V 蜂印と赤玉~ボタニカルを巡って(1)

セントーリー
高さ8㎝ほどの小瓶がセントーリーの香りの唯一の手掛かりなのだが……

ベルモットについて調べていくと、実はその処方は各社さまざまであることがわかる。各社のベルモットに利用されるボタニカル(香草・果皮等)を詳細に見ていくと、その多様さと不明瞭さに困惑する。そんな中、ノイリープラットのドライ・ベルモットに使われているボタニカルの一部が書かれているのを見付けた。

各社ベルモットに共通の処方はない

 ベルモットが、白ワインにボタニカルを浸して製造されることは先述した(第22回)。当然、各ベルモットの味の違いはボタニカルで決まってくることになる。ところが、その内容について明快な答えを求めようとすると、調べれば調べるほど雲をつかむような話になってくる。

 調べてみて驚いたのは、ドライ・ベルモットならこれ、スイート・ベルモットの赤ならこれ、という決め手になる素材が全くなく、筆者が集めた、ブランド名を秘した幾多の処方例の中にはベルモットの語源となっているニガヨモギが入っていない処方例さえ出てくる。

 薬草系のリキュール自体は洋酒の世界で珍しいものではない。幻の酒「アブサン」のニガヨモギ(アルテミシア・ブルガリスやヒソップ等、他にも使われている素材はあるのだが、ここではメインのものだけを挙げる。以下同様)がそうだし、モダン・ガールの稿で触れた「ジェット」のミントも薬草系の部類に入る。

おびただしい数のボタニカル

 リンドウ(スーズ)、ビターオレンジ(カンパリ)、アニス(ペルノー)、ウイキョウ(キュンメル/アクアビット)くらいまでならベルモットに使われる薬草の香りも想像がつくが、ベルモット処方のサンプル資料が増えれば増えるほど、使われる薬草の種類も増えていく。和名と一般的な通称が異なるものも多く、さらにここに学名と洋名が加わってくるのだ。アンジェリカからカノコソウ、ショウブ、ヤグルマギクあたりで筆者は知恵熱が出そうになり、セイヨウノコギリソウ、カヤツリグサ、ニガグサに至って頭から煙を噴きそうになった。ここまで来ると一介のライターの好奇心で調べられる範囲をとうに超えている。

 おおまかに言えば、(1)ニガヨモギ、アンジェリカ、カノコソウとローズマリーが入るのがベルモットの基本処方で、これに加えて(2)白はスイート/ドライともビターオレンジを使う処方が一般的な他、ショウブとコリアンダーを使うことも多く、(3)スイートはドライに比べて使用するボタニカルの種類が多く、(4)ナツメグとアザミ(チョウセンアザミ含む)は赤の使用例が多かった……くらいまでのレポートが、ハーブの深遠な世界をのぞき見た素人である筆者の限界だった。

 これではとてもではないがベルモットの解説をしたとは言えない――と思っていたそのとき、ようやくたった1社、それもマティーニに使われる定番中の定番であるノイリープラットのドライ・ベルモットに使われているボタニカルの一部が英語版のWikipediaに書かれているのを見付けた。

謎の植物セントーリー

セントーリー
高さ8㎝ほどの小瓶がセントーリーの香りの唯一の手掛かりなのだが……

 それによればノイリーのドライにはカモミール、ビターオレンジのピール、ナツメグ、コリアンダー、クローブ、セントーリー(centaury)が使われているという。筆者の目は見たことのない最後のハーブ「セントーリー」に釘付けとなった。

 セントーリーは植物学上はリンドウ科に属するセンブリの一種らしく、初夏にピンク色の可憐な花をつける植物だというのだが、これだけでは全く香りの想像がつかない。せっかくドライ・ベルモットの処方、それもマティーニにお約束のように使われるノイリープラットの調合の秘密の尻尾を探し当てたのに、Wikipediaを転載するだけではあまりに能がない。ここはなんとしてもセントーリーなる植物の香りを確かめてみたい。

 ところがセントーリーは日本に自生していないこともあって情報が極端に少ない。それでもわかったのは、唯一手近に入手できるセントーリーは、目薬ほどの小さな瓶に入ったものが2100円もするという。

 香りを確かめるだけで2100円……筆者はこのとき北海道にいたのである。東京に戻る前の楽しみにしていた海鮮丼を泣く泣くあきらめ、セントーリーの小瓶を求めて札幌の某所に向かった。

 レンガ造りのファッションビルの一角にある小さな店には大きな生花が飾られている。駅前のパチンコ屋の新装開店の花輪くらいしか見たことのない筆者としては空気感が違うことおびただしい。応対に出た女性は、いきなりその“効用”を立て板に水で説明し始める。「続けて服用することで自己主張ができるようになる」とか「自分の存在に自信がもてるようになる」とさまざまな説明をしてくれるのだが、とても筆者が聞きたかったセントーリーの産地や製法を聞けそうな雰囲気ではない。筆者は歯医者で見かけるような茶色の小瓶を手に店を後にした。

※英語版Wikipediaではcentauryのあとにカッコ書きでYellow Gentian(りんどう)と記されている。Gentianはスーズでバーテンダーの方にもなじみのあるリキュールだ。しかし、centauryの花はピンクなので、筆者はイエロー・ジェンシアンとは別物と判断したことと、英語の本文中に付されたカッコの理由が判断できなかったため、本稿ではノイリーの処方に挙げていない。

About 石倉一雄 129 Articles
Absinthe 研究/洋酒ライター いしくら・かずお 1961年北海道生まれ。周囲の誰も興味を持たないものを丹念に調べる楽しさに魅入られ、学生時代はロシアの文物にのめり込む。その後、幻に包まれた戦前の洋酒文化の調査に没頭し、大正、明治、さらに江戸時代と史料をあたり、行動は図書館にバーにと神出鬼没。これまでにダイナースクラブ会員誌「Signature」、「男の隠れ家」(朝日新聞出版)に誰も知らない洋酒の話を連載。研究は幻の酒アブサン(Absinthe)にも及び、「日経MJ」に寄稿したほか、J-WAVE、FM静岡にも出演。こよなく愛する酒は「Moskovskaya」。