「一家団欒」は近代日本の新発明

 若い人の間で卓袱台(ちゃぶだい)が見直されていると言われてもう何年も経ちますが、この丸い可愛らしいテーブルはいつごろからあったものでしょうか。

 江戸時代でしょうか? いいえ。はっきりとはわかりませんが、明治中期に作られたようで、大正後期から昭和初期にかけての都市で普及が始まったようです。意外ですか?

 それ以前、私たちの先祖はどのように食事をしていたでしょうか。

 かつては箱膳というものがありました。小さな木箱に茶碗や皿を収めてあって、食事のときは中からそれらを取り出し、蓋の上に並べて使う。食事の終わりに茶碗に白湯を注いでご飯粒やおかずの破片を洗うようにして口の中に流し込み、そのまま器を箱に戻してしまっておく。こういうものを、家族の一人ひとりが持っていたのです。

 どこで食べていたか。これは地域によって違いますが、よくあった例を挙げておきましょう。農村の家屋は“田の字型”の間取りが広く普及していましたが、右上から時計回りに、ダイドコロ、デイ、ザシキ、ネマなどと呼ばれていました。ダイドコロとデイの右横にニワと言って土間が設えてあります。

 こんな風ですね。■は、かの有名な「大黒柱」です。

┌─────┬─────┬───┐
│     │     │   │
│ ネ マ │ダイドコロ│   │
│     │     │ ニ │
├─────┼─────■   │
│     │     │ ワ │
│ザ シ キ│ デ イ │   │
│     │     │   │
└─────┴─────┴───┘

 このダイドコロのニワ寄りの位置に囲炉裏が切ってあります。その囲炉裏のネマ側がヨコザなどと言って、家父長が座る定位置。その横はコシモトなどと呼ばれ、当主の妻の定位置。家族の誰でも勝手にこれらの位置に座るというわけにはいきませんでした。

 そして、多くの場合、家父長と一緒に食事ができるのは長男だけだったと。次男以下と娘は隅っことかニワの横のアガリエン(上がり縁)なんかへ銘々が箱膳を持って行って食べるわけです。ばらばらです。秋冬は寒かったでしょうね。

 今でも学校や役所などが「父兄」という言葉を好んで使っているようですが、「父はわかるけど、何で兄?」と思ったことはありませんか?「子女」という言葉もあります。「子はわかるけど、何で女?」と思ったことはありませんか? 昔は家の中にこんな身分制度があったために使われていた言葉だったのですね。

 ちなみに、デイはいわば応接間。ザシキは“常ならぬ客”専用の部屋。ムラの役など“偉い人”が来たときや婚礼、葬儀などに使います。ネマは寝室と。

 さて囲炉裏ですが、これの上には自在鉤というものがあって、鉄鍋や鉄瓶をつるせるようになっています。ご飯はニワにあるカマドで炊きますが、汁物などはここに釣った鉄鍋でも作ったようです。また、何かを串に刺して火にかざしたり、灰に埋めて調理するということもした。

「おや?」と思いませんか? 冬の鍋物で使う土鍋はみなさんもう戸棚の奥にしまった頃と思いますが、あれはどこで使ったのでしょうか?

 囲炉裏でしょうか? 自在鉤はその名の通り長さを調節できるので、上に引き上げて、その下に置くことは不可能ではありません。でも、つって使う便利な鍋がある家で、わざわざ自在鉤を調節して、重たい五徳を火の中に置いて土鍋を使う理由というのが見当たりませんね。おそらく、かつて多くの家では土鍋というものは使っていなかったでしょう。

 しかも、です。かつての多くの家では、ご飯やおかずを取り分けるのは、当主の妻の専権事項ということが一般的でした。となると、「皆で鍋をつつく」という光景は普通あり得ない、むしろあってはならないものだったのです。

 そう考えてみると、昔の家には卓袱台もなかったし、土鍋を囲む鍋料理というのもなかったようだとわかります。

 もう一つ付け加えて言えば、今日の鍋ものには欠かせないハクサイが交配されたのは清朝後期の中国大陸でのことで、日本に本格的に入って来たのは日露戦争の後ということですから、かなり近代的な野菜です。ですから、ハクサイの入った鍋料理というのは、どう古く見積もってもカレーライス程度の歴史にしかならないわけです。

 一方、都市では農村のように大きな家屋は多くはなくて、たとえば長屋などは親子が一緒の部屋(一つしかない)で寝起きしてしていました。となれば、父親が囲炉裏の脇でいばりくさっているというのは無理な話で、家族そろって仲良く食べていたとも考えられます。しかし、狭い家で、今より兄弟が何人もいたらどうなるでしょう。子供たちはある年齢に達すると奉公に出て、普段親と一緒に住んでいなかったりしたわけです。奉公先ではまた箱膳で、階段の下とか「女中部屋」と呼ばれる中二階の小部屋とかで食べていたようです。

 そうしますと、“同じ卓を囲んで一家団欒”というのは、かつては非常に珍しいものだったことがわかります。

 一家団欒――それは20世紀の初めに、大正デモクラシーの空気と都市化の流れの中、卓袱台という発明品とセットで普及し始めたものに違いありません。さらに戦火の中、長男だけと言わず子供全員が大切に思われ、また婦人動員で女性の能力と社会的役割の重要性が広く理解されるのに伴って、父親が家の中で偉そうにしていたり、母親が食事の番ばかりしているのがなんとなく奇妙に思えてきたでしょう。そして遂に、戦後に普通選挙が実現し、新憲法で「すべて国民は、法の下に平等」と定められ、皆が「古い上衣よさようなら」と歌う中、大多数の家庭に“一家団欒”なるものがやって来たと見ていいのではないでしょうか。

 昨日で終わったゴールデン・ウイークは、実はこれらを振り返るのに象徴的な週間だったのです。「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日(昭和の日/4月29日)で始まり、今日の社会の基盤が出来た日である憲法記念日(5月3日)と「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」日(こどもの日/5月5日)が続きます。それらをつなぐみどりの日(5月4日)を「取って付けたようだ」とは言わず、家族がそろって「自然にしたしむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」日とした“粋”を受け取っておきましょう。

 昔からあるように思える料理、食事のスタイル、習慣には、今日ご紹介したように意外と新しいものが多いものです。「昔からあるものだから大切にする」ということもよいことですが、「ついこの間、私たちがやっと獲得した新しい価値だから、将来に向けて大切に伝えていく」ということも、同じかそれ以上に重要なことのはずです。

 5月はあと3回週末があります。連休の余韻を楽しみながら、あるいは連休に休めなかった分を取り返しながら、ひとそれぞれに事情の異なる家族のこと、いつも普通に食べている食事のこと、それらの“得がたさ”について、思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。

※このコラムはメールマガジンで公開したものです。

齋藤訓之
About 齋藤訓之 303 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所客員研究員。昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。日本フードサービス学会会員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。東京栄養食糧専門学校非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →