VIII 日本人の知らないジャパニーズ・カクテル/ミカド(8)

洋酒文化の歴史的考察
洋酒文化の歴史的考察

万延元年遣米使節団は、予想外の“立石斧次郎(トミー)人気”を巻き起こしながら、ついにニューヨークにたどり着く。その空前の日本ブームの中心とも言える、使節団宿泊地のすぐそばに、実はJ.トーマスのバーはあったのだ。

ニューヨークに50万人を集めた“トミー旋風”

 日米修好通商条約批准のため、日本の政府使節として初めて太平洋を渡ったサムライ訪米団は、ホノルルを経てサンフランシスコ、ワシントンと順調にアメリカでの行程をこなしながら東へ東へと向かって行った。

 その道中に随行した記者が逐一もたらす情報から、「目付役」を英語で「監視役、またはスパイ」と訳されたことを知った小栗豊後守が機嫌を悪くしたとか、使節団の一人が名刺をくれたアメリカ人にお返しで懐中の矢立(携帯用の筆と硯のセット)を取り出して自分の名前を書いたところ、それを見た群衆がワッとばかりに取り囲み、彼は墨がかすれてなくなるまで名前を書き続けさせられる羽目に陥った、といったエピソードが当時の記録に残されているが、それ以上にアメリカの新聞が競って書き立てたのは、日本側から見れば無給の通詞見習いに過ぎない立石斧次郎の一挙手一投足だった。

 使節団が東に向かうにつれて、日本本国では誰ひとり知らない“日本ブーム”=“トミー旋風”は加速の度合いを強め、彼らが万延元(1860)年5月にワシントンに到着したときにはワシントン市ばかりか近隣の住民までが「東洋の謎の国から来たサムライ」を一目見ようと殺到した。サンフランシスコで5000人という見物客も当時としては破格の数字だったが、日増しにに過熱する“トミー・ブーム”がこれに拍車をかけた。フィラデルフィアで30万人、ニューヨークでは50万人と当時の新聞は熱狂ぶりを伝えている。

 どこの国にも利にさとい商売人はいるもので、街道沿いに並ぶ観客の後ろでは、どこでどうやって知ったのか日本土産が並べられた台の前で売り子が声を枯らし、それが法外な値段にも拘わらず、飛ぶように売れてゆく。誰も日本のことを知らないから、木の棒に紙をを貼りつけただけの怪しげな“扇子”に目くじらを立てる者もいない。誰もが「ジャパン」と銘打ったお土産を求め、女性たちが「トミー! トミーはどこ?」と連呼する喧騒が、ニューヨークで使節団が投宿しているメトロポリタン・ホテルとブロードウェイ一帯を埋め尽くしていた。

訪米使節団の1区画先で営業していたJ.トーマス

 そして、ここでついに世界初のカクテルブック「The Bartender’s Guide / How to Mix Drinks / THE Bon Vivant’s Companion」の著者であるJ.トーマスが登場する。訪米使節団がニューヨークに到達したとき、彼らの宿泊先であるホテルからわずか1区画しか離れていない「パレス・バー」で、彼はカクテルを調製していた。ここが「ジャパニーズ・カクテル」誕生の場所となったことをDavid Wondrich氏が著書「IMBIBE!」で明らかにしたのは、2007年のことになる。

「ジャパニーズ・カクテル」を世に出したバーテンダー、J.トーマスと万延元年遣米使節団の“ニアミス”。それを無機質に並べるだけでは、「ジャパニーズ・カクテル」とJ.トーマスの点と点をつなげる発見をしたDavid Wondrich氏の功績を訳出したに過ぎなくなってしまう。なにより、これでリサーチ完了としてしまえば、不思議にオリエンタルを連想させる「ジャパニーズ・カクテル」の味の謎にもたどりつけない。

 そこで、今回「ジャパニーズ・カクテル」の探求のために2カ月以上に渡って歩んできた回り道を、いま一度振り返ることをお許しいただきたい。1860年、つまり世界初のカクテルブック「The Bartender’s Guide / How to Mix Drinks / THE Bon Vivant’s Companion」をJ.トーマスが世に出す2年前に、世界初の日本からの外交使節歓迎に沸き立つニューヨークの「パレス・バー」で、彼が何を思って「ジャパニーズ・カクテル」を出したか?――そこが、このカクテルがなぜあの味になったのかという本稿最大の謎を解き明かす重要なカギになってくるからだ。

About 石倉一雄 129 Articles
Absinthe 研究/洋酒ライター いしくら・かずお 1961年北海道生まれ。周囲の誰も興味を持たないものを丹念に調べる楽しさに魅入られ、学生時代はロシアの文物にのめり込む。その後、幻に包まれた戦前の洋酒文化の調査に没頭し、大正、明治、さらに江戸時代と史料をあたり、行動は図書館にバーにと神出鬼没。これまでにダイナースクラブ会員誌「Signature」、「男の隠れ家」(朝日新聞出版)に誰も知らない洋酒の話を連載。研究は幻の酒アブサン(Absinthe)にも及び、「日経MJ」に寄稿したほか、J-WAVE、FM静岡にも出演。こよなく愛する酒は「Moskovskaya」。