VIII 日本人の知らないジャパニーズ・カクテル/ミカド(3)

洋酒文化の歴史的考察
洋酒文化の歴史的考察

オペレッタ「ミカドあるいはティティプーの街」は、実際の日本とはほど遠い内容だが、これは120年前の欧米で空前の大ヒットとなり、日本ブームを起こした。日本と言えばミカドという言葉が使われるようになったきっかけでもある。

イメージとしての“日本”

“Topsy-Turvy”(1999、英国)

 オペレッタ「ミカド」で興味深いのは、モチーフとなった「欧米人がイメージする日本」だ。日本人が聞いてもいったいどこの国の人名かも判然としない登場人物の名前もすごいが、衣装や髪型もある意味で飛び抜けており、「あぁ、海外から見ると当時の日本はこう見えていたんだな」と呆れる一方、21世紀に生きる我々日本人が見ても「異国情緒」たっぷりで、ある意味、楽しめる歌劇となっている。

 最近は台頭が著しいアニメーション文化が「ヨーロッパから見た日本」のイメージを変えつつあるが、つい最近まで、この歌劇は100年以上に渡って“日本人”のグランド・イメージを形作ってきた。今で言う「ミカド」の“メイキング”を捉えた映画「Topsy Turvy」(1999、英国。題は“ドタバタ”の意)はアカデミー賞(衣装/メイクアップ)を受賞しているにもかかわらず日本では劇場未公開だが、それを見て「なるほど」と思わせるのは、この種の興行では観客の興味を引き付けることがまず重要であり、その国(開国間もない謎の国、日本)のエッセンスは劇中歌や台詞に最低限に盛り込みつつ、後は自由奔放にヨーロッパ人が想像(期待)する異国情緒や異なる価値観を前面に押し出しているという点だ。

 これを嘲け笑ったり、むきになって「本当の日本はそうじゃない」と言うのは簡単だが、果たしてその我々の方は欧米の人を等身大で理解しているだろうか。黒人と見れば皆ダンスが上手で、ロシア人は溺れるほど酔ってもウォトカを手放さず、イタリア人は見かけた女性を片端から口説き始めると思ってはいないだろうか。映画でも音楽でも構わないのだが、我々日本人も娯楽としてどこかの国の作品を見たり聞いたりするときに期待するのはこういう一般的なイメージではないだろうか。

 アフリカでも舞踊に秀でているのは一部の狩猟系民族で草食系のアフリカ人のステップは盆踊りと大差ないとか、2000年代のロシアではワインとビールばかり飲まれていてウォッカ・メーカーは四苦八苦しており、フランスでシャンソンを歌えるのは、観光地でユーロを稼ぐ雇われ歌手だけだ、などという現実を知りたいわけではない。

 筆者は、個人的には女性の前で口がきけなくなるシャイなイタリア人や、遅刻しても平気なドイツ人と知り合いだったが、それでも「エスプレッソを飲む席で同席しただけで口説き始めるイタリア人」「船が沈没しかかっていても規則に従順なドイツ人」というイメージを崩そうとは思わない。ウォッカの元祖をロシアと共に標榜するポーランド人とたまたまバーで同席し、彼に勧められるままにジュブルーフカ(ズブロッカのポーランド読み)のポーランド式乾杯(グラスを口もとに持っていき、視線を交わした後で一気にグラスを空にする。ロシアも同様)を繰り返した末に、「ウォッカをストレートで飲む日本人を始めて見たんでうれしくなって乾杯したが、実は自分はウォッカは滅多に飲まないんだ」と言ってカウンターでダウンした彼の言葉は、イメージと実像のギャップについて興味深いエピソードとして筆者の記憶に残っている。

 ことほど左様に海外に対する“イメージ先行”はこちらから向こうに向けたものと同様に、向こうから日本を見る場合も強く、それは海外、とりわけ西欧が我々に向ける視線も変わるわけではない。

120年前の“日流ブーム”

 オペレッタ「ミカド」の話に戻ろう。当時の欧米の熱狂ぶりを物語るエピソードには事欠かないが、初演から1年後のある日の1晩だけでアメリカ全土の劇場で上演された「ミカド」の数は170。銀幕さえあれば映写技師一人でもなんとか上映できる映画の話ではない。レコードプレイヤーは1866年に発明されていたが、レコード盤は1887年に発明されたばかりだった。つまり規模の大小はあれ、アメリカ全土で170の楽団が「宮さん、宮さん」で始まるトンヤレ節を奏で、1000人を優に超えるアメリカ人の役者(主要な登場人物だけで9名×170か所)が日本“風”の衣装を着て珍妙な髷のカツラを被り、日本を舞台にした身分を秘した貴人と町娘の恋物語を演じていたのだ。宣伝ばかりが勇ましい昨今の“○○ブーム”やら“△△旋風”とは比較にならないほどの日本ブームが、当の日本人にはほとんど知られることなく120年以上前の欧米を席巻していたことになる。

 名前や地域を意図的にぼかしているとは言え、皇室をモチーフにしたラブ・ロマンスだから、さすがに日本での上演には一悶着あったようで、題名も「ミカド」ではなく「学校出たての3人娘」(ミカド劇中歌の題名の1つ)と改題されたものの、初演の翌々年には横浜ゲーテ座での初上演も果たしている。

 タイトルにもある地名「ティティプー」は、以前から「秩父」を指すと想像されてきたが、1992年に地元議員がその関連を確認するために訪英したことを現地メディアが大きく取り上げた。そして、ここで有力な証言を得たことをきっかけに、秩父でも町おこしの一環として2001年から4回にわたって上演されている。

 なお、現代でもバーテンダーに広く誤解されている「ミカド」という言葉のタブー性の問題については、神戸で板垣退助がしばしば宿泊していた自由亭ホテルが明治34(1901)年ミカド・ホテルに改称したこと、並びに、鉄道マニアには懐かしい食堂車を戦前運営していたのが、これと同じ実業家が興したみかどだったこと、この2例を示しておきたい。

 なお、本稿で取り上げた軽歌劇「ミカド」の19世紀のエピソードに関しては、その多くを「ミカドの肖像」(猪瀬直樹著、小学館)によっていることをお断りしておく。次回は、「ジャパニーズ・カクテル」を生んだアメリカ事情に話を進めよう。

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About 石倉一雄 129 Articles
Absinthe 研究/洋酒ライター いしくら・かずお 1961年北海道生まれ。周囲の誰も興味を持たないものを丹念に調べる楽しさに魅入られ、学生時代はロシアの文物にのめり込む。その後、幻に包まれた戦前の洋酒文化の調査に没頭し、大正、明治、さらに江戸時代と史料をあたり、行動は図書館にバーにと神出鬼没。これまでにダイナースクラブ会員誌「Signature」、「男の隠れ家」(朝日新聞出版)に誰も知らない洋酒の話を連載。研究は幻の酒アブサン(Absinthe)にも及び、「日経MJ」に寄稿したほか、J-WAVE、FM静岡にも出演。こよなく愛する酒は「Moskovskaya」。