II スパイ・ゾルゲが愛したカクテル(2)

日本に洋酒文化が定着していったプロセスを読み解く第2シリーズ。周到な準備のもと、日本に入国したソ連のスパイ、リヒァルト・ゾルゲ。その足取りを追うと、あえて危ない橋を選んでわたった様子が浮かび上がってくる。

周到な準備と強運

 昭和8(1933)年9月。エンプレス・オブ・ロシア号から横浜埠頭に降り立ったフランクフルター・ツァイトゥンク紙のドイツ人記者は帝国ホテルに数日滞在した経験があるばかりで、日本語も片言しか話せなかった。後にソビエト連邦から救国の英雄として同国最高の称号である「ソ連邦英雄」を贈られたリヒァルト・ゾルゲである。

 彼が挨拶に訪れた駐日ドイツ大使館は、着任したばかりのディルクセン大使からタイピストまで含めてわずか10名。ベルリンから6000㎞近い距離があるファーイースト――東の果てにある国に単身でやってきた彼を早速日本の外務省に紹介しようと申し出た大使館員に、彼は駐米日本大使出渕勝次の紹介状を差し出した。スリーカードで勝てる勝負にロイヤルストレートフラッシュをこともなげに放り出して見せる手法で、彼は来日早々特別扱いを受けることに成功する。

 後にも彼の優秀な分析力を否定する者はいなかったが、プレミアムがつきそうな紹介状や、ゲシュタポ(ドイツ秘密警察)による身元調査という危険な賭けの代償として得たナチス党員証の陰に隠されたゾルゲの本当の来日の目的と経歴を知る人は、まだこの段階では日本にはいなかった。

 いや、たった一人、もし彼と東京のどこかで会ったとしたら「あっ」と声を上げたであろう日本人がいる。エリート共産党員としてモスクワに派遣され、コミンテルンの執行委員を務めた佐野学である。ソ連から帰国後、逮捕された獄中で彼が出した転向声明は、日本中で警察に追われながらコミンテルンの指示に従って地下活動をしていた非合法共産党員たちに衝撃を与えていた。ゾルゲが諜報活動のため来日する三カ月前のことである。

 当時、まだ獄中にいた佐野がもし早い時期に釈放されてゾルゲと街角でばったり出会っていたとしたらどうだろう。コミンテルン(国際共産主義運動)との決別を転向声明で宣言した佐野は日本に来たばかりのドイツ紙記者リヒァルト・ゾルゲと面識があった。佐野は、この“ドイツ人”が後年中国首相となる周恩来から紹介を受けるほどのソ連諜報機関の大物であることを通報することに、何の逡巡もなかったに違いない。

あえて選ぶ瀬戸際

 しかし、幸運の女神はそのような気まぐれを好まないどころか、ゾルゲに魅入られたかのように彼の側に寄り添っていた。名古屋の砲兵連隊附の交換士官という閑職に甘んじていたオットー陸軍中佐への紹介状をゾルゲに書いたツェラー博士は、真面目で気がいいことが取り柄のオットーが老練なディルクセン大使の後任として駐日大使に大抜擢されることは想像もしなかったはずだし、ドイツ料理店「ローマイヤ」でゾルゲの不審な噂を追っていた憲兵隊は、ゲシュタポからゾルゲの身辺調査のために日本に送られたマイジンガー大佐がわざわざ憲兵隊にゾルゲのお墨付きを与えるとは思ってもいなかっただろう。

 もし警察に別容疑で捕まったゾルゲ・グループの協力者の一人(川合貞吉)が、特高警察の厳しい尋問に耐えかねて彼とグループの存在を漏らしていたら。もし無線技士クラウゼンがタクシーに置き忘れたモスクワ宛の機密費会計報告と免許証を、運転手が警察に持ち込んでいたら……。

 しかしワルキューレ※1は彼をその腕に抱くことはしなかった。それどころか、幸運の女神と息の合ったステップを踏むゾルゲの方からワルキューレに踊りを申し込んでさえいたことが後世に残された資料と研究書で明らかになっている。

 通信文に頻出するコードネームにアンナ(無線技士クラウゼンの妻の本名。ドイツ大使オットーを指す)、リヒァルト(ゾルゲの本名。ドイツ外相を指す)、マックス(クラウゼンの本名。松岡外相を指す)を使ったのは彼の意志だったし、彼が自宅に選んだ一軒家は鳥居坂警察署から望見できる目と鼻の先にあった。

日々の恐怖とあり余る金

 さらに驚くのは、ゾルゲが毎週機密電報を送る相手であるソビエト社会主義共和国連邦――表面上は最も距離を置かねばならないはずのソ連大使館から彼の家が愛用のバイクで10分ほどしかかからない場所にあったことだ。※2

 自ら好んで死神と戯れ、刹那的な快楽に身をゆだねる彼がここに住処を定めたことは、8年間の活動期間にオットー大使夫人やコミンテルンの女同志にはじまってバーの女給から歌姫に至るまで30人の女性と浮名を流したことと併せて、いつも通る道に自ら地雷を埋めるに等しい行為だったと言っていい。

 第一次世界大戦の特需景気と大正デモクラシーの春の後に大恐慌の直撃を受けた日本は、満州への進出をことあるごとに非難してくる欧米列強に神経を尖らせ、日本ではまだ珍しかった在留外国人、とくに特派員と大使館関係者に警戒心をつのらせていた。ゾルゲの敵は日本の特高警察だけではない。憲兵が全く別の指揮系統で外国人の挙動に目を光らせていたし、ドイツの秘密警察も地下に潜ったドイツ共産党員をかぎ回っていた。

 ……だいたい、当時のゾルゲを取り巻く状況をご理解いただけただろうか。これは架空のスパイ小説の話ではない。たった一言の失言で地獄に落ちる恐怖と毎日のように闘っていた彼に与えられた豊富な工作資金が、高価な洋酒と連日の酒場通いにつぎこまれたのはある意味で自然の成り行きだったと言えるだろう。

※1:北欧神話の女神。戦の勝敗を決し、死んだ戦士をヴァルハラ(主神オーディンの宮殿)へ連れ去る。

※2:ソ連大使館はゾルゲ来日の4年前に麹町から現在の住所麻布台(当時麻布区狸穴町)に移転している

(画・藤原カムイ)

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Absinthe 研究/洋酒ライター いしくら・かずお 1961年北海道生まれ。周囲の誰も興味を持たないものを丹念に調べる楽しさに魅入られ、学生時代はロシアの文物にのめり込む。その後、幻に包まれた戦前の洋酒文化の調査に没頭し、大正、明治、さらに江戸時代と史料をあたり、行動は図書館にバーにと神出鬼没。これまでにダイナースクラブ会員誌「Signature」、「男の隠れ家」(朝日新聞出版)に誰も知らない洋酒の話を連載。研究は幻の酒アブサン(Absinthe)にも及び、「日経MJ」に寄稿したほか、J-WAVE、FM静岡にも出演。こよなく愛する酒は「Moskovskaya」。