世紀に多用され、現在でも一部の輸入ビール等に使われているスイング・トップ(ビンディング式締め具)

 本稿の主題であるトニックウォーターは1858~61年にジンジャービアの考案者であるW. Pittの後継者であるErasmus Bondが「Quinine Tonic Water」として売り出したのが始まりで、上掲「ビジネスの生成……」によれば、これにはキニーネやレモンまたはライムに加えてジンも入っていたという。これが事実だとすると、ジントニックは瓶入りカクテルの携帯として誕生し、その考案者はErasmus Bondということになる。

 しかしながら、当シリーズ第1回で紹介した「Classic Gin」(ジェラルディン・コーテス著)によれば、Erasmus Bondのトニックは「ビターオレンジを含む」ソフトドリンクとして「An Improved aerated Tonic Liquid」として商標登録されたとあり、また英語圏のWebサイトではさらに「as a mix for alcoholic drinks」(アルコール飲料に加えるためのもの)だと説明しているところが多い。こちらを信じると、1858年にErasmus Bondが商標登録したトニックは無酒精飲料ということになる。

 ところで、シャンパンでもそうだが、瓶内の気圧が簡単に上がる炭酸飲料をどうやって封入するかに、19世紀の人たちは腐心していた。「ビジネスの生成……」は、現在もビールの「オールド・セバスチャン」(ベルギー)や「グロールシュ」(オランダ)に使われている、いわゆるスイング・トップ型のビンディング式締め具を含め、マシューズ栓(1865)、現在もラムネに使われているコッド玉栓(1873)、パトナム栓(1857)ハーチンソン栓(1879)ベルナルディン栓(1885)……と、1899年にボルチモアのW. Painterが王冠の特許を発明するまでさまざまな試行錯誤がされた足跡をイラスト入りで紹介している。

※1 亀屋鶴五郎商店:第4回第6回第21回参照。

※2 明治屋:第4回第15回第21回第51回参照。

※3 ジンジャービア:オリジナルのモスコーミュールに使われるジンジャービアと、それより入手が容易なジンジャーエールの違いを確認しておくと、ジンジャービアは醗酵由来の炭酸が含まれるのに対し、ジンジャーエールはプレーンソーダにジンジャーシロップを加えるという製法で名称が分かれている。実際に飲むと、ジンジャービアは乾燥したジンジャー香が特徴的なものが多いのに対し、ジンジャーエールは香りについてはジンジャービアほどクセのないものが多いことが言えると思う。

About 石倉一雄 129 Articles
Absinthe 研究/洋酒ライター いしくら・かずお 1961年北海道生まれ。周囲の誰も興味を持たないものを丹念に調べる楽しさに魅入られ、学生時代はロシアの文物にのめり込む。その後、幻に包まれた戦前の洋酒文化の調査に没頭し、大正、明治、さらに江戸時代と史料をあたり、行動は図書館にバーにと神出鬼没。これまでにダイナースクラブ会員誌「Signature」、「男の隠れ家」(朝日新聞出版)に誰も知らない洋酒の話を連載。研究は幻の酒アブサン(Absinthe)にも及び、「日経MJ」に寄稿したほか、J-WAVE、FM静岡にも出演。こよなく愛する酒は「Moskovskaya」。